精子・卵子の元になる細胞を迅速に作れるラット多能性幹細胞の培養方法を開発

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ラット多能性幹細胞培養方法に新たな手法開発

東京大学医科学研究所幹細胞治療研究センター再生発生学分野の小林俊寛特任准教授、岩月研祐日本学術振興会特別研究員らの研究グループは、自然科学研究機構生理学研究所の平林真澄准教授、信州大学繊維学部の保地眞一教授、奈良県立医科大学、京都大学、そしていぎりすケンブリッジ大学の研究チームとの国際共同研究で、ラットを用いて、子宮へ着床後の受精卵からエピブラスト幹細胞と呼ばれる多能性幹細胞を効率的かつ安定的に作れる新たな培養方法を開発することに成功しました。

 

この研究のポイントは、

  1. 樹立されたエピブラスト幹細胞は精子・卵子の元となる始原生殖細胞を迅速に作り出すことができ、この始原生殖細胞から作られた精子を顕微受精することで、健康な産仔を得ることに成功しています。
  2. 本研究成果は、妊娠初期とくに着床前後における受精卵の発達に関わるメカニスズムの解明や効率的な配偶子の産生に役立つ可能性があり、生殖医学研究や畜産業への貢献が期待されます。

 

研究の背景

近年、ヒトを含む様々な動物種の多能性幹細胞から、精子、卵子といった生殖細胞を人口的に作る研究が盛んに進められています。

この研究グループは、2022年にラットのES細胞を使って、受精卵の発達を誘導する段階的な刺激を与えることで、始原生殖細胞を作り出すことに成功しました。

これで、マウス、ラットで受精可能な精子や卵子を作り出すことが可能となりました。

 

この2種以外の動物種でも同じような始原生殖細胞を作り出すことが可能となりつつありますが、これらの受精能力を持つ精子、卵子になれるかどうかについては評価が技術的に、そして倫理的に難しいこともあって明らかになっていません。

 

マウス・ラットを含む齧歯類と、ヒトを含む齧歯類以外の動物の間ではES細胞やiPS細胞といった多能性幹細胞の性質に違いがある事が報告されています。

齧歯類の人工的に作られた多能性幹細胞が着床前の受精卵に近い性質を持っているのに対し、齧歯類以外の動物の人工的に作られた多能性幹細胞は着床後の受精卵に近い性質を持っているとされています。

そのため着床後の受精卵に近い性質をもつ多能性幹細胞から作られた始原生殖細胞が精子や卵子になれるかは実験によって証明されていません。

そこで本研究では、受精能力の評価が可能なラットを用いて、受精卵着床後の性質に近い多能性幹細胞であるエピブラスト幹細胞を作る培養系を開発しました。

これによって作られたエピブラスト幹細胞を使って特徴を明らかにするとともに、そこから生殖細胞が作られるかどうか検証しています。

エピブラストは、胚盤胞が着床した後に内部細胞塊から発達する細胞層のことです。

ここから将来の外胚葉、中胚葉、内胚葉が分化することがわかっており、ES細胞が内部細胞塊から樹立されるのに対して、エピブラストから樹立した多能性幹細胞をエピブラスト幹細胞と呼んでいます。

 

研究内容の詳細

まず、研究チームはラットエピブラスト幹細胞の培養法の確立に着手しています。

ラットの着床後の受精卵からエピブラストと呼ばれる多能性細胞の塊を取り出し、マウスのエピブラスト幹細胞の培養に必要とされるアクチビンAとβFGFというサイトカインを含む培養液を用いて培養しました。

この培養方法ですと、エピブラストは自然に細胞死または他の細胞へ分化してしまい、多能性幹細胞として安定して培養することはできません。

そこで細胞死を抑制することが知られるROCKシグナル阻害剤と自発的な分化を抑制する効果が知られるWntシグナル阻害剤という低分子化合物を培地に継続的に加えたところ、高い増殖性と均一な未分化性を保ったまま培養できるエピブラスト幹細胞を作ることが可能になりました。

樹立したラットエピブラスト幹細胞の遺伝子発現を確認したところ、着床前の受精卵よりも由来となった着床後の受精卵に近い特徴を持っていることが明らかになりました。

この特徴はラットエピブラスト幹細胞に山中因子の一つであるKlf4という遺伝子を導入すると着床前の受精卵に近い状態に戻せる、すなわち初期化できることでも示しています。

次にその多能性を評価するために幹細胞を免疫不全マウスの精巣に移植すると、数か月後に幹細胞を起源として体を構成する多様な細胞/組織を含むテラトーマを形成できることが明らかになりました。

これらのことから、エピブラスト幹細胞が由来となった着床後受精卵のエピブラストに近い特徴を持ち、様々な細胞を作り出せる能力=多能性を保ちながら、試験管の中で培養できていることが明らかになりました。

 

幹細胞から始原生殖細胞の産生が可能か?

次に、ラットで作製したエピブラスト幹細胞から始原生殖細胞を作り出せるかどうかを検証しました。

約10000個のラットエピブラスト幹細胞を細胞塊にし、そこに始原生殖細胞を作るのに重要なBMP4と呼ばれるサイトカインを加え培養しました。

培養を開始して約3日後、塊のうち約20%程度の割合で始原生殖細胞が細胞塊に発生することがわかりました。

この始原生殖細胞は、以前に本研究グループが報告したES細胞から誘導した始原生殖細胞と同様の遺伝子発現パターンを示したことから両者が極めて近いものであることが示唆されています。

 

またラットエピブラスト幹細胞由来の始原生殖細胞を精子のできないラットの精巣に移植すると、移植後約2-3か月後には精巣の一部で精子および精子細胞の形成が認められました。

さらに、このラットエピブラスト幹細胞由来の精子細胞が授精して個体を作る能力を持っているか検証するため、ラットの未受精卵に顕微授精し検証を行っています。

この検証は、雌ラットの卵管に移植するという方法ですが、この検証で正常な産仔に発達することが確認され、ここまでの結果から、ラットエピブラスト幹細胞からBMP刺激により直接的に産生した始原生殖細胞は、健康な個体の誕生につながる正常な機能性を持っていることが明らかとなりました。

 

生殖細胞作成技術の発展のカギ

ラットの着床後エピブラストから樹立されたエピブラスト幹細胞は精子・卵子の元となる始原生殖細胞を 3 日間という短期間で作り出すことができました。

この期間短縮は研究の効率性をあげるために大きな貢献をすると考えられています。

これまで、研究チームの方法では着床前の受精卵に近い ES 細胞を使っていたため、一旦 ES 細胞を着床後の受精卵の状態に近い状態に 2-3 日かけて変化させ、それをさらに 3 日間刺激するという 2 つのステップを経て始原生殖細胞を作らなくてはなりませんでした。

 

そのため今回の細胞を用いた方法では培養に必要な期間を約半分に短縮できたことになります。

また段階を踏むという手間がかからずに始原生殖細胞を作り出すことができるため、多くの生殖細胞を必要とする解析や、薬剤のスクリーニングに適しており、生殖医学研究に大きく貢献できると期待されます。

 

こうした作成効率の上昇は、期間短縮のみならず、コストダウンにも大きく貢献するため、今後は多くの研究室がこの研究に着手できることになります。

大規模な研究助成金を有する研究室でなくてはなかなかできなかった実験研究が、中堅レベルの助成金を獲得している研究者、研究室で行うことができるということは、この分野の発展に大きな貢献をするでしょう。

 

さらに今回の研究では初めて着床後の受精卵に近い多能性幹細胞の一種であるエピブラスト幹細胞から作った始原生殖細胞を使って、精子・精子細胞およびそれら由来の健康な産仔を得ることに成功しました。

広い意味ではこれは人工的に生命を誕生させることができるという可能性を孕んだものです。

今後は倫理的な問題と共に、研究における倫理規定などが細かく決められていくとみられますが、このことは着床後の受精卵に近い性質をもつヒトやその他の動物の多能性幹細胞から作られた始原生殖細胞からもきちんと精子や卵子が作れる可能性を示唆しており、今後の生殖医学研究および畜産業へ貢献する生殖細胞作製技術の開発が一層発展すると期待されます。

 

特に同等の肉の生産などが重要視される畜産においては、こういった方法でコストを減らすことができれば国内産業の生き残りにも十分貢献することができます。

外国産の安い肉などではなく、効率化されて生産されることで低価格化が実現できる国産肉の生産も近いうちに可能になるかもしれません。

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