1. 血管の細胞を肝臓の細胞に作りかえる
九州大学生体防御医学研究所の研究グループは、京都大学、国立国際医療研究センターと共同で、ヒトの血管内皮細胞を使って肝臓を構成する細胞の前駆細胞を作り出すことに成功しました。
この成果は、Natureグループの国際誌の1つである、『Nature communication』に以下のタイトルで掲載されました。
「Direct reprogramming of human umbilical vein- and peripheral blood-derived endothelial cells into hepatic progenitor cells」
論文著者は、Inada H., Udono M., Matsuda-Ito K., Horisawa K., Ohkawa Y., Miura S., Goya T.,Yamamoto J., Nagasaki M., Ueno K., Saitou D., Suyama M., Maehara Y., Kumamaru W.,Ogawa Y., Sekiya S., Suzuki A. と、10名以上が名を連ねており、かなり大規模な研究である事がうかがえます。
この論文では、ヒトの血管内皮細胞にある遺伝子を導入し(組み込み)、細胞を初期化します。その状態から肝臓を構成する細胞のもとになる、「肝前駆細胞」を作製する方法について述べられています。この細胞を初期化する方法は、「ダイレクトリプログラミング」という手法です。さらに、この肝前駆細胞から作製した肝臓細胞は、急性肝不全のマウスに移植すると治療効果が見られた、との内容です。
肝臓の細胞は、肝細胞(肝実質細胞)、胆管細胞がメインで、他には、類洞内皮細胞、クッパー細胞、星細胞、ピット細胞から構成されています。この肝実質細胞は、肝臓全体の細胞の70から80%を占めています。
この肝臓の細胞のもとである肝実質細胞を、血管を構成する血管内皮細胞のリプログラミングによって作り出す技術をこの研究チームは開発しました。iPS細胞など、全能性を持つ幹細胞が存在している現在、なぜこのような技術が開発されたのでしょうか?
2. iPS細胞よりも迅速に
iPS細胞、つまり人工多能性幹細胞を使えば、肝臓を構成する細胞を作製することはそれほど難しいことではありません。しかし、iPS細胞を使う場合、目的の細胞に分化させるまでに時間を要します。一方で、急性肝不全の場合、急速に肝臓の機能を失うために、iPS細胞で肝臓の細胞を作ってから移植、では間に合わないケースが多くなります。
iPS細胞も、もとは普通の細胞です。例えば血管内皮細胞を使う場合、血管内皮細胞からiPS細胞を作製し、作製されたiPS細胞を培養して肝臓の細胞に分化させます。今回の研究報告では、このiPS細胞にするステップをとばし、血管内皮細胞から直接肝前駆細胞を作製することによって、iPS細胞作製分の時間を短縮するための技術を報告しています。
さらに、以前に九州大学のグループが、iPS細胞を経由せずにヒトの肝臓細胞の作製に成功していましたが、この細胞は増殖能力がないため、多量の細胞を必要とする治療に使うことは困難でした。しかし、今回の技術では、血管内皮細胞に3つの遺伝子を導入することによって、ダイレクトに肝前駆細胞を作製し、増殖能力も確認されました。
3. 研究内容の詳細
この研究では、ヒトの臍帯静脈、末梢血中に存在する血管内皮細胞を使って、肝実質細胞、胆管上皮細胞に分化する能力を持つ、「誘導管前駆細胞(iHepPC)」の作製に成功しています。
研究グループのメンバー、鈴木教授は今から約10年前に、マウスの皮膚から採取した繊維芽細胞に2つの遺伝子(Hn4αとFoxa1,2,3の3つの遺伝子から1つ)を導入することによって、繊維芽細胞に肝実質細胞の性質を持っている誘導肝細胞、マウスiHepCを作製することに成功しました。この方法をヒトに応用して作られた細胞が、ヒトiHepCです。しかし、ヒトiHepCは増殖能力が低く、大量の細胞を必要とする移植治療、そして創薬のための研究に用いることは困難でした。
そこで鈴木教授らは、「iHepCの性質に、高い増殖能力を加えた細胞」の作製を目標として研究を進めました。ダイレクトリプログラミングで、肝臓の前駆細胞を作ろうとしたわけです。ここで研究チームは、導入する遺伝子の組み合わせを再検討し、最終的にはFOXA3、HNF1A、HNF6という転写因子(遺伝子の発現を調節する分子)を、ヒト臍帯静脈、末梢血由来の血管内皮細胞に導入すれば、安定して増殖するヒトiHepPCができることを発見しました。
このiHepPC細胞を、ヒトの体内と構造が似ている3次元培養細胞塊を構築するようにして培養すると、肝臓、胆管組織様の構造を作り出すことに成功しました。それぞれの機能も、肝実質細胞、胆管上皮細胞と同様、結果的にこの2つの細胞に分化、成熟したと判断できるレベルの細胞が作製できました。
このヒトiHepPCから作製した肝実質細胞が生体内で機能するかどうかを確認するために、急性肝不全のモデルマウスに移植する実験を行いました。急性肝不全モデルマウスは、致死率が高く、生存率が2割というモデルマウスです。そのマウスにこのヒトiHepPCを移植すると、生存率が劇的に改善し、2割だった生存率が8割まで上昇しました。
3. 論文に記載されている将来への展望
この技術の将来的な展望は、研究チームの発表した論文のdiscussion(議論部分と呼ばれ、著者達の考え、仮説、将来の展望などを述べている部分)の最後の段落に述べられています。この部分を日本語意訳で以下に記載します。
「ダイレクトリプログラミングでhuman iHepPCを作製することは、様々な肝臓疾患の医薬品開発、また治療戦略への応用に役立つ可能性があります。培養によってhuman iHepPCから連続的に肝臓実質細胞と胆管細胞が産生でき、それぞれヒト由来肝臓細胞、ヒト由来胆管細胞の代替として様々な研究、治療に使うことができる可能性があります。Human iHepPCは、成人の末梢血内の細胞から生成できるため、血漿サンプルを採取するだけで、理論的には肝実質細胞、胆管細胞を得ることができます。」
肝臓は薬物、化合物を代謝する重要な臓器であり、薬品開発では肝臓の細胞をどうしても使って研究しなければなりません。しかし、健常な肝臓細胞は分裂回数が限られているため、研究、試験に必要な量を確保するためにはかなりのコストがかかります。肝臓がんの細胞であれば、がん細胞の特徴である無限増殖する性質を使って、細胞数を10倍に増やして研究に使うことは難しいことではありません。がん細胞の増殖は、大学の学部学生が当たり前のようにやっている技術です。
しかし、健常細胞、つまりがんではない、健康な細胞だとそうそう簡単にはいきません。生命科学系の企業、公立の研究機関から健常細胞は購入するまたは譲渡されて研究に用いるケースがほとんどですが、細胞分裂回数は限られており、ある程度の回数分裂すると、細胞は分裂しなくなり、増殖が停止してしまいます。
今回の論文で発表された技術は、
- 緊急性の高い肝疾患の治療において、肝臓構成細胞に分化できる幹細胞、または前駆細胞が大量に必要な場合、従来の技術では治療のタイムリミットに間に合うかどうかが問題であった。しかし、今回の論文で発表された技術を用いると、準備期間が大幅に短縮されるため、肝臓前駆細胞を使った治療により早く着手できる。
- 研究、薬物の試験に必須な健常な肝臓細胞の準備において、従来は細胞分裂回数が限定されているために研究、試験に必要な細胞数を確保するためには細胞購入コストがかかっていた。しかし、この技術を使えば、研究、試験に必要な細胞数を準備するためのコストが低く抑えられる、また、iPS細胞から作製する期間と比べると、準備期間が短く済むために、研究のターンオーバーが効率的に進む。
この2つの利点が考えられます。
さらに、今回は肝臓細胞への分化に成功した報告ですが、他の臓器、器官へと分化できる幹細胞、前駆細胞を、iPS細胞を経由せずに作成する技術に応用が可能と予想されます。iPS細胞は常時ストックされていますが、自己由来の細胞を使う必要に迫られた場合は自分の身体から採取した細胞から目的細胞を作る必要があります。この時に、iPS細胞を経由せずに、様々な臓器へ短期間で分化させられる技術が確立されれば、再生医療に大きく役立つと考えられます。