加齢による認知機能低下を改善するグリア細胞由来分子を発見

目次

1. 増え続ける認知症

日本は今までにない高齢化が進行しており、人口に対する高齢者の割合は増加し続けています。

それとともに、認知症の患者も増加の一途をたどっています。

 

認知症とは、脳疾患、障害など様々な要因によって認知機能が低下し、日常生活に支障が出てくる状態を指します。

認知症の中でもアルツハイマー型認知症が最も多く、脳神経が変性して脳の一部が萎縮していく過程で起こる認知症です。

次に多いのが血管性認知症です。

これは脳梗塞、脳出血といった脳血管障害によって起こる認知症です。

障害を受けた脳の部分によって症状が異なることが特徴で、認知機能の保持には差があり、まだら認知症と呼ばれます。

 

認知症は、ゆっくり進行する場合、急速に進行する場合など様々で、血管性認知症とアルツハイマー型認知症が同時に進行することもあります。

その他に、幻視、パーキンソン症状で知られるレビー小体型認知症、社会性を徐々に失っていく前頭側頭型認知症というものもあります。

 

これらに共通しているのは、年齢を重ねるほどなりやすくなるということです。

2020年の調査では、日本における65歳以上の認知症患者数は約600万人と推計されています。

2025年の予測では約700万人まで増加すると見込まれ、この数は高齢者の5人に1人が認知症ということになります。

 

また、65歳以下でも認知症のリスクがあり、若い世代でも脳血管障害やアルツハイマー型認知症のために認知症を発症する事があります。

若い世代の場合は若年性認知症といいますが、2020年には3万5千人ほどの患者がいると推測されています。

2. 認知症の分子メカニズム

認知機能が低下する原因として、神経細胞の機能不全、減少が主なものであると考えられています。

そのため、認知症の治療薬を開発する場合は神経細胞を主なターゲットとしています。

しかしその治療薬は進行を遅らせる、進行を止めることが主な目的のため、加齢によって低下した認知機能の改善を可能にするものではありませんでした。

また、認知機能を改善するためのメカニズムについても不明な部分が多く、あまり理解されていません。

 

今回、この認知症について研究成果を発表したグループは、九州大学大学院医学系学府の大学院生である前田祥一郎氏、山田純博士、神野尚三教授、そして神戸薬科大学の北川裕之教授で構成されるグループです。

3. 研究の詳細

研究を詳しく見ていく前に、理解に必要な言葉を解説します。

まず、神経細胞ですが、この細胞は情報とその処理、伝達に特化した細胞です。

神経系を構成する基本単位でもあり、一般的には情報の入力を行う樹状突起、情報の出力を行う軸索、そして核を持っている細胞体から構成されます。

通常は、発達した脳から新たな神経細胞が産生されることは基本的にないとされていました。

しかし、最近の研究では、海馬などの領域では新生神経細胞が作られることがわかっています。

 

次にグリア細胞です。

グリア細胞は、神経細胞の代謝、構造、環境保持という神経細胞のサポートの役割と、神経伝達の制御、記憶の形成や保持に関わっている重要な細胞です。

グリア細胞、神経細胞に分化する能力を持っているのが神経幹細胞ですが、この神経幹細胞を維持するための微小環境をニッチと呼びます。

 

研究チームは、マウス海馬の神経幹細胞の微小環境を構成しているニッチについて解析を行ってきました。

その中で、コンドロイチン硫酸プロテオグリカンが神経新生の促進と認知機能の制御に必要である事をマウスで明らかにしました。

そして近年になって、コンドロイチン硫酸プロテオグリカンの合成、分解はグリア細胞由来分による制御、つまりグリア細胞が重要であることがわかってきています。

 

そこで研究チームは、神経細胞のグルタミン酸受容体の阻害剤として開発されたメマンチンを使った研究に着手しました。

メマンチンは、抗認知症薬として認知症の治療に処方されている薬です。

この薬を使って、海馬におけるコンドロイチン硫酸プロテオグリカンとグリア細胞由来分子の作用を解析し、加齢によって低下する認知機能のメカニズムを明らかにしようとしました。

 

この研究では、高齢のマウスでは、ニッチの主要な構成成分であるコンドロイチン硫酸プロテオグリカンの発現量が、海馬において低下していることが明らかになりました。

ここに抗認知症薬であるメマンチンを投与すると、海馬のコンドロイチン硫酸プロテオグリカンの発現が上昇しました。

 

同時に、神経幹細胞から産生される神経細胞も増加していました。

このメカニズムを分子生物学的な手法で解析したところ、メマンチンの投与によってコンドロイチン硫酸プロテオグリカンの合成酵素であるCSGalNAcT1の発現が増強され、コンドロイチン硫酸プロテオグリカンを分解する酵素、MM9の発現が低下していることが確認されました。

 

加齢マウスの海馬内で、人工的にコンドロイチン硫酸プロテオグリカンを分解すると、メマンチンの効果が見られず、新生神経細胞の増加も起こりませんでした。

CSGalNAcT1、MM9いずれもグリア細胞由来の酵素であり、ニッチとして神経幹細胞の機能維持をしているときにグリア細胞が非常に重要であることが確認されました。

となると、認知症治療薬のターゲット候補として、グリア細胞も重要であるということになります。

 

この研究で着目したニッチ、微小環境は、がん細胞でよく知られています。

がん細胞によって作られたがん組織では、がん細胞以外の繊維芽細胞も増殖し、マクロファージなどの免疫系細胞が浸潤します。

同時に血管新生が誘導され、がん細胞に酸素、栄養を行き渡らせます。

こうしてがん細胞の周囲に健康な環境とは異なった独特な環境を作り出します。

これをがん分野では微小環境と呼んでおり、この環境からがんの悪性化、転移が誘導されていると考えられています。

 

一方で神経幹細胞の未分化状態を維持、また分裂能力を維持するための微小環境は、認知症治療の大きなカギを握る部分です。

認知症に重要であるコンドロイチン硫酸プロテオグリカンの合成、分解を行う2つの酵素は、いずれも微小環境関連分子です。

このコンドロイチン硫酸プロテオグリカンが消失してしまうと、メマンチンの投与によっても新生神経細胞の増加が見られず、作業記憶、エピソード記憶の改善が見られませんでした。

 

加齢に伴って進行する認知症症状、低下する認知機能の改善には、神経幹細胞のニッチである今度胃陳硫酸プロテオグリカンの発現量を高いレベルで維持し、この維持によって神経細胞の産生を促進することが、認知機能低下を改善する1つのメカニズムである可能性がこの研究で提示されました。

 

これまで認知症治療薬は、神経細胞をターゲットとして開発が行われてきました。

しかしこの研究によってグリア細胞とそれを神経幹細胞維持のニッチ、微小環境も重要であることが示されました。

特に、グリア細胞に直接働きかける薬が認知症治療薬として効果が期待できるということは大きな発見です。

 

4. 高齢者が生活の質を維持できる社会

健康である事は個人個人の心がけで何とかなる部分が多いのですが、人間は誰でも公平に年齢を重ねます。

つまり、生き続けていれば高齢者になるということは絶対に避けられません。

加齢と共に、身体機能は脳の機能も含めて落ちていくことは当然なのですが、この機能低下を少しでも抑制すること、そして改善することは、高齢者が自立して生活できるためには必須です。

 

特に、認知症を改善するという治療方法、治療薬は、今後の高齢化社会の中で社会を維持するために大きな貢献をします。

今回の研究で、認知症治療薬の新しいターゲットが発見されたことで、認知症治療薬の開発ステージは新しい段階に入ったと言えるでしょう。

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