皮膚細胞を30歳若返らせることに成功、53歳の肌が23歳になった事例

目次

1. 夢の技術「肌の若返り」

「若返り」を求める人は少なくありません。

ヒトは加齢と共に、体のあちこちに問題が出てきてしまいますが、これは生物の宿命というもので、抗っても時計は巻き戻せないとされてきました。

 

しかし、イギリスのバブラハム研究所の研究グループが、皮膚細胞を若返らせることに成功した、と発表しました。

皮膚細胞、つまり肌の若返りは多くのヒトが求めているものです。

美容などの分野では、肌の若返り、アンチエイジングは大きなビジネスとなっており、幹細胞、幹細胞を培養した培養液を使ったアンチエイジングなどが行われています。

 

さらに、研究グループは、皮膚細胞でのメカニズムを応用して、他の細胞も若返らせることができる可能性があるとしています。

もしこれが実現すれば、糖尿病、心臓病、神経疾患という加齢による疾患の治療方法が大きく進歩することは間違いありません

 

このような若返りの研究は、古来から行われてきました。

科学というよりも、呪術などが主流だった時代もありますが、科学の分野で若返りが大きく進歩したのは、1990年代にイギリスのロズリン研究所(現エジンバラ大学ロズリン研究所)で作られたクローン羊のドリーからです。

 

ドリーは世界初の哺乳類でのクローンという面がクローズアップされて報じられましたが、実際の目的は、胚性幹細胞(ES細胞)を作ることでした。

具体的には、羊から採取した乳腺細胞を、胚に変えるための研究です。

この胚から胚性幹細胞を取り出し、筋肉、神経細胞などに分化させ、必要な臓器・器官に成長させれば、傷ついたり古くなった部分と交換できる、というコンセプトの研究です。

2. iPS細胞の出現で大きく流れが変わる

体細胞から胚を作り、そこから様々な細胞に分化できる胚性幹細胞を作るという技術は、常に倫理と背中合わせで行わなければならない研究でした。

「生命」は受精卵になった瞬間から生命とするべきなのか、それともある程度発生が進行してからを生命とするべきなのか、という議論の中で、たとえ体細胞から作られたとしても、ドリーのように個体に発生可能な胚を生命として扱わなくてもよいのか、扱うべきではないのか、という議論がされていたためです。

 

そういった流れを大きく変えたのは、2006年の京都大学、山中伸弥教授による人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発です。

この技術は、胚というステップを経ずに、体細胞を直接幹細胞にすることができます。

つまり、生命かどうかという議論の対象となるステップを経ずに幹細胞を作ることが可能になったのです。

3. 皮膚細胞が若返った

バブラハム研究所のウォルフ・ライク教授らのグループは、iPS細胞作成技術を使って、53歳の女性から採取した皮膚細胞が若返るのかどうかを実験しました。

iPS細胞を作るための培養条件は、培養期間だけを見てみると、約50日となっています。

研究グループが、この培養期間を50日間から12日間に短縮しところ、iPS細胞にならずに、23歳相当の皮膚細胞になりました。

つまり、30歳若返ったことになるわけですが、これはなぜでしょうか?

 

この研究結果から予想すると、細胞はiPS細胞化の処理を行うと、「時間を遡る」、つまりそれまでに経過した時間を遡るような形になる、つまりどんどん若返って、最終的には分化前の幹細胞、つまりiPS細胞になることになります。

研究の詳細は、2022年4月に発表されましたが、この、「iPS細胞化とは時間を遡ることではないか」ということはいくつかの研究者が唱えていました。

研究結果は、この仮説が真実である事を示唆するものです。

 

となると、若返り、加齢による身体の問題解決に応用できる有用な技術になるのですが、どうやらすぐにできるというわけではなさそうです。

4. 若返ることの副作用は?

ロンドンにある生命科学系の研究所、クリック研究所のロビン・ロヴェル・バッジ教授は、この技術が実用化されるまでには、最も単純な応用であったとしてもかなりハードルは高いだろう、と述べています。

 

同時に、他の組織への応用、そして身体が若返るための治療、薬の確立も容易ではないとつけ加えています。

その理由は、ある効果のある化学物質が見つかったとしても、身体にとっては良い面と悪い面がかならずある、という考え方からです。

 

「酒は百薬の長」という言葉があります。

お酒は、肝臓を壊すなどの影響を身体に与えますが、一方では薬にもなります。

適量(この量はおそらく個人差が大きいと考えられています)であればお酒は身体にいい影響を与えますが、一方で常に身体に悪い影響を与えるリスクもあります。

そして過剰量を接種すれば、身体に悪い影響が目立ち始めます。

 

お酒に限らず他の物質も同様で、薬として使われている化合物は、医師の処方と薬剤師の管理の下に使っていれば良い効果が得られますが、その枠を越えて接種すると身体に害が出ます。

また、多少の副作用があっても、薬の期待される効果がその時点の患者にとって良いと判断されれば使われる事になります。

この最も顕著な例は抗がん剤です。

抗がん剤は、がん細胞を攻撃し、がんを縮小させるなどの効果もありますが、身体への影響も無視できません。

 

バッジはこの点を指摘し、「現時点で、医薬品として使える若返り化合物が見つかり、最小限の副作用しか持たない、という考えは野心的すぎる」と警告しています。

当然研究グループもそのことは把握しており、今後の研究展開は単純に「若返り」にこだわるわけではないようです。

5. 傷の治癒スピードを上げる

研究グループが考えている応用は、皮膚の治癒スピードのアップです。

年齢を重ねれば重ねるほど、皮膚の傷の治癒には時間がかかるようになります。

研究グループは、彼らの研究知見の最初の応用として、この高齢者の傷の治癒スピードをアップさせることを考えています。

 

高齢者の皮膚に傷ができた場合、周囲の細胞を若返り処理し、治癒スピードを早めるというモデルを、この研究の応用として計画し、そのための研究を進めているようです。

この応用化が実現すると、高齢者のケガだけでなく、手術後の傷の回復などに使うことができ、手術後の身体の回復に貢献すると考えられます。

 

さらに高齢者に限らず20歳周辺を境に、皮膚などは老化が始まるとされており、かなり幅広い年代の患者に使える技術になることが予想されます。

6. 若返る、をどう定義するのか?

そして、こうした研究と並行して行われている解析は、「若返るとはどういう事か?」の研究です。

今回の研究で皮膚細胞が30歳若返ったという結果は、いくつかのファクターを解析した結果、データは細胞が本来の患者の年齢よりも若いことを示していた、ということです。

しかし、現時点で「若い細胞と年老いた細胞の違い」の全てが明らかになっているわけではありません。

これはどういうことかというと、「現時点で細胞が若返ったというデータは、我々人間が知っている範囲で若返ったことが証明された」ということなのです。

 

皮膚の若返りというキーワードは、美容・コスメの分野で直接ビジネスにつながるために、研究結果が出てくると、美容サロンなどがすぐに反応するという傾向があります。

実際の医療現場では、その研究結果を慎重に精査して様々なアプローチで解析し、身体にどのような影響があるのかを調べます。

厚生労働省の管轄でこうしたことを行い、安全基準をクリアした治療方法、医薬品が我々に提供されるわけですが、管轄外の事柄については、ビジネスとして使われる事がやや拙速の傾向が最近見られます。

 

今回の研究は、iPS細胞を作る過程で、細胞は加齢の要素が消えて若返ったと考えられるデータを示した。

しかし、そのデータは我々人間が把握している若返りの要素の一部を満たしているため、今後の研究展開に注目するべきである、ということではないでしょうか。

目次