個人向けiPS細胞「マイiPS」の開始構想とは?すでに「2人分作製」の企業も

目次

1. 実用化秒読みのiPS細胞事業

iPS細胞のパイオニアである京都大学山中伸弥教授は、個人向けのiPS細胞作成プロジェクト「マイiPS」を2025年に開始する構想を持っています。

事業化が成功し、ビジネスとして軌道に乗れば、国からの資金に頼ることなくiPS細胞を作成し、医療の現場に届けることができます。

これによって、iPS細胞とそこから誘導される各種細胞、組織、器官が、必要な時に最初から作るのではなく、必要に応じて最終ステップに入って供給完了までの時間を大きく短縮できます。

さらにコストの大きな削減が期待され、一般の患者がiPS細胞による治療を受けることができる環境を整備することができます。

公的機関が中心となって「マイiPS」プロジェクトの準備をしていますが、民間では先行して、「個人向けにiPS細胞を作って保管するサービス」を介している企業が複数社出てきたことが、2021年6月に発表されました。

このうち1社は、すでに2人分のiPS細胞を作成し、保管を始めています。

その会社は、ベンチャー企業の「アイ・ピース」という会社です。

2. アイ・ピースはどんな会社?

アイ・ピースは、アメリカに本社があり、京都に細胞の作成拠点を持つ企業です。

2015年に、iPS細胞のコストを下げるため、設備の自動化と小型化を実現するための技術開発を行うことを目的として創業しました。

創業者の田辺剛士CEO(最高経営責任者)は、山中伸弥教授の研究室出身者であり、世界最初のヒトiPS細胞作製について報告した論文の著者の一人です。

アイ・ピースの事業は、個人のiPS細胞を約200万円のコストで作製する事業、「MiPSC」(マイ・ピース)が大きな柱で、現在までに男性2人の血液を使ってiPS細胞を作製し、凍結保管しています。

アイ・ピースの採用情報を見ますと、現在は実験研究者、ハード・ソフトウェアエンジニアなどの技術者と並行して、ビジネスディペロップメント、ビジネスストラテジー、ファイナンシャル、セールスマーケティング、知的財産管理などの人材を募集しています。

これは、今後のビジネス展開を視野に入れた会社のシステム作りと考えられ、国などからのサポートからなるべく独立したビジネスとして成立させるためでしょう。

また、アドバイザーとして、千本倖生博士(レノバ代表取締役会長:起業、マネジメント)、田中紘一博士(神戸国際医療交流財団理事長、京都大学名誉教授)、武藤香織博士(東京大学医科学研究所教授)、高橋和利博士(京都大学iPS細胞研究所准教授:山中教授と共にiPS細胞を作製した中心人物)などが名を連ねており、サポート体制もかなり充実しています。

3. リプロセルでも個人iPS細胞作製を開始

横浜市に本拠を構える、iPS細胞用試薬の製造・販売を手がけている「リプロセル」も個人向けのiPS細胞作製事業に乗り出しています。

設立は2003年で、京都大学名誉教授中辻憲夫博士と東京大学教授の中内啓光博士の研究を中心にして設立されました。

主に、iPS細胞技術と臨床検査事業を2本の柱としています。

現時点で、ヒトiPS細胞を培養するための培養液の日本国内市場は、リプロセル製の培養液が50 %以上を占めています。

このリプロセルは、2015年にiPS細胞を凍結保存するための保存液を開発・販売しており、iPS細胞を作製して保存する事業の準備はかなり前から進めていたようです。

リプロセルでは、乳歯、親知らずなどの別の治療目的で抜いた歯、尿などを使って個人のiPS細胞を作る事業を始めています。

コストは約 90万円から220万円で、iPS細胞の元となる組織、細胞によって価格に幅があります。

4. 個人向けiPS細胞でどんなことができるのか?

SF小説、映画などで、自分の身体の一部を人工的に作って保存しておき、戦いなどで体の一部が失われたら保存した部分を使って復活する、というような内容を読んだり観たことがある人はいらっしゃるでしょう。

個人向けのiPS細胞の保存事業は、まさにそれを実現させる技術です。

現在は実施数が少ないために正確なデータは得られていないので、こういった個人iPS細胞の作製における年齢制限は設定されていませんが、予想ではなるべく若いうちにiPS細胞を作っておいた方が良いとされています。

若いうちに自分の細胞からiPS細胞を作製し、会社側に保存しておきます。

保存しておけば、その後の人生で疾患、ケガなどで身体機能の一部が失われるような状態になった時に、もし組織、器官の再生によってその状態が回復できるのであれば、この保存しておいたiPS細胞を使うことができます。

現在、iPS細胞から様々な細胞に分化させる技術、3次元培養を用いて組織・器官を作成する技術が研究され、いくつかが実用化されています。

こうした研究が進み、いくつもの技術が実用化可能になると、自分のiPS細胞から目的の細胞、組織、器官を分化させてそれを使って治療することが可能になります。

スポーツ選手、特に野球選手で、靱帯の再建手術を受けた選手は多く、その中の1つであるトミー・ジョン手術は、この10年で500人以上のアメリカにおけるプロ野球選手(メジャーリーガー、マイナーリーガー)がこの手術を受けています。

日本人選手でも、ダルビッシュ有選手が2015年にこの手術を受けています。

この手術は、損傷した靱帯を切除し、健常な靱帯を移植します。

健常な靱帯は、手術する腕の逆の腕、下腿などの腱の一部を摘出して移植します。

もし、iPS細胞によってこの靱帯が作成可能であれば、他の部分の腱を犠牲にすることなくトミー・ジョン手術と同じ効果を期待することができます。

このように、iPS細胞によって代替することが可能な医療技術はいくつかあり、ケースによっては従来の治療よりも身体への負担が少ない、または医療コストが安く済むということが期待されています。

5. 個人向けiPS細胞の民間成功の意義

そういった治療を、民間が先行することに意義はあるのでしょうか?

国民の医療・健康に関わる事なので、国が中心となって行うべきなのではないでしょうか?

実は、こういった事業について、民間の会社が先行するということは長期的に見て我々にとって大きな利益になります。

国が中心となって行わない、という事ではありません。

現在まで、iPS細胞については、国は研究補助金という形でかなり投資をしています。

しかし、国からの援助は突然の打ち切りという可能性があります。

覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、2019年に山中教授に対して担当官僚からiPS細胞への補助金打ち切りが一方的に通告されたことがありました。

これは、担当官僚の出張の際の公私混同などで大きな問題となりましたがその時の内閣の方針次第では国民のためになる事業でも打ち切られることがよくあります。

iPS細胞の技術開発が国の都合で、完全に停止した場合、最も大きな不利益を受けるのは患者側です。

これを避けるために、iPS細胞事業をビジネスとして運用し、関わる企業を安定化させることによって恒常的なiPS細胞事業の運用を目指している動きの1つがこの民間先行のiPS細胞事業です。

iPS細胞事業の会社であれば、運営が上手くいっているのであればよほどのことがない限りiPS細胞の事業を停止させることはありません。

国からの補助金が政策方針の都合で突然(研究者、技術者、患者によって理不尽な理由で)中止するリスクを考えた場合、会社を作って、会社運営を正常化させて恒久的な供給を目指す方がやりやすいという判断で現在の民間先行という状態があります。

しかし、この民間先行という状態は良いことばかりではありません。

iPS細胞事業は日本発であるがゆえに、日本が中心で進められていますが、状況によっては、外資がその会社を手に入れ、技術などを日本から引き揚げてしまうという可能性もあります。

そのため、民間企業と国の介入のバランスを取ることが必要になります。

おそらくはその第一歩として、民間企業によるiPS細胞事業を軌道に乗せ、国への負担を最小限にした上でのシステム作りが現在行われているのです。

目次