iPS細胞由来の「ミニ心臓」が国際宇宙ステーションへ

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宇宙の環境が生物に与える影響

地球上の生物にとって宇宙は当然全く異なる環境のため、身体にどんな影響があるのかは昔から研究されてきました。

最初に宇宙に行った動物は、英語圏では「フルーツフライ」と呼ばれるミバエであり、目的は宇宙線の被曝が生物にどんな影響を与えるかについてでした。

その後、アカゲザル、ハツカネズミ、イヌ、ラットなどが宇宙空間に送り込まれ、様々なデータが現在の宇宙飛行に役立っています。

 

日本の初飛行は、ミールの秋山豊寛氏ですが、秋山氏はこの時ニホンアマガエルを宇宙に持ち込んで実験をしています。

また、若田光一氏は宇宙に打ち上げられたイモリの回収に携わり、向井千秋氏は金魚を宇宙に持ち込んで「宇宙酔い」の研究と、無重力がメダカの産卵行動に与える研究を行っています。

 

人間は宇宙に行った場合どうなるのか?は多くの議論がなされていましたが、宇宙飛行士の健康に大きな悪影響が見られることはありませんでした。

しかし、宇宙飛行士の場合は長期間に渡る訓練と健康管理を経て宇宙飛行を行います。

今後、一般的に宇宙飛行が行われる場合は、多少身体に健康ではない部分を持つヒトの肥厚も考えなければなりません。

 

そして、これまでの宇宙飛行士の身体データから、宇宙飛行の影響が全くないことがすでにわかっています。

NASAの研究では、宇宙空間のような重力が微小な空間、または無重力空間では地球上ほど働く必要がないため、通常とは異なることが起こるとされています。

 

心臓は身体の上部に位置しており、そこから全身に血液を送り出しています。

上にある心臓が身体の下に血液を送る、と考えますとそれほど大変ではないように思えますが、実際は下に行った血液を拍動によって圧力をかけ、再び身体の上部にある心臓に戻さなければなりません。

つまり、心臓がかける圧力によって血液を重力に逆らって身体の上部まで押し上げる必要があります。

 

しかし、宇宙空間では重力がない、または微小なためにそれほどの圧力をかけなくても血液が循環します。

そのせいか、心臓が収縮するという可能性が示されてきました。

さらに微小な重力下では、血液が足や腹部から頭や胴体に移動するために心臓の形状が変わるかもしれないとされています。

 

実際、2020年にジョンズ・ホプキンス大学のデビン・メア博士は、心臓組織を宇宙空間に送ることによって微小重力環境が心臓に与える影響について解析しています。

この研究では、心臓細胞内のミトコンドリアが機能不全になる徴候が見つかりました。

 

今回のミッションでの研究は?

この結果を受けて、今回の研究がデザインされました。

こうしたミトコンドリアの機能不全は、訓練された宇宙飛行士だからこそ大きな問題になりませんでしたが、一般人の場合は投薬が必要な場合が考えられます。

そこで、地球上で投薬されている薬を宇宙空間で投与した場合にどうなるかについて調査を行うことが今回の目的です。

 

2023年3月15日、SpaceXによって打ち上げられた無人宇宙船Dragonには、国際宇宙ステーションの船外活動機器、補給物資の他に、人工的に培養した人間の心臓の組織モデル、「心臓オルガノイド」が搭載されています。

この心臓オルガノイドに薬品を投与し、既存の薬品が宇宙飛行の際の心臓への悪影響を防止または好転させることに役立つかを確認します。

 

Dragonは打ち上げロケットにファルコン9を使って宇宙空間に送り込まれ実験が行われますが、この研究はアメリカ国立衛生研究所(NIH:National Institutes of Health)と国際宇宙ステーションが共同で行います。

薬物応答に対する宇宙空間のような微小重力の影響を調査する、が主な目的であり、この一連の実験はCardinal Heart 2.0と呼ばれています。

心臓オルガノイドを使う実験はこのCardinal Heart 2.0の一部として行われます。

 

心臓オルガノイドとは

心臓オルガノイドは液体で満たされた容器の中に収縮する心筋細胞が2つ格納されています。

これらの細胞は幹細胞から成長し、実験室内で3D形状に同軸化されています。

さらに心筋細胞が収縮する度に稼働する磁石が内蔵されており、センサーが磁石の動きを追跡することで、研究者は心臓の収縮をリアルタイムで観測できます。

 

心筋細胞は成体心臓の終末分化細胞であり、虚血や心毒性化合物は細胞死や不可逆的な心機能低下につながります。

試験プラットフォームとしては、これまでげっ歯類の単離臓器や初代細胞が研究・毒性学の標準でしたが、2010年あたりからより忠実にヒト本来の生物学を再現する優れたモデルの必要性が高まり、研究が一気に進歩しました。

 

研究の大きな飛躍となった要因は、iPS細胞と3次元培養です。

つまり、3次元細胞培養の利点とヒト由来の人工多能性幹細胞(iPSC)の利用可能性を兼ね備えた新しいin vitroモデル(実験室で人工的に構築した新しいモデル)を開発しようという動きが活発化しました。

 

様々な条件検討の結果、2次元培養で行われてきた研究との比較などから3次元で構築した細胞群、細胞塊の特性が明らかとなりました。

その中で大きな問題として立ち塞がったのが、細胞塊内部の細胞が死ぬという現象です。

 

通常、我々の体内にある細胞群には網の目の様に張り巡らされた血管網が酸素、栄養を供給します。

しかし、人工的に作成した細胞塊には当然血管網はありません。

 

がん細胞の場合、細胞ががんになって以上増殖をすると、この研究と同様に血管を持たない細胞塊が生まれます。

がん細胞群はこの段階で、酸素が足りない、栄養が足りないという状況を引き金にして、自分たちの中に血管を引き込みます。

 

この現象はがんの血管新生と呼ばれる現象ですが、扱う心臓細胞はがん化していない健康な細胞です。

2015年、スイスのベルン大学病院のPhillip Beauchamp博士、Christian Zuppinger博士らのグループは、内部の細胞に細胞死がなく、重要な心機能を再現する心臓オルガノイドの構築に成功し、「Development and Characterization of a Scaffold-Free 3D Spheroid Model of Induced Pluripotent Stem Cell-Derived Human Cardiomyocytes」というタイトルで論文を発表しました。

また前年にはバルセロナ大学のグループも、心臓だけでなく様々な組織、器官に分化させるための方法、技術を「The Power and the Promise of Cell Reprogramming: Personalized Autologous Body Organ and Cell Transplantation」というタイトルで発表しており、Phillip Beauchamp博士らの研究はここから心臓に特化した内容になっています。

国際宇宙ステーションとアメリカ国立衛生研究所の研究は、ミトコンドリア機能不全に対する投薬だけでなく、心筋梗塞や脳血管障害の発症リスクを低減するスタチン高血圧治療薬を投与した場合にどうなるかについても実験する予定です。

 

こうした薬の影響と、微小な重力というストレスが2つ心臓細胞に与えられた場合、どのような反応を心臓細胞が示すかというスクリーニング的な研究が今回行われ、宇宙空間での薬物応答の解析の端緒となるデータが採取されます。

宇宙空間の解析からわかること

これらの研究は宇宙空間の微小重力環境下における心臓細胞の挙動に注目したものです。

将来の宇宙探査にとっては非常に重要なポイントであり、今後宇宙開発が進んだ場合に予想される人間の宇宙進出には必要不可欠なデータです。

 

さらに、地球上で発生する心機能障害や病気の治療法の新たな発見につながる可能性があるとされています。

地球上での研究は常に重力が存在する環境で行われていますが、微小重力環境に置いて重力の影響がほとんどない状態で実験した場合、これまでに見つかっていなかった現象、分子間相互作用などがはっきり見えてくる可能性もあります。

 

地球上で使う薬の影響を調べるのであれば、重力の存在する環境でやらないと意味がないと考えがちですが、実際は細胞の中ではまだ説明の付かない分子の作用、動きなどが多数存在します。

こうした現象は、これまでの研究とは異なる環境で実験を行うことで輪郭がはっきりと見えてくる場合が少なくありません。

 

宇宙空間での生物実験は、ハエ、イヌから始まり、宇宙飛行士の健康データの採取という所まで進歩してきましたが、iPS細胞の出現によって倫理的な問題をクリアした状態でヒトの健康に関わる実験ができるところまで進歩しています。

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