1. COVID-19と幹細胞
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対しての治療で、幹細胞が有効であるという可能性があることは、いくつかの研究機関で仮説として考えられ、実際に何件か治験などが行われています。
日本国内でも、ロート製薬がCOVID-19の重症肺炎に他家脂肪由来幹細胞を用いた企業治験を2020年8月より開始しています。
また、日本国内のバイオ系ベンチャー企業であるヒューマンライフコードはCOVID-19による急性呼吸窮迫症候群(ARDS)の患者に対して臍帯由来幹細胞を輸注するという治療方法の検討に入るという報道が2020年7月にありました。
狙いとして原田代表取締役は、「COVID-19に伴うARDSは、サイトカインストームが病態の主体なので、抗炎症作用を有する臍帯由来の間葉系細胞も治療に活用できるのではないかと考えている」と説明。
また、今回の第1相臨床試験のデータで早期承認を得られる可能性については、「最小3例での早期承認は難しいだろう。第2相臨床試験で主要評価項目に有効性を設定し、それが示されてからと考えている。」と述べています。
幹細胞そのものを使った治療、つまり幹細胞を患者の体内に入れる治療については、いくつもの越えなければならないハードルがあります。
他家由来の幹細胞であれば拒絶反応の可能性がありますし、自家だとしても、治療に必要な幹細胞数の確保のためには、患者から採取した幹細胞を培養によって増殖させなければなりません。
また、患者由来の細胞を使ってiPS細胞を構築して使う、という場合は、iPS細胞の作成コスト、そしてその期間などいくつもの問題を抱えています。
COVID-19が拡がってからこれだけの期間で申請して治験に持ち込むだけでも、その会社の技術力はかなりのものであると言っていいでしょう。
となりますと、幹細胞を使った治療、医療技術の開発、施術をできる場所は限られてしまいます。そのため、「幹細胞そのものを使わない幹細胞医療」が最近注目を集めています。
それは、「幹細胞を培養した際に使った培養液を使う医療技術」です。幹細胞を培養すると、幹細胞は様々な物質を細胞外に分泌します。
これは、細胞間で情報のやりとりを行い、分化、細胞分裂を行うためです。細胞は集団となって組織、器官を形成しますが、各々の細胞が自分のタイミングで分化したり細胞分裂をすると、組織・器官としてのバランスが取れなくなる可能性があります。
こういったことを避けるために、細胞同士は分泌物によって連絡を取り合う「細胞間相互作用」によって、細胞の集団で形成される組織・器官のバランスが取れるようなシステムを作っているのです。
2. 幹細胞が分泌する物質
幹細胞に分泌する物質は、生理活性物質の総称であるサイトカインをはじめとして、免疫による細胞内コミュニケーションに必要なインターロイキン、各種成長因子、抗酸化酵素などの酵素群、コラーゲン、ヒアルロン酸、エラスチン、そして分泌物を封じ込めた小胞であるエクソソームです。
幹細胞培養上清が美容・コスメに使われるのは、分泌物の中にコラーゲン、ヒアルロン酸、エラスチンなどの、肌に有効な成分が含まれているためです。
この美容分野は経済的に非常に大きな分野で多額の消費が見込めるために、この培養上清から有効成分を抽出し、活性を保ったまま製品化する技術の発達速度が速い分野になっています。
その恩恵を受ける形で、幹細胞が分泌する他の物質を様々な医療に活用しようとする動きが活発になっています。
世界的なCOVID-19の流行においては、当然幹細胞分泌物がCOVID-19治療に有効かどうかを調べる研究も早い時期から着手されています。
3. 幹細胞培養上清とCOVID-19
着目されたのは、COVID-19によるサイトカインストームです。
サイトカインストームとは、感染などによって血中のサイトカイン(インターロイキン1、インターロイキン6、腫瘍壊死因子など)の異常上昇が起こり、この異常が全身に作用することによって起こります。
好中球の活性化、血液の凝固機構活性化(不必要なところで血液が固まりやすくなり、血栓などの原因になります)、血管拡張などを引き起こし、ショック、播種性血管内凝固症候群(DIC:Disseminated Intravascular Coagulation)、そして多臓器不全まで進行する状況をサイトカインストームと呼びます。
つまり、免疫系におけるサイトカイン原因のシステム暴走、とも言えるこの現象ですが、幹細胞の分泌する物質にこの暴走を緩和する、または止める作用のある物質が含まれているのではないかと期待されています。
幹細胞の分泌する物質は分化誘導、細胞分裂誘導などに作用しますが、もともとは細胞集団内の調和を保つことを目的としたものが多く、他の細胞が走りすぎれば止め、走らなければ走るように促す性質を持っている物質が多数含まれています。
この物質によって、COVID-19が原因のサイトカインストームを緩和できるかもしれないという考えは、COVID-19の流行初期から考えられていました。
幹細胞培養上清を使った治験についての情報は、具体的にどのような形で出てくるかは注視が必要ですが、幹細胞そのものを使うよりも規制面、安全性などでハードルが低いため、実用化への研究は現在進行していると考えられます。
4. とはいえ、使用には慎重にならなければならない
このように、期待される幹細胞培養上清ですが、幹細胞分泌物がCOVID-19へどのように関与するか、そして身体にどのような影響があるかについてはまだ明らかになっていない部分が多く、慎重にならなければならない部分もあります。
コスメ・化粧品であれば皮膚への塗布ということになりますが、COVID-19の治療に使う場合は、注射、点滴、または錠剤、粉末での服用という形が予想されます。
そのため、安全性の確立については細心の注意が必要であり、拙速な治療への使用開始は薬害のような問題を引き起こす可能性があります。
安全性、品質面での保証をするために、幹細胞培養上清を使うための法整備も必要になってくるでしょう。
COVID-19のワクチンが認可されるための期間は、緊急事態ですのでかなり早くなっています。
では幹細胞培養上清を使った医療製品の認可はどうかというと、通常の認可ステップで行われると予想されます。
その理由は、幹細胞培養上清の成分に期待されるものが「直接的にCOVID-19に効果があるわけではなく、COVID-19によって引き起こされる症状の緩和に期待が持てる」という性質だからです。
COVID-19のワクチン自体はこれまでに製造されたことがなく、今回の流行に対処する形で作られたものが最初のワクチンです。
しかし、幹細胞培養上清の成分に期待される効果は、現在それに相当する薬剤がないわけではありません。
おそらく、幹細胞培養上清成分による治療方法は、今後の治療における「治療の多様性」を確保するための新しい方法の1つという位置づけになると思われます。
幹細胞、という言葉が入ると何かした効果がある、と考えられがちです。
しかし、幹細胞が分泌する物質の中に、身体に悪影響を与える物質がないわけではありません。
そして現時点ではその成分が除去されている、失活されている、有効成分のみが抽出されて配合されていることを保証する法的なシステムがないことも事実です。
幹細胞培養上清中の有効成分は、今回の場合は緊急に開発されて使用されるという性質のものではなく、今後、COVID-19のような新たな感染症が発生した時に準備される治療手段の1つになる可能性が高いと考えられます。
対処する方法は1種類でなく多種類あった方が患者の状況によって選択ができるために治療効果を高める事ができます。
今後、そういった観点で幹細胞培養上清由来のサイトカインストームに対する治療薬の開発が行われると予想されます。