精子幹細胞の運命を制御して移植効率を向上させることに成功(広島大学)

目次

1. 男性が原因の不妊症は意外と多い

少子化社会の進行に伴って、子供を産みやすい、育てやすい社会環境の整備と並行して、不妊症への対処が注目されています。

世界保健機構(WHO)では、不妊症の定義を、避妊していない性行為を1年間継続しても妊娠に至らない場合としています。

世界的に見ると、通常のカップルのうち、約15%は不妊症であると考えられています。

WHOの調査では、女性にのみ不妊原因があるカップルが約41%、男性にのみ不妊原因があるカップルが約24 %、男女ともに原因があるカップルが約24%、そして原因不明が約11%としています。

つまり、男性のみ24%、男女ともに原因が24%、合計48%の不妊が男性に原因があることになります。

男性の不妊症の原因は、造精機能障害(精子形成障害)という精子が必要量作れない障害、精路通過障害という精子が外に出てこられない障害、そして性機能障害という性行為ができない障害に大別されます。

このうち、2016年に発表された日本国内の調査では、造精機能障害が82,4%と、高い割合を示しています。

別の調査では、結婚前の男性のうち、結婚を考えている、婚活を行っている男性の約1割に精液所見で悪化、つまり十分な精子量が確保できていない、または精子がない、精子の運動性能が悪いという所見が見られていることがわかっています。

男性不妊症の治療方法は、ケースによって様々な治療方法が存在しますが、精子を作る根本の細胞である精原細胞、精子幹細胞に問題がある場合の治療方法は非常に困難でした。

理論的には、精子幹細胞を移植することによって造精能力を作り出せば解決できるのですが、なかなかその技術が確立できません。

そんな中で、精子幹細胞の運命を制御して、移植効率を向上させることに成功した研究グループが、研究内容を発表しました。

2. マウスを使った精子幹細胞移植

広島大学大学院統合生命科学研究科、基礎生物学研究所、イギリスのケンブリッジ大学による国際共同研究グループは、マウスの精子幹細胞が移植後にどのようにして組織を再生するのか、についてのプロセスを解析しました。

同時に、この精子幹細胞の運命を制御して、組織再生の効率を大きく向上させることに成功しています。

これまで、外科的に精子幹細胞を移植することは可能でしたが、その後の定着率が悪く、成功確率はとても治療方法として確立できるものではありませんでした。

体には、組織や器官を維持するために、それらを構成する細胞を作り出すための幹細胞(組織幹細胞)が存在しています。

この組織幹細胞の移植方法の確立によって、再生医療は大きく進歩し、治療が行われています。

その確立過程で、幹細胞移植後の組織再生メカニズムが深く研究されてきていますが、組織幹細胞がどのように振る舞うことによって組織が再生するのかについては大きな謎でした。

この謎を解くために、グループは不妊マウスの精巣に正常なマウスの精子幹細胞を移植し、1つ1つの細胞の運命を追跡しました。

この追跡したデータをもとに、数理モデルによる解析を行って再生のプロセスを予測しています。

この結果、移植した精子幹細胞の大部分は、細胞死に起こしたり、精子幹細胞の再生産を行わずにそのまま精子へ分化することがわかりました。

そして、ランダムに生き残った精子幹細胞のみが、幹細胞の再生産を行うということを発見したのです。

つまり、効率よく行われるのではなく、移植する数が多ければ多いほど、宿主に定着して精子幹細胞の再生産を行う精子幹細胞が多くなるという確率の問題であったことがわかったのです。

3. 多ければ多いほど成功率が上がる

研究グループが成功率を上げるために考えた方法は、「精子幹細胞が多ければ多いほど成功率が上がる」ということです。

しかし、精子幹細胞を増やそうとすれば、この移植治療方法の効率が悪くなります。

精子幹細胞の細胞数を確保することはそれほど簡単ではなく、1人の患者への治療に大きなコストをかけるようなことになれば、現在の男性不妊症で悩む患者全てに治療方法を行き渡らせることが難しくなります。

そこで、研究グループが着目したのは、精子幹細胞を移植後、幹細胞の再生産を行わずに精子へと分化する細胞群です。

移植した精子幹細胞がそのまま精子に分化したとしても、妊娠に必要な精子数にはとても足りません。

そのために、どうしても精子幹細胞の自己再生産が必要なのですが、この再生産する精子幹細胞を増やすために、精子へ分化する精子幹細胞の数を減らせばいいのではないか、と考えたのです。

研究グループは、精子幹細胞を移植した後に、幹細胞の文化を阻害する薬剤をマウスに投与しました。

移植された精子幹細胞の中には、移植後すぐに精子へと分化するものが多いため、この薬剤の投与は継続的に行うのではなく、一時的な投与にとどめます。

もしこの分化抑制剤の投与が継続的に必要であれば、いくら精子幹細胞ができても精子へ分化できず、本末転倒になってしまいます。

一時的に投与された分化抑制剤によって、移植された精子幹細胞の精子への分化が阻害されます。

結果的に、細胞分裂による幹細胞再生産方向に誘導される精子幹細胞が増加します。

それまでの移植の時よりも、多くの精子幹細胞が細胞増殖段階に入ることによって、細胞増殖に成功する精子幹細胞の数も増えることになり、その結果、比較的少数の精子幹細胞の移植によって、マウスに自然交配による妊娠能力を回復させることができたのです。

4. 精子幹細胞移植の有用性

移植された幹細胞が機能を発揮できるかどうかについては、「必ず理由がある」としてその理由を解析する研究は多く存在します。

その研究は無駄ではなく、再生医療に対して大きな知見を与えることは疑いがありません。

しかし、今回の研究グループの報告は、「移植された精子幹細胞は確率的な運命を辿り、その運命は人為的に操作することができる」という今までにない事柄を明らかにしています。

移植における確率論は昔から考えられてきましたが、なかなか系統的にそれらを論理づける、または応用面を視野に入れて研究を展開することは困難でした。

さらに、幹細胞が組織を再生するプロセスは長い間ブラックボックスであり、幹細胞を移植したという入り口と、組織が再生できたという出口で判断するしかないのが現状である言っていいでしょう。

プロセスをはっきりとステップを明確にした上で明らかにすることは、幹細胞の分化では現時点でも難しいことなのです。

しかし、今回の研究で国際共同研究グループは、そのプロセスを1つの細胞レベルで明らかにすることができました。

この精子幹細胞の移植効率向上の方法論を確立したことは、男性の不妊治療に対して大きな貢献をすることは間違いないでしょう。

思春期前にがんが発症するなどして、不妊となってしまった場合でも、その疾患から快復後に精子幹細胞を使った不妊治療を行うことによって妊娠能力を回復できることが見込まれます。

また、成人男性の不妊症の場合でも、精子幹細胞の移植によって妊娠能力の回復が期待できます。

さらに、絶命寸前の動物種を保全し、個体数を増やすために、この精子幹細胞移植方法が大きく貢献することが期待されています。

繁殖可能な年齢の個体であっても、造精能力に問題があるために繁殖行動ができない個体は、様々な動物種で見られます。

こういった動物種が絶滅危惧種になった場合、繁殖に難がある個体に精子幹細胞を移植させることによって繁殖能力を与え、個体数を増やすという対策が取れます。

今後、この方法が人間に応用される時には、精子幹細胞のホストとドナーの問題など、クリアしなければならないハードルがありますが、「妊娠できるのかできないのか」という根本的な問題が解決されることによって、周辺の問題の解決も加速するのではないでしょうか。

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