米ハーバード大学ウィス研究所の研究チームがロボット魚を開発

目次

1. 多方面からのアプローチによって科学は進歩する

幹細胞を使った研究は、その多くが臨床で患者に応用することを最終目的として行われているといっても過言ではありません。

多くの研究機関、研究チームがそれを目指して日夜研究を行っていますが、その中で異色とも言える独特のアプローチで幹細胞の未来を切り拓こうとする研究も存在します。

アメリカ、ハーバード大学ウィス研究所の研究チームは、ヒトの心筋細胞の性質を利用して、自動的に泳ぐロボット魚を作り上げました。

このロボット魚には、幹細胞から分化誘導した心筋細胞が埋め込まれており、この心筋細胞の運動によって水中での推進力を得ています。

一見、「作ってみたいから作ってみた」という域を出ない研究のように思われますが、実はこの研究は、今後の幹細胞の可能性を大きく拡げる研究になるのではないかと注目されています。

2. 心筋細胞とはどんな細胞?

心筋細胞は、心臓を構成する心筋を形成している細胞です。

心筋は骨格筋と同じ横紋筋に分類されますが、骨格筋は随意筋、心筋は不随意筋という違いがあります。

随意筋は自分の意思で動かすことができる筋肉ですが、不随意筋は自分の意識で動かすことができない筋肉で、心筋の他には胃腸などの筋肉である平滑筋が含まれます。

不随意筋の特徴として、細胞内部にミトコンドリアが非常に多く存在しており、心筋のエネルギーの大部分をこのミトコンドリア群がまかなっています。

この研究で使われた心筋細胞は、iPS細胞から分化誘導した細胞ですが、2018年に繊維芽細胞に3つの遺伝子を導入することによって心筋細胞と同様の細胞を作り出せることが明らかになりました。

この細胞は、「誘導心筋細胞」の英語訳、「Induced Cardiomyocyte Cell」の頭文字を使って、iCM細胞と呼ばれ、iPS細胞から分化誘導した心筋細胞と共に、心筋梗塞や拡張型心筋症等の疾患対策として期待されています。

3. ロボット魚の詳細

ロボット魚がどのように作られているのかを解説しましょう。

まず、ハーバード大学では成体ロボットの研究が以前から行われており、2012年にはラットの心筋細胞を使ったクラゲ、2016年には同じくラット心筋細胞を使ったマンタ(エイ)の作成に成功しています。

そして今回、遊泳速度においては、クラゲ、エイを遙かに凌ぐロボット魚の作成に成功しました。

魚の形をしたゼラチン製模型の脇腹部分にiPS細胞由来の心筋細胞を埋め込んでロボット魚は作成されます。

まず、心筋細胞で2枚のシートが作られ、それぞれ左右の脇腹に埋め込まれます。

心筋は伸びと収縮を繰り返す筋肉であるという性質を利用し、右の心筋細胞シートが伸びるときに左の心筋細胞シートが収縮、右の心筋細胞シートが収縮するときには左の心筋細胞シートが伸びるようにすれば、魚の模型は実際の魚のような動きで泳ぐようになります。

心筋は糖分を動力源として収縮を繰り返しますが、問題は左右のシートがタイミング良く、伸びると収縮をしなければ魚のように泳ぐことができません。

一般的に筋肉は、イオンの細胞内流入によって収縮を起こす性質を持っています。

体内ではこの流入は、神経刺激が引き金となって起こりますが、ロボット魚には神経、または神経に代わるものがありません、

そのため、研究グループは、特定の波長の光に反応してイオン流入を誘導する、「光活性化イオンチャンネル」の作用を持つタンパク質群を発見し、このタンパク質を細胞に導入しました。

この導入によって、右の心筋細胞に収縮する波長の光を当てるときには左の心筋細胞に伸びる波長の光を当て、右の心筋細胞に伸びる波長の光を当てるときには左の心筋細胞に収縮する波長の光を当てました。

具体的には、青と赤の光ですが、この2つの色の光を交互に当てることによって左右の心筋細胞は収縮、伸展を繰り返します。

この結果、ロボット魚の身体が左右にくねるような動きをするようになり、この動きはまさに魚が動くような形になりました。

また、発展的な別の方法として、心臓の構造をヒントにした方法も作り出しています。

それは両脇腹にある心筋細胞の間、ロボット魚の身体中央部に心筋細胞の球を置き、この球がペースメーカーのような役割をする仕組みです。

中央の心筋細胞球で始まったイオンの流入は、両脇の心筋細胞に拡大し、収縮が誘導される仕組みになっています。

4. 心筋細胞は学習する?

この方法の場合、理屈では左右両方の心筋が同時に収縮することになります。

しかし実際は、両側の細胞がコントロールされているように収縮のタイミングが調整され、魚の動きを再現することができました。

これは、心筋細胞は筋肉収縮をしたときに、筋肉を伸ばすための受容体が活性化され、すぐに伸びる動作に転じます。

心筋細胞は心臓を構成しているため、激しい心臓の動きに対応しなくてはならないためにこのような性質を持っていると考えられます。

そのため、右側の心筋が収縮したときには左側の心筋が伸展し、サイクルが代わると右側の心筋が伸展すると左側の心筋が伸展することになります。

左右がそれぞれ勝手に動いていれば、魚のような動きはできなくなってしまいます。
魚の動きをするためには左右が同期して動かなければなりません。
研究の結果では、中央に置いた心筋細胞球がこのコントロールを行い、左右の心筋の動きをシンクロさせていました。

さらに大きな発見だったのはエネルギーの供給です。

我々が持っている心筋は、血管網から必要な栄養素、エネルギー源を取り入れて活動していますが、ロボット魚には血管は作られていません。

ロボット魚が入っている水槽内の水に糖分などの必要なエネルギーが加えられています。

つまり、ロボット魚の心筋細胞は、水槽内の水に含まれている糖分を自ら取り込み、この運動を行っていたのです。

培養皿の細胞は、周囲の培養液から酸素、栄養素を取り込んで増殖するため、このロボット魚に埋め込まれた心筋細胞が外からエネルギー源を取り込んで動いても何の不思議もありませんが、これは研究グループの観察によって見つかった事実によって、革新的な発見である事が証明されます。

ロボット魚は108日間にわたって泳ぎ続けていました

この間、研究グループは克明に観察をしていましたが、途中で気づいたことがありました。

それは、ロボット魚の泳ぎが日を追うごとにスムーズに、そして泳ぐスピードが徐々に上がっている印象を受けたのです。

これは、ロボット魚に埋め込まれた心筋細胞群の「生物学的成長によるもの」と結論づけられています。

先に述べたように、外からエネルギーを取り込んで生存し続けるだけであれば、すでにそれは一般的な培養細胞で確認されています。

しかし、この心筋細胞は、生存し続けて運動を継続しただけでなく、生物学的な成長をしていたのです。

これは一般的に実験で使われている培養細胞では確認されていません。

ロボット魚の心筋細胞は、左右の心筋の同調タイミングを最適化し、泳ぐスピードを上げるという生物学的な成長を行っていたわけですが、このような例は現在までに確認されていません。

ただし、108日の泳いでいる期間で、これらの生物学的成長の期間は1ヶ月程度であり、その後は大きな変化はなかったそうです。

つまり、生物と同じように、「成長期」の間は成長するが、ある程度成長した後はそれを維持するということなのかもしれないと研究グループは考えています。

5. 心筋細胞を使った医療に大きく役立つ

この研究は、言葉は悪いのですが一見遊びのように見えますが、心筋細胞を使った医療に大きく役立つことばかりです。

まず、心筋細胞群の同調能力です。

同調能力のメカニズムが解明できれば、人工臓器を作る際に大きな助けとなります。

特に心臓については、多くの移植を待つ患者がいます。

ドナーが現れるのをひたすら待って心臓移植をする現状では、治療を受けられる患者の数は限られます。

しかし、iPS細胞などを使って人工的な心臓ができればこの問題は一気に解決します。

そして、これまでは細胞増殖させ、維持するのみ考えられていた細胞の培養が、やり方によって細胞の生物学的成長を促すことがあるという事実です。

生物学的な成長は、幹細胞からの分化誘導とは異なり、細胞群を構成する個々の細胞同士のコミュニケーションではないかと考えられています。

これも人工臓器の作成には必須の知見となるでしょう。

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