- 低酸素脳症は、記憶障害、意識障害、認知症、指が細かく震える症状が特徴的なミオクローヌス、コルサコフ症候群、痙攣などの原因となる
- 新生児の低酸素脳症に対する治療として、自己臍帯血幹細胞を24時間、48時間、72時間で投与する方法がある
- 骨髄由来幹細胞を使う脳梗塞治療が研究されている
低酸素脳症とは、循環不全または呼吸不全などにより、十分な酸素供給ができないことで脳に障害をきたす病気のことを指します。
本記事では、低酸素脳症の原因と、低酸素脳症に対する幹細胞治療について解説します!
1. 低酸素脳症とは
低酸素脳症は、脳細胞に酸素が十分行かなくなりことにより起こります。酸素が脳細胞に運ばれなくなる原因は大きく分けて2つあります。1つは血液が脳に、または脳の一部に十分行かなくなること(虚血)によって起こる低酸素脳症となるケース、そしてもう1つは、血液は循環しているが、血液が十分な酸素を含んでいないために(低酸素血症)、脳細胞が低酸素脳症となるケースです。
窒息、心臓停止、呼吸停止、血圧低下などによって、血液の循環量低下、血中酸素量の低下が起こり、低酸素脳症を引き起こします。成人の場合、数分以内であれば、直後に注意力障害、判断力低下、運動障害、身体機能障害が出現することがあります。しかし、後遺症が残らずに回復するケースが多く、自己心拍再開後、おおよそ24時間以内に同行反応、角膜反射の消失などの症状、そして3日程度経過してからの運動障害が起こらなければ、後遺症は残らない場合がほとんどです。
しかし、脳細胞が長時間低酸素状態におかれると、脳の比較的弱い部分、海馬を含む内側側頭葉、大脳皮質、淡蒼球、小脳に障害が残る場合があります。これらの障害が残ると、記憶障害、意識障害、認知症、指が細かく震える症状が特徴的なミオクローヌス、コルサコフ症候群、痙攣などの症状が出現します。
低酸素脳症はいくつかに分類されます。虚血性・乏血性低酸素脳症は、血液の循環量の低下によって起こるもの、低酸素性低酸素脳症は、吸入酸素含量低下による血中酸素濃度低下によるもの、激しい貧血、一酸化炭素中毒による貧血性低酸素脳症、シアン中毒などによって、細胞の呼吸が阻害されたときに起きる組織毒性低酸素脳症、そして低血糖症が原因となる、低血糖小生低酸素脳症が挙げられます。
低酸素脳症が与える細胞へのダメージは、酸素不足による脳細胞の壊死によるものです。脳血流の低下による損傷は、脳の白質よりも灰白質により見られます。
灰白質は中枢神経系の神経組織の中で、神経細胞の細胞体が存在している部分です。白質には神経細胞体がなく、有髄神経繊維が多く見られます。
灰白質が損傷を受けるということは、その部分に存在する神経細胞体が損傷を受けるということになります。特に大脳皮質、視床、海馬、脳幹が障害を受ける部分となり、脳の機能だけでなく、身体の機能に大きな障害を与える結果となります。
低酸素脳症の例としては、脳性麻痺が挙げられます。脳性麻痺は、受精から生後数週間の間に受ける脳の損傷によって引き起こされる運動障害を指します。運動障害、肢体不自由の発症要因のかなりの割合、データによっては7割がこの脳性麻痺が原因と言われています。
脳性麻痺の原因となる脳障害の発生時によって、胎生期、周産期(妊娠22週から生後7日)、出生後(生後8日以降)に分けられます。
胎生期の原因としては、脳の発生の過程で何らかの問題が生じ、脳の形成異常が起こる、または脳出血、虚血性脳障害が挙げられます。このうち、虚血性脳障害は、脳(または脳の一部)への血液の循環量が低下するために、その部分の脳細胞が低酸素状態となって脳に障害ができる現象です。このように、出生後で泣く母体の中でも低酸素脳症と同じ事が起こる可能性があります。
出産を含む、周産期の原因としては、胎児仮死、新生児仮死、核黄疸、脳室周囲白質軟化症(PVL: Periventricular leukomalacia)が原因として挙げられます。このうち、胎児仮死、新生児仮死は、仮死状態になる事によって呼吸が停止し、取り込む酸素が減少することによって血中酸素濃度が低下、低酸素脳症を引き起こすものです。
出生後は、脳炎、髄膜炎、脳血管障害が脳性麻痺の原因となります。脳血管障害は、脳の一部の細胞に血液が行かなくなる原因となりますので、低酸素脳症の原因となり得ます。
低酸素脳症の治療に幹細胞を用いる方法は、この脳性麻痺の大きな原因となる、新生児低酸素性虚血脳症の治療方法の開発が大きな柱となって行われています。
2. 低酸素脳症における幹細胞治療
胎児の出生前後、脳への血流が遮断されると、新生児の低酸素性虚血性脳症(新生児低酸素虚血性脳症とも呼ばれる・HIE: Hypoxic ischemic encephalopathy)が起こり、脳性麻痺の原因となります。脳性麻痺の原因は脳の損傷であり、低酸素だけでなく他の様々な原因がありますが、低酸素脳症は大きな原因の一つです。
出産における医療技術は昔とは比べものにならないくらいに進歩していますが、新生児低酸素性虚血性脳症の発生率は、十分と言えるまでに低下していません。そのため、脳性麻痺になるのを防ぐために、新生児低酸素性虚血性脳症への治療方法開発は必要です。
新生児低酸素性虚血性脳症は、新生児1000人あたり1人から2人の割合で起こると言われています。発症した新生児のうち、15%から20 %の新生児が死亡し、約30 %の新生児に後遺症が残り、脳性麻痺、てんかんなどの原因となります。現在までにこの割合の高さを改善するために有効な治療方法は開発されていません。
以前は、体温を下げることによって身体の活動を低下させて脳を保護する低体温療法が一般的でした。しかしこの治療方法は、脳への障害の拡大を防ぐことが目的であり、その時点で障害を受けた脳の部分の回復はほとんど見込めない治療方法です。そのため、どうしても後遺症が残ることが多く、効果は限定的でした。
2000年代に入り、低酸素による脳細胞への障害を、幹細胞を使って治療する方法として、自己臍帯血に含まれる自己臍帯血幹細胞を使ったものが研究されてきました。生後、すぐに臍帯血を採取し、分離した自己臍帯血を出生後、24時間、48時間、72時間に分けて新生児に投与します。
臍帯血に含まれる幹細胞によって、障害を受けた部分の神経細胞を再生させることがこの治療方法の目的です。自己臍帯血を使った治療方法は、現在も臨床治験が続けられており、複数の大学、病院が協力して研究を進めています。自己臍帯血由来の幹細胞だけでなく、骨髄由来間葉系幹細胞も新生児低酸素性虚血性脳症への適用拡大を目標にした臨床治験が行われています。
名古屋大学では、この低酸素性虚血性脳症に対して、ミューズ細胞を使った臨床治験を行っています。ミューズ細胞は、生体内に存在する多能性幹細胞で、身体のほぼ全ての結合組織、骨髄、末梢血に存在しています。
繊維芽細胞、骨髄間葉系細胞、脂肪由来幹細胞などからも単離が可能で、誘導によって内胚葉、中胚葉、外胚葉いずれの細胞にも分化することができます。すでに、心筋梗塞、脳梗塞、脊髄損傷の患者の治療に使われています。
低酸素性虚血性脳症のモデルラットを使った実験では有効性が確認されており、名古屋大学では、2030年までの実用化を目指しています。
3. 脳梗塞などによる低酸素脳症
低酸素による脳細胞の損傷は、新生児低酸素性虚血性脳症だけではありません。成人においても、脳梗塞などで脳細胞が低酸素による障害を受けることがあります。
この結果、運動機能、身体機能に障害が残ることはよく知られています。こういった障害に対しても、幹細胞治療によって神経細胞を再生し、障害を改善できないかという取り組みがなされています。
自家骨髄幹細胞などの自分の組織由来の幹細胞を使うことによって拒絶反応を抑制し、神経細胞再生の効率を上げる工夫がされていますが、現時点では常に運動機能などが“完全に”回復するレベルではなく、改善は見られるものの、障害は多少残ることが多いようです。
幹細胞をそのまま投与するのか、ある程度分化させてから投与するのか、そして投与方法にもっと定着性、効率の良いものはないかなど、現在でも研究が進められています。