1. イギリスのEU離脱がどう影響するのか?

欧州の医療産業はEU、欧州連合抜きには語ることはできません。しかし、イギリスが欧州連合を離脱することによって、幹細胞研究、再生医療の発展にも、少なからず影響があると考えられています。

イギリスは名目国内総生産では世界の5位周辺、欧州内では2位です。科学政策については、効率のよい投資と、欧州をはじめとして世界中から人材を集めています。一部では、「イギリス最大の輸出品は教育である」と言われるレベルの教育システムを誇ります。EU各国から大学に留学生を集め、優秀な人材には惜しげもなく資金を投入するシステムによって多くの人材を確保しています。

そのイギリスがEUから離脱した場合、幹細胞、再生医療の研究にも大きな影響が出てくることが考えられますが、その一方で、政治とサイエンスは別という考えもあります。

イギリスのEU離脱の影響はすぐに現れるものと、長期にわたって観察しなければならないものがありますが、離脱したイギリスvsEUという構図は、科学においてはできにくいのではないかという予想が比較的多くあります。

その理由は、EUも一枚岩ではなく、サイエンスにおけるドイツとフランスの競争、スイスのサイエンスにおける独立独歩の方針など、様々な要因が絡み合うからです。

この記事では、欧州の最新事例を説明しますが、基本的にEUとイギリスそれぞれを解説します。

2. イギリスの最新事例・動向

イギリスの再生医療戦略は、幹細胞バンクの整備、臨床研究、基礎研究、再生医療に関する規制と標準化、そして商業化と普及をサイクルにして行われています。スタート時点から商業化までを見込んだ戦略的投資が考えられており、現在もその方針に従って整備が進められています。

まず、2013年から2017年をPhase Iとして、基礎的な研究に資金投入の重点が置かれました。

  • 細胞の挙動、分化と製造
  • 幹細胞環境の操作と探索
  • 安全性と有効性のためのイメージング技術
  • 治療提供のためのステートマテリアル(無細胞)アプローチ
  • 免疫調整

これらが柱となっていました。このPhaseでは、基礎研究と周辺技術を幅広く支援し、Phase IIにつなげています。

Phase IIは分野と疾患を絞って支援していますが、それぞれに拠点を決めて効率的に投資をしています。

  • 主なターゲットをバーキン村病、神経障害性難聴とし、多能性幹細胞中心で研究を行う(ケンブリッジ大学)
  • 主なターゲットを肝臓、関節、肺の修復に置き、人工細胞環境を中心に研究を行う(エジンバラ大学)
  • 主なターゲットを、眼、筋骨格系、肝臓に置き、細胞の足場とバイオマトリックスを研究の中心とする(インペリアルカレッジロンドン)

Phase IIは2018年に開始され、2023年まで継続される予定です。

このプロジェクトの特徴は、省庁横断型で行われていることです。このプロジェクトの中心となっている政府機関は、BBSRC (Biotechnology and Biological Sciences Research Council)、EPSRC(Engineering and Physical Sciences Research Council)、MRC(Medical research Council)が行っています。

また、並行して世界最大の医療系財団であるWellcome Trust(Welcomeではありません)も関与しています。

これらの機関はこのプロジェクトだけでなく、人材確保についても情報交換を横断して行っています。

ある助成金の申請書をMRCに提出すると、「このテーマに即したプロジェクトがBBSRCにあるのでそちらに回してもよいか?」という提案がされることがありますし、BBSRCによって雇用されていた研究者が契約期間が終わる時に、「BBSRCでの業績をこちらで確認したが、十分な業績なので、来年からは我々が支援しようと思うがどうか?」という問い合わせがWellcome Trustから来るケースもあります。

こういった効率のよいシステムで、再生医療研究も進められており、具体的な商業化についての拠点をロンドンのガイ病院内にCell and Gene Therapy Catapultという組織を作り、商業化への橋渡しを行っています。そしてこれらをサポートする機関として、Cell Therapy Catapult GMP Manufacturing Centre(イギリス英語では、センターを意味するcenterは、centreという綴りになります)、Advanced Therapy Treatment Centresが整備されています。

特徴的なことは、開始時点から製造から輸送までを視野に入れて商業化と普及を目指しており、政府が積極的に資金を投入しているということです。さらに、近年の遺伝子治療の割合増加にも柔軟に対応することができています。

このイギリスの効率的な動きは、政府内の人材の多様性にあります。イギリス政府内では博士号を持つスタッフが非常に多く(日本では非常に少ない)、分野も法学、経済学、医学、理学など多岐にわたっています。ワールドレベルの研究経験のあるスタッフが政策決定に関わる事によって、効率化と最新性を維持してプロジェクトが進められています。

3. EUの最新事例と動向

EUでは、2008年から統合型プロジェクトがスタートしています。Innovative Medicines Initiative(IMI)という、官民パートナーシップによる医薬開発を促進するためのプロジェクトが2008年から始められました。資金の半分はEU各国から、残りの半分は民間のEFPIA(欧州製薬団体連合会)から出資されています。

まず、IMI1として、2008年からスタートしたプロジェクトは、iPSCバンク(iPS Cell Bank)を中心に投資され、これの整備を目的に進められました。また、European Bank for induced pluripotent Stem Cells (EBiSC) 、StemBANCCにも資金の援助がされ、整備が進められました。

IMI1と同時に開始されたIMI2は、2008年から2020年までという長期にわたるプロジェクトです。ここでは、バンクの維持と発展、iPS細胞を使った3つのアルツハイマー病関連プロジェクトに資金が投入されています。

それと並行して、Horizon 2020 Work Programmeも進行しています。Work Programme 1として2014年から2015年に基盤整備がされ、投資額を増加させて2016年から2017年にWork Programme 2が走りました。この間、臨床研究段階の17のプロジェクトが支援されました。

特徴的なこととして、17のプロジェクトのうち、多能性幹細胞研究はわずかに1件です。これは、多能性幹細胞研究で先行しているアメリカ、日本と競争するよりも、欧州独自の方針を打ち出した方が商業化がスムーズにいくと判断されたからと予想されます。

そして2018年から2020年、Work Programme 3が進行しています。ここでは基礎から臨床までの全てのフェーズを支援することを目的としています。ゲノム編集、生体内リプログラミング、オルガノイドのプロジェクトに資金が投入されています。

現在は、Horizon 2020は臨床研究から新技術を視野に入れた研究にシフトし、IMIは疾患のiPSバンク整備を支援しています。

EUの動向の特徴ですが、「資金援助が中心で、EU独自の研究、開発方針はそれほどない」ということが挙げられます。これは、各国独自に行われている基礎研究、臨床研究を持ち寄り、その中からEUが資金を投入するプロジェクトを決定しているという事が理由です。

さらに、EFPIA(欧州製薬団体連合会)の意向も無視できません。EFPIAには、バイエル製薬、ノバルティス・ファーマ、サノフィ、ノボノルディスクファーマ、アストラゼネカ、グラクソ・スミスクライン、ベーリンガーインゲルハイム、メルクバイオファーマ、といった巨大製薬企業が加盟しています。これらの資金力は非常に大きく、ちょっとした国の国家予算全体のレベルになりますが、巨大製薬企業であるがゆえにそれぞれの思惑もあり、共通した方針を打ち出すよりも、資金投入に特化した方が効率がよいと判断したと考えられます。

そしてEUのプロジェクトのほとんどが2020年までとなっており、その後のプロジェクトについては単発的なものは発表されていますが、全体的な流れがまだ見えていません。2020年のコロナによる影響も考えられますが、イギリス離脱後の体制作りが手探りの段階であるからとも考えられます。

研究能力ではドイツ、フランスと同等、もしくはそれ以上のイギリス離脱によってEU主導の再生医療研究は、今後もスポンサーとしての役割のみで、研究、開発方針については各国の判断に任されるのではないでしょうか。ただ、医療の規制、標準化、安全基準の策定は、EUだけでなく、欧州全体で決めないと医療難民が出てしまうおそれがあるので、近々規制についてのEUを越えた動きがあると思われます。

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