- 治療の幅を広げられる可能性がある「ES細胞」とは?
- 1981年に発見されてから現在までのES細胞の歴史
- ES細胞の問題点や課題
「ES細胞」という言葉を聞いて、それがどんな細胞か想像できますか?
最近はテレビなどのメディアで取り上げられることも多くなりましたが、なかなか歴史まで深掘りして伝えているメディアって少ないですね。今回は、ES細胞について実際にどのような可能性があり研究がされているのか、歴史から今後の課題などまでお伝えします!
1. ES細胞とは
ES細胞は、胚性幹細胞(はいせいかんさいぼう)と呼ばれる幹細胞です。英語表記「 embryonic stem cells 」の頭文字を取って、ES細胞と呼ばれています。
受精後5~7日程度経過した胚盤胞から取り出された細胞を、特殊な条件で培養して得られる細胞のことです。
ES細胞には、
- 生体を構成するすべての細胞に分化し、様々な組織や臓器に分化する多分化能
- ほぼ無限に増殖させることができる
という大きな2つの特徴があります。
2. ES細胞の可能性
ES細胞はほぼ無限に増殖することができますので、ヒト組織細胞の供給源として医学や創薬の研究に利用できます。
新薬の開発や安全性の試験、毒性の試験など、これまで実験動物で確かめていたことを、ヒトの組織細胞でできるようになります。このことで、新しい治療法や新薬の臨床化がより早まることが期待できます。
また、様々な難治性の疾患(治りにくい病気)に対する細胞治療の可能性があります。ES細胞を、治療が必要となる様々な細胞へ分化する誘導方法を確立することができれば、細胞移植治療が可能となり、治療の幅が大幅に広がります。
実際に、以下のような病気に対する研究が進んでいます。
- パーキンソン病 → ドーパミン神経への分化誘導の研究
- 脊髄損傷 → 神経幹細胞への分化誘導の研究
- 網膜色素変性症などの眼科疾患 → 網膜細胞への分化誘導の研究
- 心筋梗塞 → 心筋細胞への分化効率を上げる研究
- 糖尿病 → インスリン分泌細胞への分化誘導の研究
3. ES細胞の研究
ES細胞に関する研究は、マウスES細胞の発見から始まりました。その後ヒトES細胞が樹立され、再生医療、病態(患者さんの病気の様子)解明などの分野で目覚ましい発展がみられました。
ここでは、どのように研究がすすめられてきたかを書いていきます。
3-1. ES細胞研究の歴史
ES細胞は1981年にMartin Evans(マーティン・エヴァンズ)らによって発見されました。マウスの胚盤胞の内部細胞塊の細胞を培養し、多能性を持つ細胞を発見したのです。
1995年にJames Thompson(ジェームス・トンプソン)がアカゲザルの胚盤胞からES細胞株をつくり、霊長類でのES細胞株培養に成功しました。その後、1998年に人工授精の余剰胚(余った受精卵)からヒトES細胞を樹立しました。
3-2. 日本での研究
日本でのES細胞の研究の第一人者は中辻博士(当時の京都大学再生医科学研究所所長)ので、日本で初めてヒトES細胞株を樹立しました。中辻博士は、1983年にイギリスでマウスES細胞について学び、1985年にマウスES細胞株を、1998年にサルES細胞株を、2003年にヒト細胞株を樹立することに成功しました。
3ー3. 臨床に向けての日本の研究
日本での基礎研究の中では、欧米と肩を並べるほど臨床へ近づいている研究もあります。
谷口博士(横浜市立大学大学院医学研究科教授)
肝臓、すい臓、腸上皮の幹細胞を多角的に研究されています。中でもすい臓に関しては、ES細胞を「すい島細胞(β細胞)」に分化誘導させる研究を進めておられ、インスリン分泌能(インスリンを分泌する能力)が低下した重症糖尿病の患者さんへの、細胞移植の実現が期待されています。
理化学研究所や多細胞システム形成研究センターなど共同研究グループ
ヒトES細胞由来の網膜組織を、重度免疫不全(免疫に重い欠陥がある状態)マウスの末期網膜変性モデルに移植して機能的に成熟することを確認しました。
今後、ヒトへの移植による検証が待たれます。ヒトES細胞から分化誘導された網膜組織が、臨床で応用的に使える可能性があり、期待されてます。
国立成育医療研究センター研究チーム
生まれたばかりの高アンモニア血症の赤ちゃんを対象とした臨床治験を行っています。ES細胞から作った肝臓の細胞を、病気の赤ちゃんのへその緒を通してカテーテルで注入します。この注入した正常な肝臓の細胞が増殖し、アンモニアを分解できるようになることが期待されています。
生まれたばかりの赤ちゃんは体重が少なく、すぐに肝臓移植ができません。この治療法で3か月ほど命をつなぎ、肝臓移植へ持ち込むのが狙いです。
中内博士(東京大学医科学研究所ヒト疾患モデル研究センター)
血液に関する研究として、遺伝子治療への応用と輸血用血液のための血液分化誘導について研究を進めています。
造血幹細胞の寿命の長さに着目し、造血幹細胞に治療用の遺伝子を組み込めば以後の治療は不要になると考えられています。実際にADA欠損症に対する臨床研究では、症状の改善が認められています。
また、輸血用の血液分化誘導研究では、血小板などの血液細胞を分化させ、分離・精製する実験が行われています。血小板や赤血球は核を持たないので免疫拒絶の心配もなく、放射線を照射することも可能なので、不要な細胞を壊してから使用することもでき、安全性も高いと言われています。
これらの研究を進めるうえで重要になるのは、臨床応用に使うことができるES細胞株の樹立です。そのためには、
- ヒトES細胞専用の細胞処理施設の設置
- 品質管理体系の構築
- 動物由来成分を排除した培養システムの技術開発
が必要でした。2018年に、末盛准教授らの研究グループ(京都大学ウイルス・再生医科学研究所)がこの開発に成功し、日本で初めて臨床用ヒトES細胞株の樹立に成功しました。
そして、日本国内の企業や大学などに配布し、さらなる研究の進化が期待されています。
4. ES細胞の問題点
ES細胞には2点の重大な問題点があります。
- 人間になる可能性のある受精卵を使用する倫理的な問題
- 患者さん自身のES細胞は存在しない
1つ目の倫理的な問題から、ヒトES細胞の作製を認めない国も存在します。日本では、
- 不妊治療のために体外受精し、
- 母体に戻されず、かつ凍結保存された受精卵で、
- かつ、破棄が決まった決定した受精卵(余剰胚)
に限って、ES細胞の作成が認められています。
2つ目の「患者さん自身のES細胞は存在しない」という問題について、例えば、ある女性の治療にその人の受精卵を使用してES細胞を作ったとしても、男性の精子が入っているので、移植した際に拒否反応が起こってしまいます。
他に研究段階の問題点として、
- 多能性維持などのメカニズムが未解明であること
- ほぼ無限に増殖するため、がん化する可能性があること
- 目的の細胞や組織に分化誘導する技術がまだ確立されていない
ことなどが挙げられます。
今後、研究が進むことで技術的な問題は解消していくと考えられます。
しかし倫理的な問題については、言うならば世界中の人々の「気持ち」や「考え方」によるものです。生まれた国や地域、環境、経済、宗教などによりその「気持ち」や「考え方」は大きく異なります。
世界的に統一の考え方を持つのは、なかなか難しそうですね。
5. ES細胞の今後の課題
マウスES細胞に関しては、培養方法について、確立して安定した培養方法がありますが、ヒトES細胞に関してはまだ安定して培養する方法が樹立されていません。
また倫理的な問題から、新たなヒトES細胞株の樹立は合法ですが、文部科学大臣の承認が必要です。ヒトES細胞を用いた新たな研究を申請しても、承認が下りるまでに1年以上かかる場合もあり、研究が遅れてしまうことも懸念されています。
日本から発表された論文の数は、実は世界のわずか1%程度。申請から承認までの時間が長いことが、もしかしたらハードルの1つになっているかもしれません。
6. まとめ
ES細胞はさまざまな細胞に分化することができ、さらに無限に増殖させることができることから、
- 再生医療への可能性が広がること
- 病気の解明や新薬の開発などの研究に多用できること
が期待されています。
ES細胞は、これまで治療が困難とされてきた難治性のがんや、神経損傷などの重篤な疾患を治療することだけでなく、歯や毛が抜けるなどの多くの人の悩みを解決することができるかもしれません。
しかし、倫理的な問題点などから、研究がなかなか進まず臨床化が困難であることが課題となっています。
この記事の冒頭で書いたような「よくわからないけれど怖そうな細胞」ではなく、研究が進むことで多くの可能性が広がる細胞であることをご理解いただけたでしょうか?
研究は日進月歩。
あなたの悩みが「ES細胞(幹細胞)」で解決する日が近い将来、来るかもしれませんね。