成体脂肪由来前駆細胞ARDCから心筋細胞への直接リプログラミングに成功の開発に成功

目次

1. 幹細胞と前駆細胞

間葉系の幹細胞に関する研究では、間葉系幹細胞(MSC、mesenchymal stem cell)と間葉系前駆細胞(ADRC、adipose-derived regenerative cell)という言葉がよく使われています。

この2つの細胞は、ここから分化誘導を行って様々な細胞に分化できるという点では共通しています。

しかし、研究によってはこの2つの細胞が異なるという結果を示しているものもあり、同じ細胞として扱っていいのか、それとも異なる細胞として扱うべきなのかはまだはっきりしていません。

 

名古屋大学が2022年7月に研究成果を報告したプレスリリースでは、「間葉系前駆細胞」という言葉を使っていますが、この細胞は「幹細胞のように他の細胞に分化誘導することが可能な細胞」とされています。

 

この研究で間葉系幹細胞ではなく間葉系前駆細胞を使った理由は、間葉系前駆細胞は幹細胞の中でも採取が容易であり、腫瘍形成能も低いためです。

これらの特徴は、安全性の問題が少ない、倫理的な問題をクリアしやすいという利点につながります。

近年、この間葉系前駆細胞は自家移植を用いる細胞治療に有用であるとして注目されています。

名古屋大の研究では、この特長を活かして新たな心臓再生治療方法を確立することを目標としています。

2. 前駆細胞を使った虚血性心疾患治療法開発の背景

世界保健機関(WHO, World Health Organization)によると、21世紀になってからの世界の死因第一位は虚血性心疾患です。

21世紀になってから20年以上経過していますが、この20年間で虚血性心疾患による死亡者は200万人以上増加し、2019年では約900万人に達したとされています。

心疾患の予防法、治療法は日々進歩をしているにも関わらず、これだけの死亡者増加が見られるということは、生活習慣の変化、環境の変化など様々な要因が考えられます。

 

幹細胞の発見、そしてiPS細胞に見られる幹細胞の人工的な構築が可能となってから、幹細胞による心疾患の治療方法確立は多くの研究者が行ってきた分野です。

今回研究成果を発表したグループも、幹細胞・前駆細胞を使った心臓疾患の治療を、再生治療で行おうと治療方法の確立に取り組んできました。

 

その中で、脂肪組織が心筋再生を視野に入れた再生医療において、幹細胞・脂肪細胞の供給源として有用である事が多くの研究機関で明らかになってきました。

名古屋大のグループも、脂肪組織由来の前駆細胞が心疾患の再生医療において有力な細胞である事を示してきました。

 

着目した間葉系前駆細胞は、下肢虚血のモデルマウスに移植すると、SDF-1(Stromal cell-derived factor 1)というケモカインを分泌し、障害がある部位の血管新生を誘導し、虚血肢の回復を促すことが証明されています。

 

この研究結果を受けて、心筋再生を心筋梗塞モデルマウスを使って試みると、梗塞部位に移植された間葉系前駆細胞から血管新生を誘導する分子であるVEGF(血管内皮細胞増色因子、Vascular Epithelia Growth Factor)とbFGF(塩基性繊維芽細胞増色因子、Human basic Fibroblast Growth Factor)が分泌されました。

これらの分子によって、血管新生の促進、心筋梗塞サイズの縮小、線維化の抑制が見られ、生体レベルでは生存率の向上、心機能の回復という結果が得られました

 

ヒトによる臨床試験では、自家移植した間葉系幹細胞の移植によって重症虚血肢の患者の血管新生が促進され、組織の炎症を抑制して損傷組織が修復されました。

これらの研究結果をさらに発展させ、臨床での治療法に高い効率性を導入しようとしたのが今回の研究です。

 

3. 前駆細胞から直接リプログラミングに成功

名古屋大学の研究内容を詳しく見てみましょう。

まず研究チームは、名古屋大学附属病院、名古屋大学大学院医学系研究科、そして名古屋市立大学医薬学総合研究院大学院医学研究科によって構成されています。

 

発表によると、この研究チームは、成体の脂肪組織由来の間葉系前駆細胞を使ってリプログラミングの研究を行いました。

成体の脂肪組織由来ということは、胎児などではなく出生してある程度成長したヒトの脂肪組織由来を意味します。

胚性多能性細胞であるES細胞のように倫理的な問題が少なく、脂肪組織から採取するということは、ドナーへの身体的な負担が少なくて済む低侵襲性の方法で行うことができます。

 

この間葉系幹細胞に、6つの転写因子をコードする遺伝子を導入します。

遺伝子は、Baf60c, Gata4, Gata6, Klf15, Mef2a, Myocdの6つで、これらの遺伝子を細胞に組み込んで心筋細胞に直接誘導を行いました。

これは直接リプログラミング法(direct reprogramming, ダイレクトリプログラミング)という方法で、治療に使う細胞準備効率を高めることができます。

4. なぜ6つの遺伝子なのか?

直接リプログラミングに用いる6つの遺伝子を見つけるための研究から今回の研究は始まっています。

ヒトの持つ膨大な遺伝子群から候補遺伝子を見つける方法は、RNAシーケンス解析という網羅的な遺伝子の解析を用いています。

今回の実験はマウスを使って行われましたので、まずマウスの間葉系前駆細胞と心臓組織細胞の遺伝子発現パターンを比較します。

 

遺伝子発現パターンの解析によって、心臓組織細胞で高発現し、間葉系前駆細胞で発現していない遺伝子を特定します。

これらの遺伝子の機能は、これまで多数の研究機関による研究成果によって予測できるので、これらのデータから心筋組織細胞に分化誘導するために必要と予想される遺伝子を発現レベルが高い遺伝子から選び出します。

 

こういった解析によって、まず候補遺伝子を15に絞り込みます。

この15の遺伝子の組み合わせをパターン別に比較し、最終的にBaf60c、Gata4、Gata6、Klf15、Mef2、Myocdの6つを導入遺伝子候補としました。

 

そしてこれら6つの遺伝子を間葉系前駆細胞に組み込みました。

原理は、体細胞からiPS細胞を構築するときの遺伝子操作とほぼ同様です。

異なる点は、iPS細胞を構築するときには脱分化させることが目的でしたが、今回の研究では分化誘導させるという全く逆方向の誘導を必要とする点です。

 

分化誘導した心筋様細胞内には、心筋細胞特有のタンパク質である、α-サルコメリックアクチン、トロポニンTの存在が確認され、RNAシーケンス解析でも分化誘導された心筋様細胞には心臓関連遺伝子が多数発現していました。

 

分化誘導に成功した心筋様細胞が心臓再生治療に有効かどうかについて、この細胞を急性心筋梗塞モデルマウスの梗塞エリアに細胞移植し、経過を評価したところ、マウスの生存率が改善しました。

 

さらに心臓超音波検査を行い、移植したモデルマウスと移植していないモデルマウスを比較すると、経過時間と共に違いが明確になり、移植したマウスでは心臓の状態が有意に良好になっていることが明らかになりました。

 

5. いつ臨床に応用されるのか?

有効性が証明された心筋様細胞は、今後ヒトの臨床試験を視野に入れた研究によって、ヒトの治療にアジャストしたものになっていくと考えられます。

まずは、移植した細胞の安全性について試験が行われ、並行してヒトの間葉系前駆細胞を使った心筋様細胞への分化誘導方法が確立されていくでしょう。

 

その後、実際に疾患を持つ患者への投与を行う臨床試験が実施され、安全性を確認して治療方法が認可されます。

おそらく治療方法として臨床で用いられるには、あと数年と見られますが、腫瘍形成リスクが低い間葉系前駆細胞を使うので、安全性に関してはいくつかの幹細胞を使った治療方法確立よりも短期間で済むと予想されます。

 

この治療方法では、自家間葉系前駆細胞が使えるため、拒絶反応などの可能性が非常に低いことも、この治療方法に大きな期待が寄せられている理由です。

今後、心疾患の患者数は何もしなければ世界的に増加し続けることが予想されています。

予防法の進歩と治療方法の進歩はどちらも重要である事は間違いありません。

予防方法は、我々の生活習慣が心臓疾患現象に大きな貢献をしますが、いったん発症したものは、我々の行動のみでは治療できません。

 

人工幹細胞は、出現以来多くの疾患治療に貢献をしてきました。

この中で、前駆細胞として分類されていた細胞群も、おそらく今後治療方法開発のツールとして注目されるでしょう。

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