ラット多能性幹細胞から精子・卵子の元になる細胞を作ることに成功 – 畜産業や医学研究への実用化に一歩前進

目次

1. 人工的に生殖細胞を作り出す研究

iPS細胞ES細胞などの多能性幹細胞から様々な臓器・器官を作り出す研究が盛んですが、その中で生殖細胞を作る研究も行われています。

生殖細胞、つまり精子・卵子を作る研究は、生殖細胞が原因の発がん、不妊の原因究明や治療方法の開発といった生殖医学研究に大きく役立つと期待されています。

また、効率的な産業動物、経済動物の生産にも大きく役立ち、高品質の食品生産に貢献する可能性があります。

 

2011年、マウスで初めて多能性幹細胞から精子・卵子の元になる始原生殖細胞を作る技術が開発されました。

しかし、マウス以外の動物種では技術的な問題があります。

多能性幹細胞から生殖細胞を作る研究は、マウス以外でも行われていましたが、この作られた生殖細胞から正常な仔に成長するかどうかは明らかにされていませんでした。

 

東京大学医科学研究所再生発生学分野の小林俊寛特任准教授、及川真実特任研究員と自然科学研究機構生理学研究所の平林真澄准教授を中心とし、他に奈良県立医科大学、京都大学、スタンフォード大学などが加わった研究チームは、世界で初めてラットで多能性幹細胞から始原生殖細胞を作る事に成功しました。

この成果は、マウスに次いで2例目、マウス以外の動物種では初めての成功例になります。

正確には、ラットの多能性幹細胞を使い、試験管内で精子・卵子の元になる始原生殖細胞を作り、この人工的な始原生殖細胞を精子のできないラットの精巣に移植すると、正常な精子を作る事ができた、という研究成果です。

さらに、この精子を持った雄マウスと雌マウスを交尾させ、卵子に受精させると、胎児発生を経て、健康な産仔に成長させることができました。

2. 研究の概略

マウスとラットは共に齧歯類に分類される動物です。

ヒト、マウス、ラットを並べると、ラットはヒトに生理学的な特徴がマウスより近い事が知られています。

また、マウスと並んで汎用されている実験動物のため、生殖補助技術も発展しており、人工的に作成した生殖細胞の受精能力、個体発生能力を詳細に評価できるという利点があります。

 

しかし、多能性幹細胞の1つであるES細胞の培養方法開発においては、ラットはマウスに約30年遅れています。

一般的には、マウスよりも試験管内での細胞培養に厳密・正確な条件が必要とされています。

この特徴は、ヒト、その他の多くの動物種と共通しており、これを理由として研究グループはラットを対象の実験動物としました。

そして今回の成功は、マウスの成功から11年経過しての成功であり、それまで言われていた30年の遅れが一気に縮まったと話題になっています。

 

この研究は多方面から期待されており、科学研究費補助金、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)再生医療実現拠点ネットワークプログラム、住友財団 2021年度 基礎科学研究助成、生理学研究所 計画共同研究、東京農業大学生物資源ゲノム解析センター「生物資源ゲノム解析拠点」共同利用等の多くの支援を受けて行われています。

3. 研究の詳細

研究グループがラットを使う際には、やはり先行しているマウスの研究を参考に実験を進めました。

ラットの多能性幹細胞を、着床後のエピブラスト(胎盤葉上層)と言われる細胞に近づけることが鍵である事が知られていました。

そこで研究グループは、ラットES細胞を使ってマウスの開発方法を参考としてエピブラスト細胞の作成を行いました。

 

マウスの方法では、細胞が培養皿上に接着する事が必要ですが、ラットでこの方法を行うと、ラットES細胞は生存できませんでした。

そこで、最近盛んに使われている培養方法、3次元培養法を用いました。

この方法は、スフェロイドと呼ばれる3次元構造を持つ構造体を作って浮遊させたまま培養する方法です。

この方法を試したところ、数日の培養でラット細胞がエピブラスト細胞が出現する事が明らかになりました。

 

エピブラスト細胞は、始原生殖細胞を作るために必須の細胞です。

研究グループは、このエピブラスト細胞から始原生殖細胞が作られる培養条件を検討し、3次元培養法でスフェロイドを作って培養したところ、スフェロイドを構成する細胞の家20 %の細胞が始原生殖細胞になる事がわかりました。

 

この人工的な始原生殖細胞と、天然の始原生殖細胞の遺伝子発現パターンを比較すると、人工的な始原生殖細胞は天然の始原生殖細胞に極めて近い特徴を持っていました。

特に、胚発生初期の胎児が持つ始原生殖細胞の特徴に似ており、研究グループはさらに培養条件をより生体内に近づけていきました。

人工的に作り出した始原生殖細胞を、胚発生中期の胎児が持つ生殖腺の支持細胞と一緒に培養すると、胚発生初期の胎児の始原生殖細胞の遺伝子発現パターンに似ていた人口始原生殖細胞が、胚発生中期の始原生殖細胞にまで成長する事が明らかになりました。

 

この方法によって、人工的にES細胞から胚発生初期、中期の始原生殖細胞が作り出せる事が明らかになり、研究グループは次のステップに進みます。

次のステップは、人工始原生殖細胞から精子、しかも受精可能で産仔を得る事ができる精子の作成です。

まず、この人工的な始原生殖細胞を、精子ができないラットの精巣に移植し、精子ができるかどうかを確認しました。

 

移植後8週間以降になると、精巣を構成する細かい管の中に精子の詰まったくだが現れました。

これはつまり、精子のないラットに移植した人工的な始原生殖細胞によって作られた精子が管に詰まったということになります。

この時点で、人工始原生殖細胞はラットの体内で精子になる事ができる事が確認されました。

 

続いて、この精子が受精能力を持つかどうか、受精した後に正常な産仔に発生できるかどうかの確認です。

人工授精によって、これらの精子を未受精卵に移植し、その受精卵をラットの体内に戻します。

すると、受精卵からラット胎児が発生し、ラットは正常な産仔を出産する事ができました。

この産仔は出産後、通常の成長をし、さらには子孫を残す事ができました。

 

この時点で、ES細胞から作った始原生殖細胞移植によって作られた精子からは、正常なラットが生まれ、成長ステップにも異常がない事が証明されました。

マウスではこうした研究が盛んに行われており、現在では当たり前のようにこうした実験が行われていますが、マウス以外の動物種でも成功した事は画期的なことです。

 

4. ヒトへの応用のための課題

ラットでも成功した、ということになりますと、同じ哺乳類に属するヒトでも成功の可能性を考えますが、ヒトへの応用にはまだいくつかの課題があります。

 

まず、マウス以外の動物で成功したと言っても、現状ではマウスとラットのみで成功しているという事です。

マウス、ラットは同じ齧歯類に属しているためにこのような結果になった可能性もあり、今後は他種の哺乳類でも研究を行う必要性があります。

 

そして、今回の研究成果は、ES細胞が出発点であるという事です。

遺伝子の操作によって作り出す幹細胞、iPS細胞とは違い、ES細胞は受精後の個体から取り出す幹細胞です。

ES細胞の研究が盛んになった時期に、このES細胞の確保が問題となりました。

受精後に胎児にまで発生が進まない段階で母体から取り出してES細胞を採取しなければならないため、どうしても中絶というキーワードから逃れる事ができません。

だからこそ、iPS細胞の出現に世界は沸き立ったのですが、この研究で得られた成果が、iPS細胞からでも可能になるかどうかというのは、今後の研究の進展に大きな影響を与えると思われます。

 

社会的な事情での少子化も問題ですが、疾患などで子供が欲しくても妊娠までに至らないというケースも少なくありません。

日本も含めて先進国の何カ国かで見られている少子化の解決策の1つとして、今後の研究展開に注目が必要でしょう。

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