1. 幹細胞は増えればいいというものではない

多くの幹細胞研究では、幹細胞の自律増殖がキーポイントになる事が少なくありません。

幹細胞が増殖し、新たな幹細胞を作ることによって、常に幹細胞を保有し、いつでも必要な時に必要な細胞に分化させるために幹細胞の増殖能力は重要になります。

しかし、幹細胞は多ければ多いほどいいというものではありません。

幹細胞が分化した細胞に変化できる能力は、生物の組織・器官の維持に重要な役割を果たしています。

ただし、幹細胞の増殖は厳密な制御の下で行われなければなりません。

無秩序に幹細胞が増殖すると、様々な不都合が生じますが、その中でも特に大きなリスクがあるのががん細胞化です。

幹細胞の増殖とがん細胞化についての研究は、多くの研究機関が行っています。

これは、幹細胞の分化能力が、「がん細胞を含む全ての細胞への分化能力」を含んでいるためです。

この研究は、特に消化管で行うケースが多くなっています。

消化管は新陳代謝が激しく、頻繁に細胞の入れ替えが行われています。

そのため、幹細胞による組織の維持と、がん細胞化の研究対象としてうってつけであり、しかもヒトを含む哺乳類以外でも研究が行うことができるため、倫理的な手続きが必要ないモデル動物を使って研究すれば、研究がスムーズに進行します。

理化学研究所、関西学院大のグループは、このことについて、モデル動物として重要なショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)を使って研究し、その結果を発表しました。

2. 老化と幹細胞とがん

老化が進むにしたがって、消化管で制御されていた幹細胞の増殖は、制御が甘くなることによって過剰に増殖することがあります。

これは、消化管のがんの原因の1つであり、過剰に増殖した幹細胞の中からがん細胞化するものが現れ、疾患としてのがんに発展することが知られていました。

しかしそのメカニズムは詳しくはわかっていませんでした。

そこで理化学研究所と関西学院大学の研究グループは、多細胞生物のモデル動物として研究に多用されるショウジョウバエを調べました。

ショウジョウバエの消化管でも、ヒトと同様に老化に伴って腸の幹細胞が過剰増殖し、がん化することによって個体が死ぬことがあります。

つまり、「昆虫(ショウジョウバエ)もがんが原因で死ぬことがある」というわけです。

さらに、がんの原因はヒトと同様の「老化」が原因です。

ショウジョウバエには「ホワイト変異体」という遺伝子型を持つ種類があります。

通常の遺伝子型を持つショウジョウバエは「野生型」として分類されますが、ホワイト遺伝子、またはそのホワイト遺伝子の機能がなくなった個体を「ホワイト変異体」と分類されています。

野生型とホワイト変異体は見た目ですぐに区別ができます。

野生型は眼が赤いのに対して、ホワイト変異体は眼が白くなっています。

ちょっとややこしくなりますが、「ホワイト遺伝子が機能しないと、眼が白くなる」というわけです。

ショウジョウバエは羽化してから1ヶ月半から2ヶ月経つと、老化の兆候が顕著になります。

この時、野生型では老化によって、腸の幹細胞が過剰増殖します。

一方で、ホワイト変異体では過剰な幹細胞増殖は見られませんでした。

この違いはどのようなメカニズムで生まれるのでしょうか?

調べてみると、野生型では腸の幹細胞に、ビタミンBの一種である葉酸の代謝物が蓄積していますが、ホワイト変異体ではこの代謝物が幹細胞に蓄積しないことがわかりました。

つまり、葉酸の代謝産物があるかないかで幹細胞の過剰増殖が起こるか起こらないのかが決まることがわかったのです。

3. 葉酸の働き

産婦人科では、妊娠初期から葉酸をサプリメントとして妊婦が摂取することを推奨しています。

クリニックによっては、妊娠の意志がある女性に対しては、妊娠前から摂取を薦める場合もあるようです。

これは、葉酸が赤血球の合成、タンパク質の合成、細胞増殖に関与するためです。

胎児の成長にも非常に重要な物質であり、葉酸の摂取によって、神経管の先天異常の発症リスクを下げることができます。

また、葉酸代謝物はDNA合成を制御するため、細胞の増殖時に必要なDNA複製に深く関与します。

そのため、胎児の発生にも重要とされています。

しかし、老化したショウジョウバエの場合は蓄積された葉酸代謝物は必ずしも個体の利益にはなりません。

老化した野生型で増殖する腸の幹細胞に蓄積された葉酸代謝物は、どんどんDNAの合成を促すため、幹細胞は盛んに細胞分裂、細胞増殖を行い、がん化していくのです。

さらに、野生型では葉酸代謝物の蓄積と共に、ホワイト遺伝子の発現が上昇することがわかりました。

一方で、ホワイト変異体の腸の幹細胞ではこの葉酸代謝物の蓄積が見られません。

その結果、腸の幹細胞ががん細胞することが抑制され、個体の寿命が野生型よりも長くなるという結果が得られました。

さらに、葉酸代謝物がDNA合成を促す効果があるということから、野生型にDNAの合成を阻害する薬剤を投与すると、老化に伴う腸の幹細胞のがん細胞化が見られなくなりました。

4. 老化によってショウジョウバエに起こること

老化によってショウジョウバエの消化管で何が起こっているのかをまとめてみましょう。

ショウジョウバエの老化によって、消化管に存在する腸の幹細胞ではホワイト遺伝子の発現が増加します。

そして葉酸の代謝物が幹細胞に蓄積します。

蓄積した葉酸代謝物は、幹細胞のDNA合成を促進します。

その結果、腸の幹細胞はどんどん細胞分裂を行い、結果として過剰な細胞増殖が誘導されます。

増殖した幹細胞内では、葉酸代謝物とホワイト遺伝子産物が、細胞に対してがん化するように働きかけます。

しかし、細胞自身はがん化を抑制する機能を持っているためにそう簡単にはがん化しません。

とはいえ、過剰な増殖によって増えた幹細胞の中には少数ながらがん細胞化するものもあります。

がん細胞は、それ自体が高い細胞増殖能力を持っているため、最初は少数のがん細胞でも、激しい細胞分裂によってがん細胞をどんどん増やしていきます。

その結果、老化した野生型のショウジョウバエの消化管にはがんが出現し、個体を死に至らしめます。

 

以前から、葉酸は細胞のがん化に必要な物質である事がわかっていましたが、この研究ではがん化の促進という役割を持つことが明らかになりました

とはいえ、産婦人科が推奨している葉酸の摂取がすぐにがん化のリスクを上げるとは限りません。

葉酸代謝経路がヒトのがんに関わっていることは以前から知られていましたが、妊婦の葉酸不足が正常な妊娠を阻害することも知られています。

5. 良い、悪いは簡単には決めることはできない

葉酸は、正常な妊娠に重要でもあり、細胞のがん化にも必要であることは、どちらも科学的に証明されています。

また、幹細胞は、移植などの場合は自律的な細胞増殖ができているかいないかが定着の点では重要ですが、一方で増えすぎるというのも、がん化のリスクが上昇してしまうということになります。

物質、細胞など様々なものは、個体によって良い方向に機能する面と、悪い方向に機能する面、両方もっています。

この研究における幹細胞も、幹細胞自体が正常に制御されている間は問題がありません。

むしろ組織の維持のために非常に重要です。

しかし、個体の老化によって、様々な機能が上手く働かなくなったりすると、個体に不利益な現象を引き起こすことがあります。

今後、消化管の老化については、葉酸代謝物の蓄積を含めてもっと深く研究され、将来的には高齢者の腸組織におけるがんの予防に役立つ知見が得られるでしょう。

Follow me!