神経の元になる細胞「60代から10代に」マウスで若返りに成功

目次

1. 老化と神経細胞

京都大学ウイルス・再生医科学研究所のグループは、老化と共に衰えた神経細胞を遺伝子操作で若返らせることによって、マウスの認知機能を改善することに成功しました。

この研究を解説する前に、老化によって神経細胞に何が起こるのかを解説します。

加齢と共に、体には様々な変化が起こります。

感覚、運動能力が衰えていくという神経が関与する老化現象は、以前とは体の動き方が違う、頭での理解力が落ちた気がする、体の反応が以前と違うなどの症状で感じることができます。

神経は大きく分けると3つの神経系からなります、そして「神経の老化」はそれぞれの神経系で異なる動きを示します。

3つのそれぞれの神経系で起こる老化による影響を解説します。

まず、脳に起こる老化が原因の現象のうち、最も大きな変化は脳の萎縮です。

ヒトの脳は、胎児の発生、生後の成長に伴って大きくなり、重量も増加します。

20歳頃になると、大きさ、重量共にピークとなり、しばらくの間はその状態を維持します。

50歳頃を境として、脳の萎縮が始まります。

大きさが減少すると共に、脳の重量も減少していきます。

脳の部位ごとで見ると、大脳の萎縮が最も早く、小脳、脳幹の順で萎縮が進行していきます。

大脳の中では、前頭葉、側頭葉の萎縮が大きく、頭頂葉、後頭葉は萎縮が少ないとされています。

脳はそれぞれの部位ごとに機能が異なります。

機能で老化の影響を見ると、運動や皮膚の感覚、そしてその統合、さらに資格などを司る頭頂葉、後頭葉の老化による萎縮は比較的少ないのですが、言語、記憶をコントロールする側頭葉、脳の働きを統合して、意欲、意思の根幹となる前頭葉での老化による萎縮は大きくなっています。

さらに、脳自体の萎縮の他に、神経細胞の萎縮、消失、そして老人特有のアミロイド斑が脳に見られるようになります。

脊髄は、骨の老化と関連して進行します。

老化が顕著に表れるのは、椎間板と呼ばれる軟骨です。

椎間板は、椎骨と椎骨の間でクッションの役割をする軟骨ですが、老化が進行すると椎間板は硬くなってしまい、もろくなります。

こうなってしまうと、本来のクッションの役割を果たせなくなり、結果として椎骨内部の脊髄が圧迫される、椎骨の間から伸びる神経を圧迫し、神経損傷をまねいてしまうということがおきます。

これは症状として、感覚鈍化、筋力低下、平衡感覚の低下、または欠如として表れます。

そして最後に、末梢神経です。

末梢神経の老化進行に伴う変化は、神経が伝える信号速度が遅くなることが挙げられます。

脳や脊髄から伸びる末梢神経には、体性神経と自律神経があります。

体性神経は、脳からの信号を末梢に伝える役割を持つ運動神経(別名・遠心神経)と、末梢からの感覚を脳に伝える感覚神経(別名・求心神経)の2つを合わせたものです。

自律神経は、交感神経と副交感神経を合わせて呼ぶ名前です。

末梢体性神経が老化の影響を受けると、反射が低下したり、場合によっては消失します。

さらに、椎間板の老化で見られたような症状、感覚鈍化、筋力低下が起こります。

一方で、自律神経は自分の意思でコントロールできない神経系です。
体の調子を整えるために、アクセルとブレーキの役割を持つ自律神経は、暑さを感じると汗をかいたり、起床時に心拍数や血圧を上げて個体が動けるようにサポートします。

しかし、老化が進行すると、気温の上昇に対して汗が出なかったり、起きているときと寝ているときの体の動きに差が出なくなったりします。

この影響は内臓にもおよび、食べたものの消化、尿意、便意のコントロールに影響が出るようになります。

2. 京都大学の研究はどのような研究か?

脳には、神経細胞のもとになる、「神経幹細胞」という幹細胞が存在します。

胎児の間は非常に活発に活動し、神経細胞を次々と生産していきますが、老化と共に増殖能力が低下します。

この結果、神経細胞の供給が鈍くなり、個体の認知機能が衰えていきます。

研究グループは、まず胎児マウスの脳と、老齢マウスの脳、それぞれの神経幹細胞での遺伝子発現パターンを解析しました。

その結果、胎児の脳にある神経幹細胞で発現が老齢マウスの脳にある神経幹細胞よりも高い遺伝子を80種類特定しました。

この80種類の遺伝子は、「胎児の神経幹細胞で活発に働いている」と見ることもできます。

これらの遺伝子の中には、神経幹細胞を活性化させる役割、機能を持つ遺伝子がいくつか含まれており、この遺伝子群が胎児の時期に活発に動くために、神経細胞が次々と供給されると研究グループは予想しました。

逆に、老齢マウスの神経幹細胞で活発に働いている遺伝子も存在しています。

この遺伝子の機能を抑制すると、老化したはずの神経幹細胞は活発化し、従来の幹細胞としての働きを取り戻しました。

そして研究グループは、胎児で活発に働いている遺伝子をさらに活発にさせ、老齢マウスで活発にはたらいでいる遺伝子を抑制する方法を開発しました。

これは遺伝子操作の技術で、iPaDと名付けられています。

iPaDを使って老齢マウスの脳を遺伝子操作すると、増殖能力を喪失していた神経幹細胞は再び増殖能力を見せ、3ヶ月以上増殖し続けました。

老齢マウスの行動実験で、老化と共に、空間記憶、新しい認識記憶が低下することが明らかになっていますが、iPaDによって、これらの能力が改善することも明らかになりました。

今後は、人間と同じ霊長類でも効果があるかどうかを、マーモセットで解析する予定です。

iPaDによって、マーモセットの神経細胞の老化が抑制できれば、同じ霊長類に属する人間にも・・・という期待が寄せられます。

しかし、このiPaDには、人間には使うことが難しい理由があります。

マウスの遺伝子操作をiPaDで行うとき、脳に遺伝子を入れるためにウイルスを使っています。

そのため、この方法でマーモセットでうまくいった場合でも、すぐに人間に応用できるというわけではありません。

倫理的な面から、このような方法で人間の遺伝子操作を行うことは許されていないため、この研究では効果が出るためにはどの遺伝子操作をすれば良いのか、を明らかにすることに集中し、人間に使える方法の確立は、別の研究として行うことが予想されます。

3. この方法によって何が起きる?

関係した研究者は「この結果は、ヒトでいうと60代の神経幹細胞が、10代の神経幹細胞に若返ったと言って良い。」と述べています。

単純に考えると、記憶などの知的な脳の働きは10代までとは言わなくとも、かなり若返ることが確実です。

さらに、運動を司る神経も若返ります。

これによって、10代当時の運動能力がよみがえるかというと、筋力の低下などの老化による影響もあるため、そうは簡単に10代に若返ることはないと予想されますが、ある程度若返ることは確実でしょう。

そして神経幹細胞の若返りによって期待されることの1つに、認知症などの改善が挙げられます。

高齢者の認知機能と、身体機能が10代までとはいわなくとも、各機能に障害が出る前のレベルまで戻すことができれば、寝たきり、介護が必要なくなり、本人、家族の負担がかなり軽減されます。

さらに、今後の高齢化社会に伴って増大すると予想されている社会保障費の抑制にも大きく貢献する事が予想されます。

この方法を人間に、臨床的に行うまでにいくつものハードルがありますが、遺伝子操作が必要、という部分は大きなハードルです。

まず、遺伝子の操作のために現時点ではウイルスを使わざるを得ないことがハードルの1つです。

さらに、人間の遺伝子を改変する治療というものがどれほど許されるのか、という倫理的な問題があります。

これらの解決策として、活発になって欲しい遺伝子と、活発して欲しくない遺伝子が正確に解析できれば、これらの遺伝子から作られるタンパク質の機能を活性化する、またはタンパク質の機能を抑制する薬剤の開発という方法もあります。

知能、身体のコントロールを司る神経幹細胞のみを若返らせることによって、人間の老化がどれほど改善されるのかについては、過度の期待ができないという見方もありますが、今後の研究展開には注目すべきでしょう。

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