1. 培養上清に含まれる成分の有効性
幹細胞を人工培養する時は、細胞への栄養供給などの目的で、培養液中で培養を行います。
この培養液中には、細胞に供給する栄養分が含まれていますが、細胞が分泌する物質も含まれています。
細胞が分泌する物質は、細胞からの老廃物の他に、細胞同士が情報をやりとりする、細胞間相互作用のための物質が分泌されます。
幹細胞が分泌する物質群には、細胞分化、細胞分裂を誘導する物質が含まれています。
この物質を利用して、様々な疾患に対して幹細胞の培養液上清を使った治療が行われています。
含まれている物質は、成長因子、サイトカインが代表的です。
成長因子は、様々な細胞の分化を誘導する物質で、幹細胞分泌物質に含まれる成長因子は、EGF上皮細胞成長因子、TGF-αトランスフォーミング成長因子、TGF-βトランスフォーミング成長因子、PDGF血小板成長因子、VEGF血管内皮細胞増殖因子、IGFインスリン様成長因子が含まれます。
さらにサイトカインには、インターロイキン、造血因子(CSF、EPO、TPOなど)、インターフェロン、腫瘍壊死因子、増殖因子、ケモカインが含まれ、細胞同士の情報交換、情報伝達、シグナリングに機能しています。
これらの物質が含まれている培養上清は、医療だけでなく美容などにも使われており、用途は今後広がっていくと考えられています。
また、培養上清から有効成分を抽出して医療に使用するということも行われています。
関節の疾患にも幹細胞培養上清が使われており、培養上清を使って治療を行うクリニック、医療機関が見られます。
培養上清が使われている関節疾患の解説の前に、幹細胞自体が治療に使われている例を挙げましょう。
この代表的なものは、関節リウマチ(Rheumatoid Arthritis: RA)です。
関節リウマチは滑膜と慢性炎症を症状とする自己免疫疾患です。
関節軟骨と、周辺骨が崩壊するという症状も見られ、現在有効な治療方法としてステロイド剤を関節腔内投与する方法が採られています。
しかし、それ以外の方法がないという状況で使われている治療のため、新しい治療方法の確立が望まれていました。
ここ数年、関節リウマチの治療に、間葉系幹細胞を使うことが試されはじめ、新しい治療方法として期待されています。
間葉系幹細胞によって骨軟骨再生が試されるなどの治療方法が現在開発されつつあり、そのうちいくつかは実際に臨床で使われています。
これらの知見から、関節が関係する疾患に幹細胞が有用なのではないかと予想され始め、幹細胞の分泌物を含んだ培養上清を使う治療方法の開発が始まりました。
2. ひざの疾患と培養上清
関節関連の疾患は多種多様であり、その中にひざの疾患があります。
日本整形外科学会がホームページに掲載しているひざ関節の症状、疾患のうち、代表的なものを以下に挙げます。
2-1. 変形性ひざ関節症
原因の多くは関節軟骨の老化です。さらに、骨折、靱帯・半月板損傷などの外傷、化膿性関節炎などの後遺症として発症する場合があります。
2-2. 半月板損傷
ひざ関節の大腿骨と脛骨の間にある軟骨様の板で、内側のものと外側のものがあります。これが損傷する疾患です。
2-3. ひざ靱帯損傷
ひざの痛みと可動域制限が見られ、しばらくすると腫れが目立ちます。放置しておくと、半月板損傷、軟骨損傷に発展してしまう場合があります。
2-4. ひざ離断性骨軟骨炎
関節軟骨の表面に亀裂、変性が生じることがあり、骨軟骨片が遊離すると違和感が強くなります。
2-5. オスグッド病
成長期のスポーツをやっている青少年によく見られる疾患です。
こうした疾患に対して、幹細胞培養上清を関節腔や、軟部組織に投与する治療方法が試され、または実際にクリニックで治療方法として使われています。
ひざの疾患だけでなく、腰痛、頸椎ヘルニア、また各種関節症に使われることもしばしば見られます。
培養に使われる幹細胞は、脂肪幹細胞、乳歯幹細胞、臍帯血幹細胞などです。
幹細胞自体を使う治療であれば、自家幹細胞をなるべく使い、他家幹細胞を使った時に時々見られる拒絶反応を避けることも考えなければなりません。
しかし、幹細胞が分泌した物質であれば、基本的に自家、他家による体の応答を考えなくてもよいため、時間、コストの面で効率的に治療を受けることができます。
3. 幹細胞を使った治療方法から培養上清を使った治療方法への発展
実際に、培養上清をつかったひざの疾患の治療で、どのような効果があったのか、効果があるならばどのような作用機序かという事については、まだ十分まとめられていません。
とにかく新しい治療方法のため、現時点では試行錯誤をしている状況であると認識して良いと考えられます。
では、幹細胞を使ったひざの疾患の治療は具体的にどのようなものがあるのでしょうか?
多く見られる治療方法は、変形性ひざ関節症に対する培養幹細胞治療です。
痛み止め、またはヒアルロン酸注射による保存療法が効果が出にくくなった患者に対して行われる治療方法です。
そういった患者の中には、手術を避けたがる方がいらっしゃいます。
やはりメスを入れるということについては抵抗感を感じる方が多いのは当然と考えられます。
そこで、ひざに幹細胞を注入する、という治療方法が採られることがあります。
幹細胞が定着し、疾患の原因となっている軟骨を再生する、半月板の損傷に対応するなどを期待した方法ですが、各クリニックのホームページを見ると、一定の効果が出ていると考えられます。
ちょっと前までは、患者の自家幹細胞を使うために、200ml近くの脂肪を採取するというステップが必要だったため、患者の体に負担をかけることがありました。
現在は、幹細胞の培養技術の発達により、10分の1程度の脂肪を採取、そして脂肪細胞を培養し、含まれている脂肪幹細胞を増やすというステップが比較的簡単にできるため、患者の体への負担はかなり少なくなっています。
さて、もしこれが培養上清を使った治療になったとしたらどうでしょうか?
幹細胞が増える毎に、幹細胞分泌物は増加を続け、培養液中に含まれる治療に対しての有効物質も次々と分泌されていきます。
さらに、自分の脂肪から脂肪幹細胞を抽出する必要もありません。
細胞バンクなどにストックされている幹細胞を培養し、その培養上清を採取して使えばよいだけですので、培養上清を関節に注入する以外の体への負担は患者にはありません。
この幹細胞培養上清を使った治療は、幹細胞を治療に有効な物質を生産する“工場”として使うことに特徴があります。
工場であれば、自己、非自己の認識による影響は考える必要はなく、培養上清に含まれている物質群が、患者自身の関節周辺細胞に作用して、細胞増殖、組織修復を誘導することができるわけです。
この培養上清を使ったひざ関節の疾患治療は、まだまだ確立されているとは言えませんが、今後予想される高齢化社会において、有効な治療方法となる事が期待されています。
高齢者も、自分の足で歩ければ、生活の質を保つことができ、社会が払わなければならない高齢者に対するコストを軽減することができます。
また、高齢者自らが働き続けるという社会の確立にも、ひざなどの関節治療方法は貢献すると思われます。
幹細胞からの分泌物は、培養条件によって種類、量が変わってくるため、今後の基礎的研究による整理が必要ですが、文部科学省の研究助成金はそういった治療方法の確立を目指す研究に重点的に配分されています。