「パズル最後のピース」卵黄嚢になる幹細胞「PrES細胞」の作製に成功

目次

1. 幹細胞が身体を作るメカニズムの解析に大きな進歩

再生医療で注目されている幹細胞ですが、我々が胎児として母体内で身体を作っていく過程でも当然重要な細胞です

このメカニズムの研究には、受精卵が分割して細胞を増やしていく過程で現れる幹細胞の分子メカニズムの解析が必須です。

今回、理化学研究所と千葉大学などで構成される研究グループが、マウスで個体発生に重要な幹細胞を人工的に作成することに成功しました。

受精が成立した受精卵は、細胞分裂を繰り返して細胞を増やしていきます。

この細胞分裂を多細胞生物では「卵割」と呼んでいます。

受精卵が2つの細胞になり、同調しながら4個、8個、16個と細胞を増やし、細胞が増えていきます。

ある程度まで細胞数が増えると、内部に空洞ができ、その空洞を一層の細胞が囲む形になります。

これを卵割腔と呼び、卵割腔形成後から着床前の胚形成初期を「胚盤胞」と呼びます。

胚盤胞の形成は、およそ受精後約5日後に始まります。

胚盤胞は、この頃には細胞数は70個から100個になり、内部細胞塊を持ち、外側には外細胞塊、または栄養膜が形成されます。

この内部細胞塊を単離して培養細胞化すると構築されるのが幹細胞の一種であるES細胞です。

2. 胚盤胞を構成する細胞

胚盤胞は、3種類の細胞から構築されています。

まず、胚になる細胞、この細胞は胎児の身体を作る主力の細胞です。

2つ目は、胎盤になる細胞、そして3つ目は胎盤が作られるまで胚に栄養を送る細胞です。

このうち、胚になる細胞からはES細胞(胚性幹細胞)が構築されており、胎盤になる細胞からもTS細胞(栄養膜幹細胞)という幹細胞を作る技術が確立されています。

そして3つ目の胚に栄養を送る細胞からは、これまで幹細胞が確立されていませんでした。

胚に栄養を送る細胞は、卵黄嚢と呼ばれており、原始内胚葉の細胞です。

研究グループは、今回の研究でこの細胞からの幹細胞樹立に成功し、「PrES細胞(プレスさいぼう)」と名付けました。

PrESは、Primitive Endoderm Stem Cell、日本語ですと原始内胚葉幹細胞を略した言葉です。

この研究によって、胚盤胞を形成する3種類の細胞全てからの幹細胞構築技術が確立されたことになります。

受精卵から始まる発生メカニズム、胚発生のメカニズムは、それぞれの幹細胞を分化して分子メカニズムを解析しなければ詳細が解明できません。

マウスの場合、胎盤を通して胚(将来の胎児)と母胎が栄養などの分子的コミュニケーションを始めるのは受精後10日目以降で、それまでは卵黄嚢からの栄養供給が不可欠です。

胚と胎盤、そして卵黄嚢は密接に関係し合って発生ステップを進めていきますが、この詳しい仕組みは現時点では不明です。

この解明のためには、今回の幹細胞構築技術は必要不可欠なものであり、今後の研究が大きく進展することが期待されています。

3. 研究の詳細

研究グループは、マウスの胚盤胞を使ってさまざまな培養条件を試し、PrES細胞の培養条件を探索しました。

この培養条件の探索は2つの培養条件を確立する必要があります。

まず1つめは、PrES細胞そのものを胚盤胞の細胞から構築するための培養条件の探索、そして2つめは、その細胞を人工的な培養で維持していくための培養条件の探索です。

この2つの培養条件が揃わないと、構築された幹細胞は研究材料として使うことが困難になってしまいます。

さまざまな培養条件から、特定の4種類の物質を加えた培養液がこの条件をクリアすることができ、PrES細胞の構築、維持のための技術が確立されました。

そしてPrES細胞の遺伝子発現パターンを網羅的に解析すると、同じ胚盤胞から作られた2種類の幹細胞、ES細胞とTS細胞を違いが確認され、もととなった原始内胚葉と類似の遺伝子発現パターンを示しました。

さらに研究グループは機能的な解析を行い、このPrES細胞の機能が原始内胚葉と類似の機能を示すかどうかを解析しました。

まず、マウス胚盤胞から細胞を採取、PrES細胞を特定した培養条件で構築します。

このPrES細胞を胚盤胞に注入すると、原始内胚葉に取り込まれ、この時点で胚盤胞に拒否はされませんでした。

さらに、偽妊娠マウスを準備して機能解析を行っています。

偽妊娠マウスとは、雌のマウスを予め去勢した雄のマウスを交配させたマウスです。

この偽妊娠マウスに、PrES細胞を注入した胚盤胞を移植すると、卵黄嚢が正常に発生しました。

さらに、原始内胚葉を除去した胚盤胞に、除去した原始内胚葉の代替としてPrES細胞を注入し、この胚盤胞を偽妊娠マウスに移植すると、発生は正常に進行してマウスが生まれ、この生まれたマウスを解析すると正常なマウスである事が明らかになりました。

この段階で、PrES細胞は、原始内胚葉の代替となることが遺伝子発現パターン、また機能的にも証明されました。

研究グループはここからさらに、ES細胞、TS細胞、そして今回構築したPrES細胞の3種類を人工的に組み合わせ、完全に人工的な胚盤胞を作って偽妊娠マウスに移植しました。

この人工的な複合体は、偽妊娠マウスにおいて、約30 %が正常に着床しました。

7日目から8日目には、二重の卵黄嚢で囲まれた胚に似た構造が偽妊娠マウスの子宮で見られました。

この実験では、通常のマウスの妊娠を完璧に再現するには至りませんでしたが、それでも胚の着床前後の過程は、ある程度再現することに成功しました。

4. 3種類の幹細胞が揃った意

ES細胞、TS細胞、PrES細胞の3つが揃った、ということは、人工的に胚を作る材料が揃ったということになります。

そして現時点では成功していませんが、胚から発生を進行させて人工的に胎児を作ることの可能性も見えてきました。

卵子が受精して受精卵となり、細胞分裂を繰り返して着床、そして本格的に胚発生から胎児になる段階で、着床の時点では細胞はわずか数十個から100個ほどです。

この細胞群が、なぜ生命の起源となれるのかについてはいまだに多くが未解明のままです。

3種類の幹細胞が揃ったことによって、人工の生命体を構築する可能性が大きく高まり、生命の起源についての分子メカニズムが解明される日もそう遠くないかもしれません。

5. 議論が必要な「倫理」の問題

この人工的な生命体を作る技術は、様々なことを明らかにすると考えられます。

それらによって、不妊症などの解決策が見つかるかもしれません。

一方で、考えなければならない問題も存在します。

人工的な生命体を作ることができる、ということは、これまで自然な交配などで産み出されていた生命体が、人間の都合で作り出すことが可能になるということです。

技術としては、人類史上に残る革新的な技術になることは間違いないでしょう。

しかし、悪用されるという方向に使われた場合は、非常に大きな問題となることが間違いがありません。

そういった事を避けるためにも、研究の推進における倫理的な問題についての議論が必要です。

今回発表された研究成果の中では、人工の生命体を完全に構築することはできませんでしたが、3種類の幹細胞が揃ったことで、研究のスピードは加速度を増すでしょう。

幹細胞は、常に研究倫理と背中合わせで進歩してきました。

ES細胞は、胚盤胞からのみ採取できるために、どうしても受精卵を必要とし、倫理的な大きな問題を抱えていました。

それ故に、iPS細胞の作成技術が発表された時には大きな話題となりました。

こういった背景もiPS細胞のノーベル賞受賞を後押ししました。

今回の3種類の幹細胞構築技術確立が完了したということは、iPS細胞のような状況ではなく、実際の人工生命体に人類が大きく近づいたということになるため、この研究の流れでいけば、かなりの確率で人工生命体の構築技術に到達すると思われます。

今後は、研究成果への着目はもちろんのこと、倫理的な議論がどういった方向へ行くのかについても注視が必要です。

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