細胞培養の効率化で再生医療の未来を拓く可溶性マイクロキャリア

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効率的な再生医療のために

大日本印刷株式会社(DNP: Dai Nippon Printing Co., Ltd.)と株式会社Hyperion Drug DiscoveryHDD)は、再生医療の他、バイオ医薬品などにおける細胞培養工程で、細胞の足場材として使う「微小粒子」を開発しました。

この微小粒子は「マイクロキャリア」と呼ばれ、水などに溶ける可溶性という性質を持っています。

 

細胞培養は以前、培養皿の底に付着させて培養するという2次元培養法が主流でした。

しかしこの培養方法では、培養した細胞の性質が生体内の細胞と異なってしまう現象が頻繁に見られます。

その問題を解決するため、1980年代から生体内の細胞と同じ構造の3次元で培養する方法が模索されてきました。

 

21世紀に入り、素材の開発技術の進歩などで3次元培養が以前よりも簡単にできるようになりました。

しかし3次元培養すればすぐに生体内を模した性質を得るかというとそうではなく、細胞が増殖するための環境、付着する足場など多くの問題がありました。

 

iPS細胞の出現によって分化させて3次元の細胞塊を作るという技術が一般化されてからは、さまざまな解決策が提示され、かなり生体内に近い性質を持つ人工的な3次元細胞塊が作られるようになりました。

その解決策の一つがマイクロキャリアです。

 

細胞培養方法の進歩

もう少し詳しく細胞培養の技術的な進歩を見てみましょう。

細胞培養方法が注目されるようになったのは、人工的な培養細胞方法確立がなされた時期、20世紀中頃と、iPS細胞で人工臓器(オルガノイド)を作ることができるようになった近年です。

つまり、現在は2度目の細胞培養方法ブームとすることもできます。

再生医療とバイオ医薬品のニーズがこのブームを後押ししており、細胞培養関連市場は世界的に拡大傾向を続けています。

 

多くの細胞は接着して増殖することが知られており、細胞培養に適した培養器表面の設計が重要になります。

場合によっては、細胞の接着を促すために培養器表面に接着性の物質をコーティングするという手法も使われています。

2次元培養は平面が細胞増殖の場所となりますので、細胞が増殖して増えるに従って空いているスペースが狭くなっていくため、より広い面積が必要になります。

 

3次元培養の場合は細胞が増えることのできるスペースが空間、つまり3次元となります。

この3次元培養において、マイクロキャリアの表面を使って3次元化するという培養方法が利用され始めていますが、マイクロキャリアの材質によって増殖効率が大きく変わります。

 

これまではマイクロキャリアの素材は不溶性ポリマーが主に使われてきましたが、この材料ですとマイクロキャリア同士が衝突して微小な破片が発生する可能性があります。

この微小な破片はフィルターなどで除去することができずに、製剤を作る場合は混入の危険性があります。

 

今回開発したマイクロキャリアは、DNPのコーティング技術と材料選定のノウハウと、HDDの医療製品に使うことが可能な細胞培養技術や薬事規制対応に関する知見を融合させて、細胞の大量培養を可能とし、安全性を高めることで薬事規制もクリアする可溶性のマイクロキャリアです。

 

今回開発したマイクロキャリアの特徴

今回開発されたマイクロキャリアは、現在の主流である2次元培養と比べて作業プロセスの削減、そしてプロセス削減に伴う作業者数の削減、そして培養スペースの効率化によって生産の効率化が実現できる製品です。

 

このマイクロキャリアは培養スペースと使用する培養液などの量をそれぞれ75%削減できます。

再生医療では、患者1人の1回あたりの投与で、細胞数が1億個以上必要となることが珍しくありません。

このステップの効率化することは治療コストの削減にもつながり、今回のマイクロキャリアの開発が治療の現場に与える影響は間違いなく大きなものになります。

 

このマイクロキャリアの素材は、生体適合性の高い藻類由来のアルギン酸ナトリウムの可溶性ゲルになります。

先ほど述べた、マイクロキャリア同士が衝突した場合でも、従来の不溶性ポリマー製品とは異なり、不溶性の微小破片が発生しません。

 

さらに不溶性ポリマー製品とは異なる分離方法で、一般的に再生医療で使用されている剥離剤(タンパク質分解酵素など)で簡単にマイクロキャリアを溶解させて細胞を回収することができます。

このことは、作業効率の向上だけでなく、細胞に対するダメージを最小限にできるため、品質の向上にもつながります。

 

このマイクロキャリアはすでに、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)の「再生医療等製品材料適格性相談」(再生医療製品等の製造に使用する材料としての適格性を確認する制度)を通じて、再生医療等製品の材料として適格性が確認されています。

 

開発した企業はどんな企業か?

Hyperion Drug DiscoveryHDD)は積極的に医療製品、バイオ製品を開発してきた企業ですが、大日本印刷株式会社(DNP)は印刷関連を主力としてきた企業です。

経営の多角化が生き残りに必須となっている昨今ですが、DNPは印刷と情報を扱ってきたという強みを活かして、メディカルヘルスケア分野の新規事業開発に注力しています。

 

印刷で培ったノウハウにより、薄層多層パターニング技術をバイオに応用し、細胞を様々なパターンで安定的に培養できる器材を2008年に国内で初めて実用化しています。

また、温度を下げると培養した細胞をシート状で剥がすことのできる温度応答性培養器材はすでに実用化されており、現場で使われています。

 

メディカル・ヘルスケア関連新規事業を展開してきたDNPですが、今回のマイクロキャリア以外にも、オンラインで患者の服薬状況を確認できる服薬サポートサービス、創薬開発への応用が期待できる立体臓器(実際に小さな腸を作成することに成功)、人工知能を使ったAI支援胸部がん検診読影システムなどを開発しています。

 

2011年に再生医療関連の業界団体、「再生医療イノベーションフォーラム」が発足しましたが、DNPは発足時より参加している企業の一つです。

アカデミックとの共同研究も、大阪大学に6年間、東京医科歯科大学に10年以上共同研究講座を設置するなどで活発に進めています。

 

今後の展開

再生医療は医療の可能性を広げる技術として注目されていますが、普及において問題となる最大の課題に製造コストが高い、細胞などの準備コストが高いということが挙げられます。

 

ES細胞、iPS細胞などの多能性幹細胞の開発で、近年、研究開発が加速している再生医療は、心臓、神経、軟骨、眼、血液、免疫にかかわる様々な疾患を治療する技術として期待されています。

2007年に初めて承認された重度の火傷治療用細胞シートに始まり、現在は10品目以上が承認されていますが、細胞の培養に手間と時間がかかるという問題はなかなか解決できていませんでした。

その結果、高額医療の範疇に入ってしまう再生医療は、効率化が実用化の大きなハードルと考えられています。

 

医療現場だけでなく、基礎研究の現場でもこれらの製品は研究コストの削減につながります。

バイオ実験機器のメーカーは、国内、国外に多数存在しますが、最近の円安傾向によって実質的な研究コストが増加し、そのことが日本の研究の足枷になっています。

 

今回のDNPHDDの共同開発のような形式で、日本発の研究機器が低いコストで使えるようになれば、研究コストの削減によって多くの研究室で再生医療に向けた基礎研究が可能となります。

選択と集中で失敗した日本の科学政策の負債を解消するためには、こうした国内での器材開発が必須であり、今回のマイクロキャリア開発はそういった問題解決の1つのきっかけとなり得る成果と言えます。

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