脂肪間葉系幹細胞が「重症腎炎」を劇的に改善させる作用機序を解明

目次

1. 再生医療の新たな展開、細胞外小胞を使った治療

2022年7月、名古屋大学大学院医学系研究科腎臓内科学、分子腫瘍学の研究グループは、致死性重症腎炎の治療には、脂肪由来間葉系幹細胞(ASC: Adipose Delivered Stromal Cells)が骨髄由来間葉系幹細胞と比較して有効である事を発表しました。

 

致死性重症腎炎とは、IgA腎症、または難治性IgA腎症と呼ばれる疾患で、国から指定難病とされています。

腎臓の糸球体に免疫グロブリンA(IgA:Immunoglobulin A)が沈着し、検尿では血尿、タンパク尿が確認されます。

初期は無症状で、進行すると腎機能が低下し、高血圧の合併や腎不全に伴う症状が出てきます。

 

治療方法については、根本的な治療方法が得られていないため、対症療法が使われます。

レニンアンギオテンシン系阻害薬、副腎皮質ステロイド薬、免疫抑制薬などの薬物治療、また、口蓋扁桃摘出なども行われることがあります。

一般的には、血圧管理、減塩、脂質管理、血糖管理、体重管理、禁煙などが薬物治療と並行して行われます

 

患者数の把握が難しい疾患で、日本国内には約3万人から3万5千人いると推測されています。

原因ははっきりとわかっていませんが、血液中に増加している異常なIgA(免疫グロブリンA)、糖鎖異常を示すIgAが原因と考えられています。

2. 間葉系幹細胞の再生医療における可能性

脂肪由来間葉系幹細胞は、間葉系幹細胞(MSC: Mesenchymal Stem Cell)に分類される細胞です。

間葉系幹細胞は、幹細胞の中でも優れた再生促進能力と免疫調整能力がある事が知られています。

これまで開発されてきた薬剤で治療効果が期待できない難治性疾患に対する治療効果の期待から、現時点で1000を超える間葉系幹細胞を使った臨床試験が世界で行われています。

本研究グループは、この間葉系幹細胞を難治性IgA腎症に使おうと研究を始め、間葉系幹細胞から脂肪由来間葉系細胞を使った臨床研究を行っています。

 

しかし、間葉系幹細胞の研究では、結果的に治療が上手くいった場合でも、作用機序には不明な部分が見られることがあります。

これは、間葉系幹細胞を使って臨床試験を行った結果、どういうメカニズムかは詳細はわからないが結果的に治療が上手くいった、というケースです。

 

作用機序がわからなくても結果的に上手くいけば良い、という考え方もありますが、治療の安全性を考えると、作用機序はなるべく詳しくわかっていた方がリスクなどの計算もできるので、安心して治療を受けることができます。

また、作用機序の解明によって間葉系幹細胞の治療効果をさらに増強することもできますし、細胞を投与しなくても治療可能な創薬への手がかりとなります。

 

これまでの動物モデルでの研究では、マウスが主に使われていますが動物種が代わり、ヒトで行うと応答が変わってしまうこともあります。

具体的には、薬物代謝の分野においては、同じ哺乳類であったとしてもヒト、マウス、ラットの間には微妙な違いがあり、動物実験の結果をそのままヒトに応用する場合は細心の注意が必要です。

こうしたケースが幹細胞を使った再生医療でもありえるため、幹細胞がどのようなメカニズムで症状を改善するのかについては、分子レベルで研究し、メカニズムを明らかにしておく必要があります。

 

これらの踏まえ、研究グループは、ヒトMSCを使用することで、臨床へ直結する機序解析を行うことを目指しました。

そして分子レベルでのこれまでの機序解析とは全く別のアプローチを取り、生体内に投与したASCがどこでどのように作用しているのかという、体内動態および細胞間コミュニケーションに注目しました。

このメカニズムであれば、マウス、ラットの研究結果を比較的簡単にヒトに応用できる可能性があり、臨床への近道となります。

3. 脂肪由来間葉系幹細胞を投与しても、腎臓に到達するわけではない

研究グループはラットを使い、脂肪由来間葉系幹細胞が骨髄由来間葉系幹細胞よりも重症な腎炎に効果があることを明らかにしました。

同時に、投与した脂肪由来間葉系幹細胞の作用機序を、生体内動態から解明しようと考えました。

その結果、脂肪由来間葉系幹細胞の投与で腎炎を改善させることに成功していましたが、投与した脂肪由来間葉系幹細胞は腎臓にはほとんど存在せず、多くは脾臓に存在している事がわかりました。

 

腎炎を脂肪由来間葉系幹細胞が改善したのであれば、投与した間葉系幹細胞群は腎臓にあると考えがちですが、その予想に反して細胞群は非常に存在したというのは予想外の結果です。

 

となると、脂肪油ら快感葉系幹細胞が脾臓を介して治療効果を発揮している、と考えられます。

このことを証明するための研究に着手し、まずは脂肪由来間葉系幹細胞を投与する際に、脾臓を摘出しました。

その結果、間葉系幹細胞の治療効果が消失し、腎臓における制御性T細胞の誘導も消失しました。

この結果によって、脂肪由来間葉系幹細胞の治療効果は、脾臓に集まった間葉系幹細胞が腎臓に働きかけて効果を発揮しているのではないかという仮説が組み上がりました。

4. 間葉系幹細胞が治療効果のある物質を放出する

この治療メカニズムを理解するためには、まず細胞外小胞(EV: Extracellular vesicles)の理解が必要です。

細胞外小胞は、全ての細胞から分泌される脂質二重膜構造を持っている小胞、小さな粒状をしたものの総称です。

 

脂質二重膜に包まれているところは細胞と同じですが、核を持っていないので細胞とは全く異なります。

細胞内の産生機構の違いから、細胞外小胞は、エクソソーム、マイクロベシクル、アポトーシス小体の3種類に分類されます。

 

このうち、エクソソームとマイクロベシクルは多くの研究で注目されています。

エクソソームとマイクロベシクルを含む細胞外小胞は、mRNA、タンパク質、脂質などの様々な物質を脂質二重膜内に封入して輸送します。

細胞外に出てくるため、この輸送は他の細胞に運ぶための輸送で、細胞間のコミュニケーションを行うための重要なツールである事がわかっています。

 

今回の研究においては、脾臓に到達した脂肪由来間葉系幹細胞が細胞外小胞を放出し、その小胞が移動していることが証明されました。

これは、腎臓で見られる細胞外小胞の多くが脂肪由来間葉系幹細胞から排出されたものであることがわかったためです。

 

細胞外小胞が物質を輸送するとき、タンパク質1種類につき1つの細胞外小胞という形態はとりません。

1つの細胞外小胞に複数のタンパク質を封入して輸送するという効率的なメカニズムを細胞外小胞は持っています。

5. 細胞外小胞が症状改善を促す経路

脾臓の脂肪由来間葉系幹細胞は、細胞外小胞を放出し、その細胞外小胞は、免疫を制御するマクロファージに特異的に輸送されます。

細胞外小胞によって免疫制御機能が強化されたマクロファージは、細胞外小胞と共に、脾臓から循環血液中を介して腎臓に到達します。

そして、腎臓に到達したマクロファージは、腎臓を修復し、腎炎の症状を改善します。

 

今回の研究では、脂肪由来間葉系幹細胞から分泌された細胞外小胞を初めて検出することに成功し、意外な結果を得ることができました。

同時に、細胞外小胞が免疫制御マクロファージの機能変化を促したメカニズムを次世代シーケンサーで解析し、今後の創薬に大きく役立つデータを得ることができました。

 

次世代シーケンサーで得られるデータには、細胞外小胞が免疫制御マクロファージの機能変化を誘導している際にどのような遺伝子が発現を変動しているのかが含まれています。

そして今回明らかとなった細胞外小胞の効果については、今後細胞外小胞内にどのような物質が含まれているかを明確にすれば、この物質そのものが免疫制御マクロファージを使った治療方法に使える創薬シーズとなります。

 

幹細胞が放出する細胞外小胞の研究は、この研究をきっかけに大きく拡がると予想されます。

現在は、幹細胞を分化誘導させて体内に投与する、または幹細胞そのものを投与するという方法が再生医療では主流ですが、近い将来、人工的に培養している幹細胞、または幹細胞から分化誘導した細胞から放出される細胞外小胞を大量生産することによって、治療に使える小胞を作り出すという方法が大きな流れになるかも知れません。

 

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