ダウン症児の脳の正常発達を乱す遺伝子を発見(大阪大学)

目次

1. ダウン症候群治療に重要な発見

ダウン症候群に見られる知的発達障害や、認知症の治療方法の開発に貢献すると期待される報告が、大阪大学から発表されました。

大阪大学医学部付属病院の総合周産期母子医療センター小児科に所属する、川谷圭司医員、北畠康司准教授らのグループは、あるダウン症候群の患者から疾患モデル細胞を樹立することに成功し、ダウン症候群の分子メカニズムの一端を明らかにしました。

この疾患モデル細胞は、iPS細胞、つまり疾患モデルiPS細胞です。

iPS細胞を使ってどのような解析を行ったのかを解説する前に、ダウン症候群について解説します。

ヒトの染色体は、22種類の染色体が2本ずつ、計44本、そして性染色体が2本存在します。

性染色体は、XとYであれば男性、Xが2本であれば女性になります。

ダウン症候群は、22種類のうち、21番の染色体が2本でなく、通常より1本多い3本になっています。

これをトリソミー症と呼び、他の疾患でも、性染色体のトリソミーなどが見られることがあります。

先天性疾患であり、第1減数分裂の時の不分離によって生じることがほとんどで、新生児に最も多い遺伝子疾患とされています。

年間で、1000人出生当たりに1人出現する計算になり、先天性疾患としてはかなり出現確率の高い遺伝子疾患です。

症状として、身体的な発達の遅延、軽度の知的障害、そしてダウン症候群に特徴的な顔つきが挙げられます。

知的障害のバラツキは大きいため、様々な段階の患者がいることが知られており、現在は根本的な治療方法は見つかっていません。

そのため、現在は教育と早期ケアで生活の質(QOL)を上げる事が改善策になっています。

2. 期待されるゲノム編集技術

ダウン症候群では、多様な合併症が見られます。

これらの治療方法を確立するためには、マウスや細胞を使ったモデルマウス、またはモデル細胞が必要です。

その疾患自体を持っている動物、細胞を使わないと、疾患の原因、創薬ターゲットなどの解析ができません。

しかし、正確なダウン症候群モデルを作ることは難易度が高く、いくつもの研究グループが取り組んでいますが、研究に使えるだけのモデルの構築はできていませんでした。

そこで大阪大学医学部のグループは、ゲノム編集技術を使いました。

ゲノム編集技術は、代表的なものでCRISPR-Cas9によってゲノムを切断し、遺伝子を書き換える技術です。

遺伝性の疾患を研究したい場合、その疾患遺伝子を切り取ったり、入れかえるなどが可能です。

研究グループは、ダウン症候群の原因染色体である21番染色体をゲノム編集技術で改変し、ダウン症候群疾患モデルiPS細胞を構築することに成功しました。

報告によれば、これは1種類でなく、多様なダウン症候群疾患モデルiPS細胞を構築し、ダウン症候群の合併症のメカニズムを探っています。

3. ダウン症候群においてはアストロサイトが重要

研究グループが着目したのは、アストロサイトです。

アストロサイトは中枢神経系に存在するグリア細胞の1つで、脳の物理的な構造の維持、神経細胞群の維持に大きな役割を果たします。

アストロサイトに問題があると、神経系の重要な疾患の原因となり得るので、ヒトの脳を維持するためには非常に重要な細胞です。

まず、ダウン症候群疾患モデルiPS細胞を、アストロサイト前駆細胞に分化誘導し、細胞に何が起きているかを解析します。

この段階で、ダウン症候群ではアストロサイトが異常に増殖することが解明されました。

アストロサイトは、「自分の縄張り」が重要です。

つまり、アストロサイトが大量に存在し、互いに重なり合うような構造はとらず、お互いに位置関係は「排他的」とされます。

ダウン症候群疾患モデル細胞ではそのアストロサイトが異常増殖してしまうわけですが、この異常増殖の原因となる遺伝子などの分子的メカニズムもこのグループは明らかにしています。

その遺伝子は、Dual specificity tyrosine-phosphorylation-regulated kinase 1A(DYRK1A)と、Phosphatidylinositol Glycan Anchor Biosynthesis Class P(PIGP)と呼ばれる遺伝子です。

DYRK1Aは、以前より脳と神経系に重要な分子である事が知られていました。

この遺伝子の発現が多すぎるとダウン症候群の原因となる事は以前から明らかにされていましたが、過剰な発現によって、細胞、神経系に何が起こるのかはよくわかっていませんでした。

逆に、DYRK1Aの機能不全は、自閉症スペクトラム障害との相関が見られ、さらにアルツハイマー型認知症とも関連が見られています。

つまり、脳機能に何らかの問題が生じる疾患には関連している重要な遺伝子ということは明らかになっていましたが、過剰な発現とダウン症候群を直接結びつけるような結果は得られていませんでした。

今回、DYRK1Aの異常は、アストロサイトの異常増殖を誘導する事が明らかとなり、ダウン症候群のメカニズムを明らかにするためのパズルのピースが1つはまることになりました。

PIGPは、Phosphatidylinositol Glycan(グリコシルホスファチジルイノシトールG:GPI)アンカー生合成の最初のステップに関与する酵素をコードする遺伝子です。

GPIアンカーは、血液中の血球に多く見られる糖脂質です。

主な機能は、タンパク質を細胞の表面に固定することです。

名前のアンカーは、船などを固定する時に使う錨を意味しており、この機能から名付けられました。

この分子も、以前からダウン症候群への関与が示唆されていましたが、今回の研究で、アストロサイトの異常増殖に関与する直接的な証拠が得られたことで、かなりの確率でダウン症候群に重要な分子である事が証明されました。

また、PIGPはDYRK1Aと同様に、他の脳疾患にも関与することが予想されており、様々な脳疾患で研究が行われています。

4. iPS細胞はこういう利用のしかたもある

この研究のポイントは、ダウン症疾患モデル細胞をiPS細胞で作ることができた、しかもゲノム編集技術によって多様性のあるモデル細胞構築に成功したというところです。

iPS細胞で構築したために、重要となる細胞をアストロサイトと予想し、その細胞に分化させて研究を行うことができました。

もし、特定の細胞を使う場合、アストロサイトならアストロサイトでゲノム編集、別の細胞ならばその細胞でゲノム編集というステップが必要になります。

しかし、iPS細胞でモデル細胞を作ってしまえば、脳、神経系のどの細胞へも理論的には分化させることが可能です。

つまり、iPS細胞で疾患モデル細胞を作っておけば、その疾患に重要になる細胞を予想、特定した後にiPS細胞で作成すればいいので、マウスなどから解剖して取り出す、健康な細胞を改変して疾患モデル細胞を作るという手間を省くことができます。

iPS細胞の医療への応用は、移植を視野に入れて必要な細胞、組織、器官に分化させることについては一般にも浸透しつつあります。

一方で、こうした利用方法によって、以前とは比べものにならないほどの短期間で、疾患の原因、メカニズムを明らかにすることが可能なのです。

そして、今回の研究では、DYRAK1A、PIGPという他の脳疾患にも関与することが予想される、または明らかになっている分子がダウン症候群に関与していることが解りました。

ここから発展する研究はダウン症候群だけでなく、自閉症スペクトラム、アルツハイマー型認知症の治療方法、ターゲットとした創薬研究に大きな貢献をすると考えられます。

脳疾患は多様な種類がありますが、意外と関連する分子は少なく、1つの脳疾患のメカニズムが明らかになると、周辺の疾患に対する治療方法開発が加速するという面もあります。

この研究は今後さらに詳しいメカニズム解析に入りますが、脳疾患の治療開発においては非常に大きな一歩です。

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