ヒト多能性幹細胞におけるメチオニン代謝と亜鉛動態の関係性を解明

目次

1. 幹細胞の分化と培養液中の成分について

東京工業大学生命理工学院生命理工学系、京都大学大学院生命科学研究科の2つの研究機関を中心として、神戸大学、熊本大学、東京大学、そして味の素株式会社で構成される研究グループは、ヒト多能性幹細胞(pluripotent stem cells、PSC)が分化されない、つまり未分化状態を維持するためには、メチオニン代謝と亜鉛が関与していることを明らかにしました。

この研究成果を使って、膵臓β細胞を分化誘導する新しい培養方法を開発して研究成果として発表しました。

 

ヒト多能性幹細胞を使って膵臓β細胞を分化誘導する際に大きな問題となっているのは、細胞株によって分化誘導される効率が異なる点です。

効率が異なる、ということは研究業界では「再現性がない」、または「再現性に不安がある」とされます。

再現性に問題がある場合、研究の結果として解釈が難しくなるだけでなく、この方法を応用して輪唱における治療に使おうとしても常に安全性の問題がつきまとうため、なかなか実用化ができません。

この問題を解決するきっかけとして、研究グループは安全性と効率化を両立する分化培養方法を開発しようとしました。

この開発の足がかりとして、研究グループはメチオニンとその代謝物に着目しました。

 

2. メチオニンとは?

メチオニンはアミノ酸の一種で、側鎖に硫黄を含んでいる疎水性アミノ酸に分類されています

メチオニンは必須アミノ酸の一つで、メッセンジャーRNAを鋳型とするタンパク質翻訳の開始を合図する分子としても知られています。

 

メチオニンは、果物から野菜、肉、マメ科に広く含まれているアミノ酸です。

肉類では鶏肉、牛肉、魚肉などの大部分に含まれており、動物性由来のものとしては、他にチーズも含まれています。

植物では、ホウレンソウ、グリーンピース、ニンニク、トウモロコシ、ピスタチオ、カシューナッツ、インゲンマメに特に多く含まれています。

 

体内では、血液中のコレステロール値を下げ、活性酸素を取り除く作用を持ちます。また、ピルビン酸へと代謝する経路を持っているため、糖原性という性質も持っています。

糖原性を持つアミノ酸(糖原性アミノ酸)は、アミノ基転移などによる脱アミノ化を受けた後、残った炭素骨格が糖新生に用いられるアミノ酸を指します。

これは、クエン酸回路の中間体であるオキサロ酢酸から解糖系を経由してグルコースに転換されるアミノ酸のことです。

 

また、硫黄移動経路によってシステイン、カルニチン、タウリンの生合成、そしてレシチンのリン酸化などのリン脂質の生成に関与します。

メチオニンが不適切な変換を受けてしまうと動脈硬化症の原因となる事があります。

 

3. 膵臓β細胞とその分化誘導

膵臓β細胞は、血中グルコース濃度の維持のためにインスリンを分泌します。

1型糖尿病はこの膵臓β細胞が何らかの原因で破壊され、インスリンが血中に分泌されないことで発症します。

 

根治治療としては、膵臓、または膵島の移植がありますが、ドナーが不足しており、ヒトの幹細胞の研究が盛んになるとともに、幹細胞を使って膵臓β細胞を分化誘導して移植するという治療方法の研究が多くの研究機関で行われるようになりました。

しかし、幹細胞の細胞株によって分化誘導効率が異なり、実験再現性に問題が生じることが多く、分化誘導の効率化が研究の焦点となっていました。

 

幹細胞から必要な細胞を分化誘導するためには、細胞分化時に使う培養液の最適化が必要です。

培養液中には、アミノ酸、糖、ビタミン類、ミネラルなどの基礎的な物質と、成長因子、シグナル阻害薬などの物質が含まれています。

研究グループはこの培養液の組成で、基礎培地に着目しました。

 

多能性幹細胞が未分化性を維持する一つの条件として、メチオニンの代謝物であるS-アデノシルメチオニンが細胞内に存在することが挙げられます。

メチオニンが欠乏すると幹細胞内のS-アデノシルメチオニンが減少するために分化誘導に適した細胞内状態になることを研究グループはすでに報告しており、2014年にはメチオニンを除去した幹細胞用培養液を開発し、初期分化促進及び分化時に残存する未分化細胞の選択的な除去に成功しています。

 

4. 幹細胞用培地の改良

研究グループはこの研究で、幹細胞の分化制御におけるメチオニン代謝経路の下流の分子の動きを明らかにしようとしました。

遺伝子発現の動向を網羅的に解析した結果、チームが着目した遺伝子は、亜鉛排出トランスポーターSLC30A1という遺伝子です。

 

この遺伝子がコートするタンパク質が関与する亜鉛は、生体にとって必須微量元素です。

タンパク質の構造を安定させる、一部の酵素グループの活性誘導、活性維持、そして細胞内シグナル伝達などの幅広い役割を亜鉛は持っています。

ヒトのDNAにコードされているタンパク質全てのうち、10 %のタンパク質がこの亜鉛との結合するための構造を持っており、インスリンも亜鉛が構造安定に必須です。

 

メチオニンと亜鉛の関係は、数時間メチオニンが欠乏すると、細胞内ではタンパク質結合型の亜鉛が減少します。

つまり亜鉛の濃度が減少するわけですが、この現象にはメチオニン代謝物であるホモシステインが関与することが今回の研究で明らかになっています。

 

これらの結果を受けて、味の素株式会社が亜鉛を除去した培地を開発し、幹細胞を培養すると、メチオニンの欠乏によって引き起こされる現象が起こることがわかりました。

つまり、メチオニンが存在している状態でも、亜鉛がなければメチオニンが欠乏している場合の細胞と同じ状態になるわけです。

研究グループはこれらの結果から、メチオニン欠乏が幹細胞内の亜鉛含有量を低下させ、結果として細胞分化が起こると結論づけました。

 

さらに、亜鉛除去培養液を使って複数の多能性幹細胞を効率的に内胚葉に分化させることにも成功しており、この方法とメチオニン欠乏培養液を組み合わせることによって、多能性幹細胞から機能的な膵臓β細胞を分化誘導することに成功しました。

この方法は今までの方法と比べて、確実性、効率性において優れたものです。

 

さらに、この分化誘導方法は、未分化細胞の混入が抑制できることと、細胞の腫瘍化リスクも回避できます。

この2つは幹細胞を使った技術においては非常に重要な点であり、この特徴がこの研究で開発された分化誘導方法を優れたものにしています。

さらに、この方法は膵臓以外の臓器への分化誘導にも使えることが確認されています。

つまり、非常に汎用性の高い分化誘導方法と言えます。

 

5. 膵臓以外にも拡がる研究成果

膵臓以外の臓器の分化誘導にも使える方法と言うことは先に述べましたが、この研究成果はそれ以上の大きな成果を挙げています。

それは、多能性幹細胞の未分化性維持、分化誘導にアミノ酸とミネラルの関連性が関与しているということを世界で初めて証明したことです。

 

幹細胞に限らず、培養細胞を培養する時に用いる培養液には様々な栄養、ミネラルが含まれています。

どの物質も細胞の維持、増殖などに何らかの役割、機能を持っていますが、幹細胞の培養技術においてアミノ酸とミネラルの関係性を明らかにする研究はこれまで行われていませんでした。

 

アミノ酸が連なった鎖が3次元構造を取ることでタンパク質は形成されますが、このタンパク質と亜鉛のようなミネラルとの関係は様々な細胞内現象で明らかにされています。

例えば、薬物を代謝する薬物代謝酵素にはcytochrome P450という酵素があります。

Cytochrome P450には多くの種類があり、CYP1A1、CYP1A2のようなCYP1A family、CYP3A4に代表されるCYP3A familyなど多種の酵素があります。

これらの酵素は、鉄と密接な関係があり、酵素として活性を持ち、薬物を代謝するためには鉄が必須の場合がほとんどです。

 

幹細胞においてもミネラルの関係は予測されていましたが、今回の研究のように相手のアミノ酸を特定し、具体的なシグナル経路も含めて明らかにした研究はありませんでした。

この研究成果は、今後の幹細胞用培養液の開発に大きなヒントを与えるものであり、今後数年間はミネラルとアミノ酸の関連に焦点を当てた新たな培養液が次々と開発されることが予想されます。

 

幹細胞の研究、また幹細胞を使った再生医療において、今回の研究は大きな貢献になり、技術革新の速度を上げる研究成果です。

また、移植用の膵臓β細胞が効率的に、かつ高い安全性の下で生産することができれば、糖尿病治療が大きく進歩することは確実です。

 

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