幹細胞と体内時計とは?全身の体内リズムを調和させるRNA配列の発見

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全身の体内リズムを調和させるRNA配列の発見

京都大学大学院薬学研究科の三宅崇仁助教、土居雅夫教授らは、当時大学院博士後期課程学生であった井ノ上雄一氏と共に、体内リズムの時刻合わせに必要なRNA配列を発見しました。

これまでいくつかの体内時計に関与する遺伝子が発見されていましたが、今回発見された遺伝子は、生命の「しなやかさ」の本質にせまる発見であると考えられています。

論文タイトルは、「Minimal upstream open reading frame of Per2 mediates phase fitness of the circadian clock to day/night physiological body temperature rhythm.」で、Cell Reportsという国際学術誌に掲載されています。

 

我々人間が日常を健康に送るためには、全身の細胞が調和していなければ健康な生活を送ることはできません。

ヒトの全身には、約37兆から38兆個の細胞があると考えられています。

これらの細胞が調和的に動く必要がありますが、この調和を「概日リズム(サーカディアンリズム)」と呼びます。

 

これまでは、ヒトの体温がこの概日リズムの調節に関わっていることがわかっていましたがその分子メカニズムまではわかっていませんでした。

そこで研究グループはその分子メカニズムを明らかにしようと研究に着手し、今回のRNA配列の特定に至りました。

 

これまでこうした調節は、ホルモン、神経伝達物質を介したシグナル伝達系がよく知られていましたが、温度という物理化学的な変化がどのようにして概日リズム、つまりは体内、細胞内の時計を調節するのかは明らかになっていませんでした。

 

私たちの体温は1日中一定というわけではなく、時間によって変動します。

しかしその変動は大きく見積もっても数℃の幅での変化です。

このレベルの変化で物事を動かすには、0か1かのスイッチ式では説明できません。

ある程度の可変性を持った(ネジのような)メカニズムが必要と考えられます。

 

これまでの研究では、スイッチの解析が主であり、こうした細胞応答、生体応答の研究では、ヒートショックなどの急性刺激に対する応答を見る研究が中心でした。

その一方で漸次的な刺激に対する応用の理解は進んでいません。

今回の研究は、そういった研究に一石を投じる内容を含んでいます。

そして論文の中には書かれていませんが、幹細胞、再生医療などにとっても大きな意味を持つ研究なのです。

 

幹細胞にも体内時計は存在する。

概日リズムは、体内時計、生物時計、概日時計などという言葉でも表現されます。

地球上には「昼と夜」という環境周期が存在します。

この周期を予測し、身体の機能を適応させることで生体機能を調節し、我々は健康な生活を送っています。

 

特にヒトを含めた哺乳類では、睡眠覚醒リズムのみならず、内分泌やエネルギー代謝、循環器機能や消化器機能など様々な生理機能の約24時間周期のリズム(概日リズム)を生み出し、心身の健康維持に必須の生命機能です。

これがズレたりすると、様々な健康問題を引き起こすことがわかっています。

 

哺乳類の体内時計は、全身のほとんどの細胞に備わっている、普遍的な細胞機能です。

それではこの体内時計はいつ細胞の中にセットされるのでしょうか?受精卵の段階ですでに体内時計が存在しているのでしょうか?

 

京都府立医科大学の八木田教授(当時)はこのことに世界で初めて答を出しました。

八木田教授らの研究グループは、マウスのES細胞には体内時計のリズムが存在しないが、分化誘導培養を行うと、細胞自律的に約24時間周期の体内時計のリズムが形成されることを世界で初めて発見しました。

 

この発見は、再生医療において、また発生生物学において大きなブレイクスルーをもたらしました。

体内時計リズムの形成が、幹細胞の分化誘導、発生メカニズムに何らかの関連があることが示唆されたのです。

経験則的に、妊娠中の母親や胎児の生活リズムが乱れると、産まれてくる子供の心身に影響するのではないかと言われていました。

しかしその実態はほとんどわかっておらず、メカニズムの解明が期待されてかなりの年月が経過しました。

 

八木田教授他の研究成果によって、子どもの心身の発達に深く関わる体内時計のメカニズムの理解が進み、体内時計と細胞分化の関連性が示唆されたことから、幹細胞の分化誘導に「生物時計」、「概日リズム」という新しい概念が持ち込まれたのです。

これによって幹細胞の研究に新しい視点が生まれました。

 

さらに、医療に使われている幹細胞の他に、がんの再発、転移に関わるのではないかと予想されている「がん幹細胞」という細胞も存在していますが、このがんと体内時計の関連が、がん幹細胞を介して関与している予測も生まれ、幹細胞関連の研究が、健常細胞、がん細胞関係なく大きく進む結果となっています。

 

体内時計は細胞分化にどう関係するのか?

体内時計は動物だけでなく植物においても、行動、遺伝子発現など様々な現象に関与しています。

植物などの研究から、細胞分裂のタイミングが夜であることは知られていましたが、これには生物時計が関与しています。

昼間には太陽の光が地球上に注いでいますが、この光の中には紫外線という、ある波長の光線が含まれています。

紫外線はDNAに損傷を与える可能性を持つ光線で、紫外線による遺伝子変異は様々なシチュエーションで観察されています。

昼間に細胞分裂を行うと、太陽の光に含まれる紫外線によって新しい細胞に遺伝子変異が挿入されるリスクが上昇します。

それを防ぐために夜間に細胞分裂を行い、遺伝子変異のリスクを少しでも減らしている仕組みが生物時計が生物に備わった理由ではないかと予想されています。

 

細胞分裂は自分と同じ機能を持つ細胞を増やす現象ですが、幹細胞の分裂のように、自分を増やしつつ新しい種類の細胞を生み出す現象も生物の個体維持には必要です。

そして細胞がどういう細胞に分化するのか決定されるタイミング、科学の世界では「運命転換」または「細胞運命決定」は幹細胞が細胞分裂するタイミングで行われていると考えられています。

 

この時、紫外線によって新しいタイプの細胞に遺伝子変異が挿入されると、その遺伝子変異を持ったまま新しい細胞が次々と増殖することになります。

もしその遺伝子変異が細胞を死に誘導するものであればそういうリスクはありませんが、新しいタイプの細胞が作られない、という状況を誘導してしまいます。

 

となると、とにかく遺伝子変異は起こらないに越したことはありません。

そういった理由で生物は体内時計によって細胞分裂のタイミングを調節していると現在では予想されています。

 

これは安全装置とも言えるメカニズムですが、この安全装置があったために我々のような多細胞生物は幹細胞の細胞分裂によって新しいタイプの細胞を作り出すことができ、複雑な生体調節、恒常性維持を行う身体を進化によって作り上げることができたとも言えるでしょう。

 

動物だけでなく植物でも進む体内時計と幹細胞の研究

実はこうした体内時計の研究は、植物を使った研究が研究の進歩に大きな役割を果たしてきました。

再生医療研究における「なぜ幹細胞は異なる種類の細胞を産み出せるのか?」という問は、動物、植物の違いを超えた生物学における本質的な問いです。

 

iPS細胞やES細胞を使った研究は、大きな進歩があると報道されることが多いのですが、これら再生医療に関わる研究は、ヒトを含む哺乳動物以外、植物、シアノバクテリアなどの全く異なる生物種での発見がブレイクスルーとなる事が少なくありません。

 

例えば、幹細胞の細胞分裂でも重要な細胞分裂周期の研究知見の多くは、酵母を使った研究で得られたものです。

酵母のような単純な生物でメカニズムが明らかになれば、それを足がかりとして一気に複雑な多細胞生物でも明らかにすることが可能なのです。

 

「役に立つ研究以外は無駄」という一部の意見が国民に浸透し、ここ20年で日本のヒト、哺乳類以外の研究分野は大きく衰退しました。

その結果、せっかく日本で構築されたiPS細胞の研究が、アメリカ、欧州、そして中国に激しく追い上げられ、一部の分野においては完全に日本が置いて行かれている状況です。

その結果、多くの研究者が日本から国外に研究の場を移し、10年以上の歳月が流れています。

iPS細胞の研究成果が発表されると、日本の研究が進んでいるように思えます。

しかし実際は、日本の研究者達は非常に苦しい状況で、国民から「役に立たないのでは?」と言われても歯を食いしばって研究を進めているのが現在の日本の科学です。

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