この記事の概要
  • ES細胞・EG細胞は倫理的問題を抱えている
  • mGS細胞は精巣内にある精子幹細胞を由来として、形態、遺伝子の発現パターンなどがES細胞に類似している
  • ヒト成人男性の精巣から、ES細胞に類似する細胞の培養に既に成功している

幹細胞であるES細胞には倫理的・道徳的観点からの議論があります。それは、ヒトのES細胞を培養して株化細胞をつくる際に、受精卵から発生した胚盤胞を使う時には、将来は胎児に発生する可能性のある胚を破壊する可能性があるという点です。

このES細胞の弱点を解決すると期待されているのがmGS細胞、英語ではMultipotent germline stem cell、日本語では多能性生殖系列幹細胞です。今回の記事は、そんな「mGS細胞」について徹底解説します!

1. ES細胞・EG細胞の抱える倫理的課題

冒頭のとおり、ES細胞には倫理的・道徳的観点からの議論があります。

ES細胞の培養には、受精卵の割球細胞(1つの受精卵が2つ、4つ、8つへと細胞分裂した未分化の細胞)を取り出して培養し、残りの細胞は戻して胎児へ発生させる方法が一般的です。もちろん、この手法には失敗のリスクが常につきまといます。体外受精の際に余った胚を使う場合でも、将来は生命としてこの世に生まれてくる可能性のある細胞を使うので、やはり倫理的観点で議論の的になります。

ES細胞に似た性質を持つEG細胞は、妊娠5週から9週の胎児から始原生殖細胞を採取しなければなりません。母体内で死んだ胎児から始原生殖細胞を採取していましたが、これも倫理的な問題について議論されました。

もっと詳しく

ES細胞、EG細胞については、以下の記事で解説しています。

出生前の胚、または胎児が持つ細胞が、ES細胞やEG細胞という幹細胞の培養にはどうしても必要です。こういった技術を議論するとき、ヒトの生命をいつからと定義するのか?受精卵が形成された瞬間から生命とするのか?という問題が生じてきます。この問題がクリアにならないと倫理的な壁が大きく、なかなか議論が進みませんが、文化的、宗教的な側面でも解釈が異なるため、共通見解を持つ事はなかなか難しいのです。

科学の発展、医療の発展と倫理的・道徳的な面を天秤にかけた時に、後者を重視する方も当然多くいますが、そういった人々の考え方も尊重しなければなりません。医療の発展ももちろん大切ですが、倫理観や道徳とバランスをとることも大切で、なかなか表立って研究開発が進まない理由の一つでもあります。

2. GS細胞の発見

このES細胞の弱点を解決すると期待されているのがmGS細胞(Multipotent germline stem cell)です。

mGS細胞は、2004年、京都大学大学院医学研究科、篠原教授らのグループが培養し細胞株の取り出しに成功し、論文で発表しました。mGS細胞を培養するために用いた細胞は、精巣内にある精子幹細胞です。このmGS細胞の培養までには、いくつかのステップがありました。

生殖細胞の中で増殖することができる細胞は、発生段階の胚、胎児の始原生殖細胞と、生後の精巣に存在する精原細胞のみです。精原細胞の細胞群内に存在する精子幹細胞は、自己複製能をもっており、無限増殖能があります。

精子幹細胞は男性の生殖細胞では最上位に位置する細胞です。1994年にアメリカ・ペンシルバニア大学の研究グループが、精子幹細胞を移植する方法を開発しました。不妊となったマウスの精巣、精細管内に、別の生殖能力のあるマウスの精巣細胞をバラバラに分離して注入すると、移植された細胞の中に存在している精子幹細胞が不妊のマウスの精巣内で精子に分化したのです。この結果、不妊のマウスはドナーの精子によるドナー由来の子孫を作る事が可能となりました。

篠原教授らのグループは、これを発展させ、2003年にマウスの精子幹細胞を人工的に培養、増殖させることに成功しました。それまでは、精子幹細胞は体内でのみ細胞増殖が可能であり、人工的な増殖は不可能でした。

方法は、生後のマウス由来の精子幹細胞を、白血病阻止因子(LIF:Leukemic inhibitory factor)、塩基性線維芽細胞成長因子(bFGF:Basic fibroblast growth factor、塩基性繊維芽増殖因子)、グリア細胞株由来神経栄養因子(GDNF:Glial cell line-derived neurotrophic factor)、上皮成長因子(EGF:Epidermal growth factor)と共に培養します。この結果、精子幹細胞が増殖し、2年以上安定して細胞増殖をしました。

この細胞は、GS細胞(Germline stem cell)名付けられました。培養で増殖させた細胞を精巣に戻すと、精子に分化し、卵に対して受精する事ができます。通常、このような細胞は凍結させておき、使用するときに解凍して使用するのですが、GS細胞を連続で2年間培養した後に解析を行っても、細胞機能は正常を保ち、受精能力、正常なマウスの成長が確認できました

これはES細胞と大きく異なるポイントです。ES細胞は、数ヶ月間の培養をすると、染色体に異常が蓄積してしまいます。その結果、生殖細胞への分化能を失い、使用する事ができません。おそらく、GS細胞のもととなった精子幹細胞には、幹細胞の性質を守るためのシステムが存在すると現在考えられています。

3. mGS細胞の発見

このGS細胞の研究中、細胞群の中にGS細胞とは形態が異なる細胞が混ざっていました。この細胞をES細胞を培養する時に用いる培地に移して培養したところ、細胞集団を形成しました。

この細胞集団の形態が、ES細胞の形態と非常によく似ていました。細胞増殖が確認され、解析の結果、形態、遺伝子の発現パターンなどがES細胞に類似していたことが明らかになりました。

この細胞は、内胚葉、中胚葉、外胚葉に分化する能力を持ち、生殖細胞にも分化できる事が確認され、mGS細胞と名付けられました

篠原教授らのグループは新生マウスを用いてmGS細胞の樹立を行いましたが、2006年にはドイツのゲッティンゲン大学のグループが、成体マウスの精巣からも、同様のES細胞に類似した細胞が樹立できる事が報告されました。

この報告については賛否両論あり、明確な決着はついていません。篠原教授らのグループは、精子幹細胞が精子を形成する能力を失い、その代わりに多能性を手に入れたという仮説を立てており、ゲッティンゲン大学のグル−プの報告は、その仮説とはやや異なる点があります。

成体マウスからのmGS細胞樹立は、論文報告以外にも学会でいくつか報告されています。現時点では、篠原教授らのグループが樹立した、mGS細胞(多能性生殖幹細胞、Multipotent germline stem cell)、ゲッティンゲン大学のグループが樹立したmaGS細胞(多能性成体生殖幹細胞、Multipotent adult germline stem cell)そして、2007年にコーネル大学の研究グループが樹立した多能性成体精原幹細胞(multipotent adult spermatogonial-derived stem cells)の3つがマウス由来の細胞では存在しています。

2008年にはテュービンゲン大学の研究グループが論文を発表し、ヒト成人男性の精巣から精原細胞を分離し、ES細胞に類似の細胞の培養に成功しました。これは多能性ヒト成体生殖幹細胞(pluripotent human adult germline stem cell)と名付けられ、多能性も確認されています。

現在は、ある性質においてはES細胞とGS細胞の中間に位置するmGS細胞をどうやってよりES細胞に近づけるか、成体からの樹立は可能か、などが盛んに研究されています。マックス・プランク研究所からは、精巣由来の生殖系列由来多能性幹細胞(別名:生殖多能性幹細胞、gPS細胞、Germline-derived pluripotent stem cell)の樹立も報告されています。

4. mGS細胞の今後

mGS細胞を樹立する方法と類似した樹立方法で、何種類かの細胞が樹立されています。それらの細胞の性質、分化能を含めて現在でも解析が行われ、さらにES細胞の性質に近づけるための樹立方法の模索が続いています。

ある報告で細胞が樹立できたとしても、それが他の研究機関で完全に再現できるという保証はありません。そのために再現性の検証も必要です。

こういった状況は混乱と取られがちですが、科学の大きな進歩があるときにはこのような状況になる事がよくあります。生後の個体由来の細胞、または生体由来の細胞を使ってES細胞に似た幹細胞を培養方法の工夫でできるのであれば、これは大きなインパクトを再生医療に与えます。

iPS細胞の場合は遺伝子導入を必要とします。当然、安全性は確保していますが、遺伝子導入による遺伝子改変、という言葉に反応してしまう方もいると思われます。そういった方のニーズにも対応できる状態をつくることも必要とされます。

そういった意味では、mGS細胞は今後に大きな期待のかかる幹細胞、または幹細胞樹立の方法です。

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