高校球児にも幹細胞治療は有効?医師が考える高校スポーツの新たな価値観

目次

1. スポーツにも広がる幹細胞治療

スポーツ選手が幹細胞による治療を受けた、という報道は、最近よく目にするようになりました。いくつか例を挙げますと、次の通りです。

  • プロテニス選手のラファエル・ナダル選手は、グランドスラムの優勝経験を10回以上持つ選手ですが、腰痛治療のために自己由来幹細胞の注入によって軟骨回復治療を行いました。
  • プロゴルファーのタイガー・ウッズ選手は、ひざの治療に自己由来幹細胞を使いました。
  • サッカーのクリスティアーノ・ロナウド選手は、筋肉であるハムストリングスの治療のために、自己骨髄由来幹細胞を注入しました。
  • 競泳のダラ・トーレス選手は、膝蓋骨再生のために、自己軟骨由来の幹細胞治療を受けました。

世界トップレベルの選手だけでなく、半月板損傷のマラソン選手が幹細胞治療を受けて、半年後の新潟ハーフマラソンで優勝したということもあります。

この他、ケガではありませんが、競泳の池江璃花子は、急性リンパ性白血病の治療のために造血幹細胞移植を受けています。

そして野球選手は、非常に多くの選手が幹細胞の治療を受けています。

  • ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手は、右ひじ靱帯の治療に幹細胞を使い、故障者リストに入ってからわずか1ヶ月で復帰しています。
  • メジャー・リーグで首位打者、打点王をそれぞれ1回ずつ獲得しているジョシュ・ハミルトンは、長年苦しんでいた膝の治療を幹細胞を使って行っています。
  • 40歳をこえてもメジャー・リーグでプレーし、通算200勝以上を挙げたバートロ・コローン投手は、野球選手で最初に幹細胞治療を受けた選手と言われています。彼は腱の断裂と肘のケガに対して自己骨髄由来幹細胞の治療を受けました。彼はこの時点ですでに30歳をこえていましたが、この治療後、復帰してから5年連続二桁勝利を挙げています。

投手は、投げすぎ、蓄積疲労、または筋力とのバランス、様々な原因で故障をすることが多く、腱の移植手術であるトミー・ジョン手術を受けた選手は、メジャー・リーグでは数百人、日本のプロ野球でも百人をこえます。

最近では、トミー・ジョン手術によってひじにメスを入れずに、PRP療法(多血小板血漿療法)、幹細胞治療を選択するケースが増えています。

一昔前は致命的なケガであったケースでも、現在は選手として復帰できる例が相次いでおり、手術、PRP療法、幹細胞療法と、治療方法の選択肢が増えたことによって今後も復帰して活躍選手が増えることは確実です。

2. 投げすぎによって選手としての寿命は短くなる

治療方法の多様化によって選手は恩恵を受けますが、ケガをしても「必ず選手として復帰できる」という保証はありません。

ケガがどの部分か、治療後の回復度合いによっては、日常生活はできても選手としての復活が難しい場合もあります。

そのため、まずは選手のケガの原因、リスクを少しでも減らすことが重要なのですが、昨今問題となっているのが高校野球での投手の投げすぎの問題です。

高校野球の選手ならば、誰もが憧れる甲子園は、投手の投げすぎという問題を昔から抱えています。

しかも、高校球児は10代半ばから後半、身体はまだ完全にはできあがっていません。

そのため、過剰な投球数は彼らの身体に大きな負担をかけます。

甲子園のみで見ても次の通りです。

  • 2006年、早稲田実業の斎藤佑樹投手(元北海道日本ハム)がトータルで948球。
  • 1997年、平安高校の川口知哉投手(元オリックス)は820球。
  • 2010年、興南高校の島袋洋奨投手(元ソフトバンク)は783球。

彼らは、ハイレベルな投手であったにもかかわらず、プロではそれほど良い成績を上げることができずに引退しています。

最近では、2018年、夏の甲子園で準優勝した秋田の金足農業、吉田輝星投手が、甲子園6試合で881球、県大会を合わせると、11試合で1517球を投げています。

岩手県大船渡高校の佐々木朗希投手が、肩、ひじと将来のことを考えて県大会の決勝に登板しなかったことで議論が巻き起こりましたが、これは身体のことを考えれば監督の判断は当然です。

こうした投げすぎの問題では、自身も甲子園優勝投手である桑田真澄氏(元巨人)は常に甲子園の投球数過多を問題視して発言しています。

しかし一方で、「球数を多く投げることによって鍛えられて強くなる。ケガをするのは投球数が足りないからだ。」と述べる元プロ野球選手も少なからずいます。

どうしても「甲子園」という夢を目の前にしては、投手は投げたがりますし、監督も選手達を甲子園に出してやりたい、という気持ちがあります。

もし全国レベルで通用する投手が2、3人いればこの連投の問題は起きないのですが、そのレベルの投手を揃えることは、野球強豪高校でも難しいことです。

さらに、「野球の能力を買われてその高校に入学する生徒」と、「野球部で好成績を挙げることを期待されて雇用されている監督」の存在が、どうしても勝たなければならないという状況を生んでいます。

必然的に、能力の高い1人のエースに負担がかかり、連投することになるわけなので、いまだに肩、ひじを故障する高校生、また故障はしなくてもダメージが蓄積したままの選手が増えてしまいます。

そういった選手達にも幹細胞治療の普及は心強いわけですが、整形外科の分野で幹細胞を使った治療にあたっている東京大学大学院医学系研究科の斎藤琢准教授は以下のように警鐘を鳴らしています。

3. 高校球児が抱えるリスク

まず、高校生あたりの成長期には、身長が伸びると同時に筋肉も伸びます。

そのため、筋の収縮の幅も伸び、筋運動のパワーも増していきますが、筋肉が結合している骨の成長は、筋肉から少し遅れます。

この遅れによって起こる故障が高校生には多く、筋腱靱帯と呼ばれる、筋肉と骨の結合部分にトラブルが多く見られます。

筋肉のパワーが増大するに従って、トレーニング内容もハードになっていきます。

これは、自分自身がハードと感じなくても、筋肉の能力が大きくなるため、知らず知らずのうちに前よりも負荷をかけてしまうということです。

その際に、筋肉、関節に炎症が起こりますが、ハードな負荷によってそれまでの炎症よりも高いレベルでの炎症が起きます。

この炎症が回復しないうちに負荷を与えると、関節にはダメージが蓄積されていきます。

筋腱靱帯のトラブルは、初期であれば可逆的なので、休養によって回復が可能です。

休みが十分でなく、ダメージを受けたままの靱帯を酷使し続けると、柔らかかった靱帯は軟骨のような硬い性質を持ち始めます。

硬くなってしまうと、動かしにくい、痛みが出やすいという症状が出ます。

さらに、柔らかい方が様々な力に対して柔軟に対応できるのですが、硬くなると、靱帯そのものに大きな力がかかることによって、損傷、断裂が起きやすくなります。

斎藤准教授は、「治療方法があるからといって、無理をしていいということにはならない。この治療方法で100%回復し、選手として復帰できる保証はない。」と述べ、「まずは投げすぎをまねくような環境そのものを変えるべきで、治療方法は万が一のためのものと考えるべき。」とまとめています。

大谷選手が早期復帰したことからも、こういった治療方法の進歩は実感できますが、実際はケガから復帰できずに競技を諦める選手は多数存在します。

最近のスポーツの世界では、医学分野の研究者、運動生理学の研究者と共に、治療方法と同じくらいに「予防法」の研究が進められています。

幹細胞を使った再生医療は、これまで難しかった疾患、傷害の治療に光を当てたことは確かですが、幹細胞治療の進歩と並行して、その疾患にならない予防方法、傷害を受けないための予防方法も重要です。

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