幹細胞事例|幹細胞からの腎臓組織作製

目次

1. 幹細胞を使い腎機能の回復に成功

2020年8月、京都大学のチームが、ヒト間葉系幹細胞から腎臓の組織を作り、この細胞を腎不全のラットに注射したところ、ラットの腎機能が回復したという成果を発表しました。幹細胞を使って生体内で機能する腎臓組織の作成に成功したのは世界で初めてです。

著者名は、Toshihiko Machiguchi氏(町口敏彦氏)と、Tatsuo Nakamura氏(中村達雄氏)になっています。2人は、京都大学再生医科学研究所臓器再建応用分野所属であり、中村達雄氏が准教授としてラボリーダーを務め、町口敏彦氏は研修員(新聞記事では元リサーチフェロー)として所属しています。町口敏彦氏は、現役の医師として現場で医療にも携わっており、いくつかの病院で腎臓専門医として診療をしています。

2. 論文の概要

この論文は、BBRC(Biochemical and Biophysical Research Communications)という専門誌に発表されました。タイトルは「Regenerated nephrons in kidney cortices ameliorate exacerbated serum creatinine levels in rats with adriamycin nephropathy(腎皮質で再生されたネフロンは、アドリアマイシン誘導性の腎症ラットにおける悪化した血清クレアチニンレベルを改善方向に誘導する)」です。

著者達は、腎臓の再生は、「腎臓の発生メカニズム」と「腎臓の修復メカニズム」の2つに分類されると考え、「腎臓修復のメカニズム」を人工的に作り出そうと考えました。慢性腎不全(CRF:Chronic renal failure)のラットを使い、このラットの腎臓機能の改善を目指す研究を行って今回の論文発表に至っています。

まずは、ヒト間葉系幹細胞(MSC:Mesenchymal Stem Cell)を人工培養します。この培養には、従来とは異なったゲルの複合体を使った培地を用いて、細胞を3次元培養(平面上に細胞が増えるのではなく、立体状に細胞が増える培養方法)によって、間葉系幹細胞分化型尿細管上皮細胞(TEC:Tubular epithelial cells)を作製し、ラットに注入します。

ラットは、薬剤によって腎臓に損傷を与え、慢性腎不全の症状を与えられています。与えられた薬剤は、アドリアマイシンという抗がん剤です(ドキソルビシンという名前で呼ばれることもあります)。このアドリアマイシンは、体内でNADPHチトクロムP-450還元酵素によってラジカル(ラジカルには活性酸素が含まれます)となり、フリーラジカル性障害を引き起こします。これは腎臓に影響し、腎不全の原因となります。

この状態のラットに、人工的に培養したヒト間葉系幹細胞分化型尿細管上皮細胞を注入して腎臓機能が回復するかどうかを解析したのがこの論文です。腎臓機能の評価は、血清クレアチニンレベルによって判定されています。

この解析の結果、間葉系幹細胞分化型尿細管上皮細胞を注入したラットでは、血清クレアチニンレベルの改善が見られ、腎臓機能が改善したと判定できる結果を得ることができました。つまり、この方法は慢性腎不全の治療方法開発の基礎となる事ができると考えられます。

また、がん患者にアドリアマイシンを投与して起こった副作用に腎機能障害が出た場合、もし細胞浸潤を伴う線維症が見られたときには、尿細管の減少が考えられ、今回著者達が作成した方法で尿細管の数を回復すれば、改善する可能性があることも示しています。この論文では抗がん剤による腎機能障害のメカニズムの一端も解明しています。

論文はいくつかの図が掲載されており、著者達の考えを証明するものとなっています。最初に出てくるFigure 1(図1)では、この移植による血清クレアチニン量を時間を追って解析したグラフが掲載されています。

Figure 2(図2)では、アドリアマイシンをラットに投与したときの腎臓の、病理切片の写真を示しています。そしてFigure 3(図3)では、間葉系幹細胞分化型尿細管上皮細胞を注入したラット腎臓の病理切片を、注入しない対照群のラット腎臓と比較しています。つまりこの論文では、間葉系幹細胞分化型尿細管上皮細胞を注入した場合、血清クレアチニンレベルの改善、そして組織学的な見地から、腎臓再生が上手くいったと結論づけています。

3. 論文の評価

こうした研究成果は、大学、研究機関のプレスリリースを通じて各報道機関が報道します。今回もいくつかの報道機関が報じています。研究成果の重要度は、報道する機関が多ければ多いほど重いのではないかと思われがちですが、科学の分野においては、報道機関が報じるレベルで重要度は決まることがありません。報道機関で報道するかどうかを判断するのは、いわば「科学においては素人」である記者、ディレクターなどです。そのため、時々、過剰な報道があったり、大きな成果が報道されなかったりということがあります。

ここでは、そういった流れではなく、科学業界の流れに沿って論文を見ていきます。

まずは発表された専門誌(ジャーナル)は英語の論文を掲載するジャーナルです。科学の分野において世界共通言語は英語ですので、つまり、「世界中の人が読めるように英語で書かれた論文」です。そして、この専門誌は査読者がついています。

査読者とは、著者達が投稿した論文を読み、この専門誌に掲載するべきか掲載すべきでないかの意見を述べる科学者です。また、「この論文のこことここを修正すれば掲載してよい」、「このデータを追加すれば掲載してよい」というアドバイスを送ることもあります。査読は数人で行われ、誰が査読しているかは著者達にはわかりません。査読者の意見が出たら、エディターが掲載するのか(アクセプト)、掲載しないのか(リジェクト)、修正を要求するのか(リバイス)を決定します。専門誌の中では、この査読をせずに掲載するものもありますが、そういう専門誌に掲載された論文は重要度などが低く見られます。

この専門誌、BBRCは査読者システムを設定しており、この腎臓再生の論文も査読者の査読をクリアし、エディターが掲載の判断をして発表されたものです。ですので、科学的な信頼度はきちんと存在する論文、研究成果と考えられます。

そして次に、専門誌のレベルがあります。現在は数多くの科学専門誌が発行されていますが、その専門誌にも「格付け」というものがあります。良い研究成果、インパクトのある研究成果は格が上の専門誌に掲載されるという傾向があります。もっとも格が高いとされる専門誌は、生命科学、医学の分野では「Nature」、「Science」、「Cell」が代表的です。この3つの専門誌に掲載された論文は、他の専門誌の論文よりもより多くの人に読んでもらうことができ、また他の人の論文に引用される回数も多くなります、

この「専門誌の格付け」は、引用される論文が多く掲載されている専門誌であればあるほど高くなります。IF(インパクトファクター)という指標が発表されており、生命科学の分野で一流専門誌と言われる専門誌はIFが10以上を示しています。

今回報告された研究成果が掲載されたBBRCは、IFがおよそ3.0です。一概にこれで論文評価をすることはできませんが、中堅レベルの専門誌に掲載された論文ということはできます。ではなぜもっと評価の高い専門誌ではないのでしょうか?

それは、先ほど解説した論文で述べたことを科学的に保証するための実験データが、高いレベルの専門誌では不十分だった、と考えることができます。つまり、この研究成果がダメと言うことではなくて、「腎臓の再生に成功した、と結論づけるためにある程度のデータが揃っているが、完全に証明しきれてはいない。」ということです。

こうした科学的な成果は、新聞、テレビのニュースを通じて発表され、それを一般の方々が見ます。一般の方々は、その科学的成果を示した報告、つまり論文まで読む事はまずありません。英語で書かれていることが大部分ですし、論文の全文を読むにはお金がかかる場合もあります。

今回の成果は、「腎臓再生のきっかけとなるデータを得ることができた」と受け取ればほぼ間違いはありません。この成果によって腎臓の再生医療が完成するのではなく、大きく歩を踏み出すことができた、ということになります。今後、この論文を基にして腎臓再生の研究が進み、いくつかの論文が出されることによって再生医療実現への速度がどんどん加速していく、ということが現在の状況です。

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