1. 幹細胞を使って絶滅危惧種救えるか?
ES細胞、iPS細胞などの万能性を持つ幹細胞から生命体が作れるか?ということはある意味で夢のある話です。
しかしそこには倫理的な問題などがあって、なかなか簡単にはできないことです。
理論的には、細胞を提供したヒトと同じヒト、つまりクローン人間が作られてしまう可能性があるからです。
しかし、これが絶滅に瀕した動物種を救済するため、ということでしたらどうでしょうか。
現在、国際自然保護連合(IUCN:International Union for Conservation of Nature and Natural Resources)が指定している絶滅危惧種は、動植物合わせて約2万8千種あります。
これらは、レッドリストに掲載されています。日本の環境省が作っている絶滅危惧リストもレッドリストという呼称を使いますが、この場合は、日本国内の生物に限ったリストになります。
世界初の哺乳類のクローンであるドリーが作られて以来、こういった絶滅に瀕した動物種をクローン化、または幹細胞で救えないかという議論はなされてきました。
しかし、臓器・器官を作れたとしても、生命体そのものまで作るということになるとなかなか難しいことになります。
ドリーの場合、どのように作られたのでしょうか。
まず、羊の乳腺から乳腺細胞を取り出し、通常の血清濃度を100%とすると、血清濃度を5%まで低下させて培養します。
この培養によって、細胞の全能性が復活します。
そしてメスの羊の子宮から未受精卵を取り出し、核を除去します。
核を除去した未受精卵に、低濃度の血清で培養した乳腺細胞を移植し、電気刺激を与えて細胞融合を起こさせます。
そして融合した細胞を代理母の子宮に移植します。
この方法は、どの哺乳類にも使えるというわけではないため、絶滅危惧種で行おうとすれば、数少ない個体をリスクにさらすことになるのでなかなかできることではありません。
一方、幹細胞を使う方法で個体を作ることができるのであれば、生き残っている個体から体細胞を採取し、その体細胞からiPS細胞を作ればいいわけです。
この方法ですと、個体に大きな負担を与えない、低侵襲性の研究が展開できます。
現在までに、マウス、ヒトを含めて約10種類の動物種でiPS細胞が確立されています。
そして今回、京都大学アイセムス(物質-細胞統合システム拠点)の亀井謙一郎准教授、同大学iPS細胞研究所の沖田圭介講師、京都市動物園の伊藤英之研究教育係長、京都大学野生動物研究センターの村山美穂教授、遠藤良典特任研究員らで構成する研究グループは、絶滅危惧種に指定されているグレビーシマウマからiPS細胞を作成することに成功しました。
2. グレビーシマウマとは?
グレビーシマウマは、体長2メートルから3メートル、肩までの高さが1メートル50センチ程度、そして体重は300キロ後半から450キロほどあるウマ科の動物です。
当初はアフリカ南部に生息する、我々がよく知るシマウマと同じ種類とされていましたが、19世紀末にフランス大統領ジュール・グレビーに送られたシマウマを、フランスの動物学者であるアルフォンス・ミルン=エドワーズが調査したところ、アフリカ南部のシマウマとは別種である事がわかりました。
このことから、大統領にちなんでグレビーシマウマと名付けられました。
サバンナ、半砂漠地帯が主な生息域で、朝、夕方に活動する薄明薄暮性という性質を持っており、温度の高い昼間は木陰で休んでいます。
1頭のオスと、メスや子供で10頭前後の群れを形成して生活しています。
オスは縄張りを形成しており、主に縄張り内の植物を食物としています。
乾燥地帯に住んでいる動物のため、数日は水を飲まなくても生活できる、嗅覚で水脈を見つけて掘り返すことができる、という能力を持っています。
妊娠期間は400日程度で、1回につき1頭の子供を産み、子供は生後1時間以内に装甲できるようになります。
飼育下での調査では、生後2年半ほどで性成熟し、寿命は20年から30年と考えられています。
現在はエチオピア南部、ケニア北部に生息していますが、以前はジブチ、スーダン、ソマリア周辺でも生息していました。
人間の開発が進むに従って、生息地の破壊、水資源の枯渇が起こり、さらに食用、毛皮目的の乱獲によって生息数を減らしました。
さらに、人間が持ち込んだ家畜とは競合関係にあり、食物や生活地域が家畜らに圧迫されたことも考えられます。
現在は狩猟が禁じられていますが、密漁されるケースも後を絶たず、ケニアでは1977年に1万4千頭ほどいた個体が、その10年後には4千頭までに減少し、ソマリアでは1973年に目撃されて以降目撃例がないために絶滅したと認定されました。
3. グレビーシマウマのiPS細胞作成に成功
研究グループは、グレビーシマウマの皮膚から採取した繊維芽細胞を使い、ヒトのiPS細胞を作る際の初期化因子と同じ遺伝子を導入しました。
この結果、多能性幹細胞様のコロニーが培地の中に観察されました。
RNAシーケンシングによってこの細胞の遺伝子発現を解析したところ、ヒト、マウスの多能性幹細胞で共通に見られている遺伝子が発現していることが確認されました。
この結果から、作製した細胞がiPS細胞化していることがほぼ確実とされ、さらにヒト、マウスで見られていたある遺伝子群の発現がグレビーシマウマでも見られたことから、iPS細胞化のマーカーとなる遺伝子群は、様々な種類の動物から作成するiPS細胞の判定に使える可能性が高まりました。
このiPS細胞からすぐに個体を作る、ということは現時点では不可能です。
今後は、生殖細胞への分化誘導解析などを行って、少しずつ個体作成に近づくための研究が展開されると予想されます。
また、こういった他種の動物での知見は、ヒトのiPS細胞との比較によって、同じ部分、異なる部分を明らかにし、種の違い、進化の意義づけにつながる研究成果が得られることから、ヒトを含めた哺乳類多能性幹細胞の理解に大きく貢献すると考えられます。
4. 種の保全、自然保護に新しい流れ
ヒトのiPS細胞を使った研究では、それぞれの個体から採取した細胞でiPS細胞を作成し、個体による違いを明らかにする研究が行われています。
この方法を応用して、今後は絶滅危惧種に指定されている動物種の生理現象、病気になるメカニズム、そして進化と環境適応過程が解明される可能性があります。
グレビーシマウマのように個体が少なくなっている、かつ繁殖による個体増がそれほど見込めない動物種では、個体を使った研究が困難です。
さらに、アフリカという地域に住んでいる動物はこれまで研究対象になる機会が少なかったために、その動物種についてのデータも不十分です。
しかし、個体から低侵襲的に細胞を採取してiPS細胞を作って研究対象とする、という方法で研究を行うと、個体を損なわずに研究を進めることができます。
医療においても、低侵襲性のある治療方法は主流となりつつあります。
患者の細胞を採取してiPS細胞を作成、そのiPS細胞を治療に使うという流れは、多くの治療方法で使われつつあります。
iPS細胞で生物そのものの個体を作ることは現時点では簡単なことではありませんが、分化誘導に関する研究は盛んに行われており、日進月歩で幹細胞からの分化誘導技術が発展しています。
iPS細胞は医療だけでなく、最近は畜産などにも拡がりつつあります。
良質な肉質を持つ家畜を、iPS細胞を使ってクローン化できないか、というアイデアもありますし、iPS細胞を使って食肉そのものを作ろうとする動きがあります。
実際に、試作品レベルでiPS細胞から作られた培養肉が現実化しています。
同様に、自然保護、動物種の保存にも使えるのではないかと考える研究者は少なくありません。
地球の大規模な環境変化、また人間の行う開発などで今後も絶滅の危機に瀕する動物種は増えていくと予想されています。
それに伴って、守らなければならない動物種は何らかの形で個体数を増やすという手段を取らなければならなくなるでしょう。
ヒトの身体を治すだけでなく、動物が関与する事柄全てにiPS細胞が使えるという可能性は、iPS細胞が将来の大きな産業となることを示唆しています。