iSP細胞を使った分化技術に新たな進歩
国立成育医療研究センター研究所を中心とした研究グループは、霊長類でよく使われるマーモセットから作られたiPS細胞から精子幹細胞前駆体の作製に成功し、国際学術誌「Stem Cell Reports」に「mRNA-based generateon of marmoset PGCLCs capable of differentiation into gonocyte-like cells」というタイトルで論文を発表しました。
この研究グループは多数の研究機関から構成されており、論文の著者に名を連ねているメンバーの所属機関は、国立成育医療研究センター再生医療研究センター、実験動物中央研究所マーモセット医学生物学研究部、佐賀大学医学部分子生命科学講座分子遺伝学エピジェネティックス分野、ケンブリッジ大学生理学分野、理化学研究所生命医科学センターエピゲノム技術開発ユニット、京都大学iPS細胞研究所未来生命科学開拓部門、東京都医学総合研究所ゲノム医学研究センター、理化学研究所生命医科学研究センター予防医療・ゲノミクス応用開発ユニット、ラドバウト大学分子生命科学研究所、と多岐にわたっており、かなりプロジェクトとしては大規模なプロジェクトになっています。
ヒトのiPS細胞を使って精子・卵子を誘導するための技術は、不妊の原因究明、生殖医療への応用が期待されています。
ただし倫理的な問題、また次世代への影響などの可能性があることから、iPS細胞から作製した精子・卵子を受精させることは規制されています。
そのため、この技術の次世代の安全性などを評価するために、ヒトと同じ霊長類であるサルを研究し、ヒトに応用しようとしたものがこの研究です。
このような研究は、遺伝子改変サルの作製、霊長類における生殖細胞機構の解明にも役立ちます。
ヒトを含む霊長類では、いまだにiPS細胞からの精子の産生は実現しておらず、前精原細胞までしか発生を進めることができませんでした。
今後、精子の人工産生に向けての研究をこの研究を足がかりにして進め、将来的には不妊の原因究明や生殖医療に応用するための研究を展開する事が重要になります。
霊長類の精子幹細胞前駆体への分化誘導に成功
この研究では、小型霊長類のマーモセットから作製したiPS細胞を使って、精子幹細胞前駆体(前精原細胞)まで分化させることに成功しました。
この細胞は、遺伝子発現変化などがマーモセット体内の精子幹細胞前駆体と同じパターンで再現されています。
精子幹細胞前駆体とは、ヒトの場合は胎仔から思春期前の精巣に存在する細胞で、始原性生殖細胞から精子幹細胞に分化していく生殖細胞です。
精子幹細胞になると、性成熟した成体の精巣に存在し、自己複製と分化を繰り返します。
この機能が働いているうちは精子が作り続けられることになります。
今回の研究で使われたマーモセットは、ブラジル北東部原産の小型のサルで、ヒトと同じく真猿類に分類されています。
マーモセットは霊長類の中で最も早く性成熟を迎えることが知られています。
産まれてからおよそ一年で子孫を残せるようになるため、霊長類で生殖細胞を研究するためには理想的なモデル生物です。
詳しい研究の内容
研究グループはまず、mRNAトランスフェクションをベースとした始原生殖様細胞(PGCLCs:Primordial Germ cell-like Cells)の誘導方法を開発しました。
トランスフェクションとは、核酸(DNA、RNA)を細胞内に取り込ませる方法です。
取り込ませたい特定の遺伝子を、化学薬品などを使って細胞膜から細胞内に入れますが、一昔前は電気ショックを与えて細胞膜に穴を空けて取り込ませる方法も使われていました。
例えば、Aというタンパク質が作られていないある細胞を使って、Aタンパク質がその細胞に存在したらどのようなメカニズムで動くのかを調べるとします。
その場合、Aタンパク質をコードする遺伝子を準備します。
その遺伝子には発現が誘導される細工がしてあり、トランスフェクションによって細胞内に入ると、細胞内でAタンパク質を作り始めます。
この細胞を使えば、本来Aタンパク質を持っていない細胞内で、Aタンパク質がどのような機能を発揮するのかが解析できます。
このトランスフェクションという方法は、タンパク質を発現させるだけでなく、RNA干渉という実験方法では特定のタンパク質を発現させないことにも使われている方法です。
始原生殖細胞は、全ての精子、卵子の元となる細胞です。
受精後、発生の初期に分化し、この時期には少数の細胞集団であり、精子、卵子どちらかに発生するかは決められていません。
ある時期になると、体細胞の持つ性(つまりその個体の決定された性)に従って、精子または卵子に分化することが決定されます。
この始原生殖細胞のマスターレギュレーター、主要な遺伝子の一つにSOX17という遺伝子があります。
iPS細胞にこのSOX17遺伝子をトランスフェクションすれば、始原生殖細胞に分化すると研究グループは考えてトランスフェクションを行い、分化誘導することに成功しました。
この分化誘導は霊長類で初めてというわけではありませんが、今回の方法はより効率的に分化誘導する方法であり、今後さまざまな霊長類での分化誘導に応用されていくと考えられます。
この誘導して作製した始原生殖細胞は、体内で分化させたものではないので始原生殖“様”細胞、つまり始原生殖細胞に似た細胞として、さらなる分化のために免疫不全マウス腎被膜下に移植されます。
免疫不全マウスを使う理由は、マーモセットのiPS細胞を使って作製した始原生殖様細胞はマウスにとって異物のため、マウスの免疫が攻撃してしまうためです。
それを避けるために、マウスの免疫機能をオフにする遺伝子改変を行った免疫不全マウスを使います。
この免疫不全マウス腎皮膜下に移植された始原生殖様細胞は、マウス体内で精子幹細胞前駆体と考えられる細胞まで分化が進みました。
精子幹細胞前駆体にまで分化したと思われる細胞は、遺伝子の解析によって本体の精子幹細胞前駆体とどのくらい似ているかが調べられます。
遺伝子解析の結果、遺伝子の発現パターン、そしてDNAのメチル化などの解析によって、本体のマーモセットが持つ精子幹細胞前駆体とほぼ同じであるという結果を得ました。
DNAメチル化は、DNAの化学修飾で細胞が遺伝子の発現を誘導する、または抑制する仕組みの1つで、細胞種によってDNAメチル化のパターンが異なります。
塩基配列や遺伝子の発現パターンと共に、近年では同じ性質を持った、または同じ細胞かどうかを調べるために重要なツールとなっています。
この研究の意義
今回の研究をまとめると、小型霊長類のマーモセットにおいて、マーモセットのiPS細胞から精子幹細胞前駆体までの発生系を構築した、ということになります。
ヒトも含まれている霊長類における生殖細胞の研究は、ヒトの不妊症、先天的な疾病の解明に重要なツールとなるものが多いため、盛んに行われています。
ヒトの細胞を使う場合、精子、卵子を使う研究は倫理面から厳しい管理下に行われます。
例えば何かアイデアを思いついたとしても、その実験をすぐにできるわけではなく、研究機関内のメンバーで構成される倫理委員会の厳しい審査を受けなければなりません。
また、その審査内容は政府への報告も義務付けられており、着手までにいくつものゲートがあります。
マーモセットのような霊長類でも動物実験委員会などで様々な規制がありますが、ヒトの細胞を使った研究と比べるとハードルは低くなっています。
こういった霊長類のモデル生物を使って明らかにされたことは、ヒトの細胞を使った研究にも応用ができることが多いため、この研究はヒトの研究への応用が期待されています。
ヒトを使って試行錯誤しながら研究を進めると、実験内容の審査などで長い期間を必要としてしまうことがありますが、他の霊長類で明らかになっていることであれば、予め方向性を決めて研究に着手することができます。
そういったこともあり、この研究は注目集めています。