1. 腸管上皮と幹細胞
腸管は、食物を消化・吸収するための重要な臓器で、大腸、小腸から構成されています。
この腸管は、日本人の平均で大腸が約1.5 m、小腸が6 mから7 mあります。
腸管表面は腸管上皮と呼ばれており、人体においては皮膚以上に外界のとの接触面積が広くなっています。
この広い面積を利用して、栄養・水分の吸収機能を最大限に発揮し、同時に粘液の分泌や抗菌物質を産生して外敵の侵入を防いでいます。
仕事がかなりハードな部位ですので、腸管上皮は細胞の再生を数日おきに繰り返しており、この再生の中心となっている細胞が腸管上皮幹細胞です。
しかし、再生のメカニズムの詳細はよくわかっておらず、その高度な組織修復力から、臓器再生研究に有望な細胞として、詳しいメカニズムの解明が期待されていました。
ヒトの身体には組織幹細胞という細胞が各組織に存在しています。
組織幹細胞は、個々の臓器、組織において、構成する細胞全てを産み出すもととなっている幹細胞です。血液の場合は造血幹細胞、神経の場合には神経幹細胞と呼ばれる細胞がその組織幹細胞に該当します。
九州大学生体防御医学研究所の中山敬一主幹教授と比嘉綱己研究員が中心となった研究グループは、今回そのメカニズムを解明し、「胎児返り」と「胃上皮様変化」という2つのキーワードが再生に重要であることを明らかにしました。
2. 研究グループが明らかにしたこと
p57という遺伝子は、造血幹細胞、神経幹細胞の細胞周期を停止させるために重要な遺伝子です。
このp57遺伝子は、腸管上皮では非常に少ない細胞集団で特異的に発現していました。
この遺伝子が発現している細胞が腸管上皮細胞なのかというとそうではなく、分化した細胞の一種として存在しています。
しかし、腸管上皮組織がダメージを受けると、p57遺伝子が発現している分化細胞は脱分化して幹細胞へと変化します。
このステップで出現した幹細胞はダメージを受けた腸管上皮の修復に作用するため、研究グループはp57遺伝子発現細胞の幹細胞化になにか再生メカニズムを解明するためのカギが隠されていると考え、幹細胞化する時の細胞内状況を解析しました。
もう少し腸管上皮再生についてわかっていることを詳しく見てみましょう。
哺乳類の腸管上皮には、Lgr5発現細胞という幹細胞が存在しています。
このLgr5発現細胞は定常状態の腸管再生には必須の細胞であり、組織の維持に役立っています。
しかし、Lgr5発現細胞が、化学物質、放射線によって一時的に完全に失われたとしても、腸管上皮は問題なく維持されます。
この現象は、Lgr5発現細胞以外にも腸管の障害後再生に重要な幹細胞が存在していることを示唆しています。
ではどんな幹細胞が存在しているのか?については全くわかっていませんでした。
そこで、Lgr5発現細胞に代わる幹細胞を研究グループが探索したところ、p57発現細胞がその可能性があるというデータを示したのです。
3. p57発現細胞の解析
まず、Lgr5発現細胞でp57が発現している可能性を考えました。
組織再生に重要なLgr5という分子と、p57が同時に発現している細胞が存在しているかも知れない、という予想からこの解析を行いましたが、Lgr5発現細胞でp57が発現しているデータは得られませんでした。
つまり、Lgr5発現と、p57発現は全く独立した細胞で行われているという証拠が見つかったのです。
さらに、p57を発現している細胞は、細胞増殖に重要なKi67という分子が存在していませんでした。
これは定常状態時には、造血幹細胞と同様に細胞周期を停止した状態である事を示します。さらに詳しく解析するために、研究グループはp57系統追跡マウスを作成しました。
このマウスを解析すると、p57発現細胞は定常状態においては内分泌細胞群として存在しているが、組織が傷害されると、脱分化して幹細胞となって組織修復に作用することがわかりました。
つまり、Lgr5発現細胞のピンチヒッターとしてp57発現細胞が働くことが明らかになったのです。
4. 幹細胞化への意外なルート
P57発現細胞のプロファイルを解析するために、全遺伝子の発現プロファイルを研究グループは解析しましたが、この結果意外なことが明らかになります。
再生途中のp57発現細胞では、成体、つまり大人の腸管の細胞にもかかわらず、胎児腸管の遺伝子群、そして胃上皮の遺伝子群が発現したのです。
つまりは、再生途中で成体の細胞が胎児の特徴を持つ細胞、また腸管の細胞が胃上皮の細胞の性質になることが明らかになったのです。
腸管の細胞が性質的に胃の細胞になる、という現象は初めて見つかったわけではありません。
生命科学の分野では「化生」という言葉があります。
これは、ある組織の細胞が、別の組織の細胞に置き換わってしまう現象です。
例を挙げると、胃がんなどでは、胃の細胞が腸の細胞に置き換わってしまうことが明らかになっており、「胃の腸上皮化生」と呼ばれています。
逆に、腸管の慢性炎症を示すクローン病では、「腸の胃上皮化生」、つまり、腸の細胞が胃の細胞に置き換わる現象が観察されています。
この現象がなぜ起こるかについて研究グループは、分化した細胞の遺伝子発現プロファイリングをダイナミックに作りかえる、この段階でリプログラミンを行って脱分化を行っているのではないかと予想しています。
分化した細胞を幹細胞化する、つまりiPS細胞を作成するためには、山中因子と呼ばれるOct4、Sox2、Klf4、c-Mycの4つの遺伝子が重要とされています。
このことから考えると、細胞全体の遺伝子発現プロファイルを変えてしまうようなダイナミックな挙動は必要なのか?とも考えられるのですが、実際は山中因子である4つの遺伝子は組み込みに必要なのであって、これらの遺伝子の影響で細胞内遺伝子プロファイルが大きく変わるということは十分考えられることです。
まとめると、p57発現細胞は必要であるときに、遺伝子発現プロファイルを変えて、胎児の腸幹細胞に似たプロファイルを経て(胎児返り)胃の細胞と類似したプロファイルにたどりつきます。
その後、脱分化を完了させて腸管幹細胞になりますが、その時には遺伝子発現プロファイルが胃の細胞を示すプロファイルから、腸管幹細胞を示すプロファイルに作りかえられます。
これで、組織傷害時に緊急出動するp57発現細胞の脱分化メカニズムが明らかになりました。
5. がんにも関係するp57発現細胞
ここまでの結果をまとめると、p57発現細胞は我々ヒトにとって重要で、有用な細胞だと考えられますが、実際はそう単純なものではないようです。
P57発現細胞は、腸管の腫瘍においてはがん幹細胞として機能しているという結果を研究グループは得ています。
がん幹細胞は、がんの再発時に、原発巣のがん細胞よりも悪性のがん、例えば抗がん剤耐性能力を獲得しているなどのヒトに不利に働く細胞です。
このがん幹細胞にp57発現細胞が移行するということは、p57発現細胞がヒトの身体に有用な細胞であるかどうかは、体内の環境に左右されているのではないか、ということになります。
つまり、健常細胞群の中で組織修復に機能するか、それともがん細胞集団の中でp57発現細胞として現れるかによって、ヒトに有利にも不利にも働く細胞ということができます。
このことは、p57発現細胞その動きというよりも、がん細胞がヒトに備わっている修復機能、脱分化機能を上手く利用して、がん細胞に有利になるように動いているということでしょう。
とはいえ、p57発現細胞の解析によって、腸管上皮の傷害から再生するメカニズム、そしてがん細胞集団の中に存在したときの動きが明らかになりました。
この研究成果は、腸管上皮の再生だけでなく、腸管内のがんがどのように悪性化するのかについても我々に大きなヒントを与えるものです。
腸管にはいくつか難病指定されている疾患が存在し、患者は大きな負担を強いられています。この研究は、そういった患者に根治治療を提供する大きな可能性を秘めた研究です。