京大、iPS細胞から「肥大型心筋症」疾患モデル用人工心筋組織を作製

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iPS細胞から疾患モデル組織を作成

京都大学は、iPS細胞を使って成熟した人工心筋組織(ECT: Engineered Cardiac Tissue)の作製に成功し、国際科学誌であるStem Cell Reportsに「ERRγ agonist under mechanical stretching manifests hypertrophic cardiomyopathy phenotypes of engineered cardiac tissue through maturation」というタイトルで論文を発表しました。

このモデルでは、「肥大型心筋症」の疾患モデルを再現したもので、現在までに研究に用いることができる疾患モデルのなかった肥大型心筋症の研究に用いることができる新しい組織モデルです。

 

研究チームは京都大学を始めとして、多くの大学と研究機関、そして企業が参加しており、その中心メンバーは、藤原侑哉(CiRA増殖分化機構研究部門、T-CiRAプログラム研究員)、三木健嗣(元ハーバード大学兼マサチューセッツ総合病院リサーチフェロー、元CiRA増殖分化機構研究部門特定助教兼T-CiRAプログラム研究員)、吉田善紀(CiRA増殖分化機構研究部門 准教授、T-CiRAプログラム主任研究員)らから構成されています。

 

肥大型心筋症とは?

肥大型心筋症は心臓の左心室の肥大を特徴とする疾患で、高血圧や弁膜症などの原因がないにもかかわらず、心筋の肥大を起こす指定難病とされている疾患です。

罹患する割合は指定難病としてはかなり高く、500人に1人が罹患すると推定されており、その多くが遺伝性のものとされています。

 

肥大型心筋症患者の約60%は、常染色体優性遺伝によるサルコメアの障害で、心筋の収縮に関わるサルコメアを構成するタンパク質の以上が原因とされています。

タンパク質の以上は、タンパク質をコードする、つまりタンパク質の設計図である遺伝子の変異が主な原因で、1400以上のタイプの遺伝子異常が報告されています。

 

サルコメアとは、筋原繊維の「単位」を示す言葉で、筋繊維を構成する多数の筋原繊維の中にZ帯という部分があり、この仕切られた部分をサルコメアと呼んでいます。

筋原繊維が束になって構成している筋線維が骨格筋を形成しているため、サルコメアの以上は骨格筋の運動異常をもたらします。

 

この運動以上をもたらす遺伝子変異、約1400パターンのうち、60%後半から70%を占める変異がβミオシン重鎖(MYH7)またはミオシン結合タンパク質CMyBPC3)をコードする遺伝子の変異です。

関連するタンパク質のグループは、心筋収縮関連タンパク質と呼ばれ、研究が進められてきました。

 

この疾病は、大部分の患者が無症状、またはわずかな症状を示すだけのことが多く、検診でたまたま心雑音、心電図の異常が見つかってから診断にいたるケースが少なくありません。

症状が出る場合は、不整脈に伴う動悸やめまい、運動時の呼吸困難、胸の圧迫感などがあります。

重篤な症状の場合は不整脈を原因とする失神、そして閉塞性肥大型心筋症の場合には運動時の左室流出路狭窄が悪化することによる脳虚血が生じることもあります。

 

肥大型心筋症と診断されると、競技スポーツなどの運動が禁止となり、β遮断薬、ベラパミルなどが処方されます。

埋め込み型の除細動器適応も検討されることがあり、突然死の家族歴などがあった場合は厳密な管理が必要です。

 

5年生存率が90%以上、10年生存率が80%以上ですが、死亡する場合は若年者では突然死、壮年から高齢者では心不全死と塞栓症死が主で、いずれも突然死亡することが特徴です。

 

現時点では対症療法以外に確立された治療方法はなく、治療方法の開発のために多くの疾患モデルが報告されていますが、いずれもヒトの肥大型心筋症を正確に再現できていませんでした。

このことから治療薬の開発もスムーズには進まず、さらに肥大型心筋症の進行度、重症度の違いも正確に再現できていないために病態の再現性が高いモデルが望まれていました。

 

当然、iPS細胞の出現以来、多くの研究チームがトライしてきた肥大型心筋症の疾患モデルですがなかなか上手くいかない状況が続いていましたが、今回の報告にある内容は、これまでよりもはるかに正確な病態再現性を持つ可能性があるとして期待されています。

 

研究の内容について

京都大学のプレスリリースでは、この研究のポイントを3つ挙げています。

  1. T112と伸長刺激を用いて人工心筋組織を成熟させる方法を開発した
  2. この方法により肥大型心筋症で見られる症状を再現することができた
  3. 軽度な症状も再現できており、肥大型心筋症のモデルとして利用が期待できる

 

ヒトiPS細胞由来の心筋細胞を用いた人工心筋組織は、心臓疾患を再現するツールとして期待されていましたが、これまでの人工心筋組織は組織が未成熟である事が問題でした。

そのため正確な疾患の再現が困難だったことは先述したとおりです。

 

今回、研究チームはERRγ作動薬(Estrogen receptor-related receptor γ:エストロゲン関連受容体、つまりエストロゲン関連受容体作動薬)であるT112と伸長刺激を用いて人工心筋組織の成熟を促進することにより、肥大型心筋症を再現しようとしました。

ERRγは卵胞ホルモンであるエストロゲンに関連する物質に反応する受容体と類似している構造を持つ受容体で、ミトコンドリア機能の調整に関与しています。

T112はこのERRγに結合して作動させる物質で、ERRγ作動薬に分類されています。

 

T112は、研究チームは以前、心筋細胞を成熟化させる化合物のスクリーニングを行い、ERRγ作動薬であるT112が心筋細胞の成熟を促進することを見出した報告を2021年にしており、その報告の内容から今回使われました。

T112で処理た人工心筋組織は、より成熟した心筋組織の特徴を示しており、2021年の報告の結果を再現できたということで今回も同じ方法が採用されました。

 

この方法には、T112という作動薬の他に伸長刺激(伸張刺激)がカギになっています。

筋肉が伸び縮みすると、その筋肉を構成する細胞にも伸び縮みの力がかかります。

細胞によっては、分化する際にこの力が分化のカギになる場合があり、iPS細胞の出現前から伸長刺激が細胞に与える影響が研究されてきました。

伸長刺激は「ストレス」の領域でも研究されており、その研究知見がiPS細胞の出現以来、分化誘導に応用されています。

 

研究内容をさらに分子的に見てみると

今回再現した疾患モデルは、重度な病態を示すMYH7 R719Qという遺伝子変異タイプのものと、軽度な病態のMYBPC3 G115*2つです。

MYH7 R719Q変異をもつ成熟人工心筋組織は、心筋肥大や過収縮、拡張機能障害、筋原線維配列の乱れ、線維性変化、および解糖系活性化など、患者の病態で確認された様々な肥大型心筋症に関する表現型を示しました。

軽度な症状であるMYBPC3 G115*変異をもつ成熟人工心筋組織は一部の表現型を示しましたが、この軽度の症状は今回開発されたプロトコールのみで再現することができ、研究結果がこれまでよりも大きく進歩していることを示しています。

 

結果として、ERRγの活性化と伸長刺激の組み合わせは、人工心筋組織の成熟を促進し、肥大型心筋症の病態を再現を可能とすることが証明されたのですがiPS細胞内で何が起こっているのか詳しく見てみましょう。

 

細胞を付着させたプレート下を吸引すると、伸長刺激を与えることができる装置を用い、iPS細胞から誘導した未成熟の人工心筋組織を伸長させます。

この時にT112処理を行うと、成熟した心筋であることを示す分子マーカーは数倍に増加しました。

 

さらに、心筋の成熟に関わる、サルコメアの長さ、収縮力、ミトコンドリアDNA含有量、グルコース消費量など、さまざまな指標について、条件検討を行い、もっとも成熟した人工心筋組織が構築できる条件を探索します。

その結果、T112処理と伸長刺激の組み合わせが最適化され、より成熟した状態の人工心筋組織を得ることができました。

 

さらに、T112処理と伸長刺激により非重症型の肥大型心筋症も再現できるかどうかの試験も行っています。

肥大型心筋症患者のうち、MYBPC3切断変異は頻度が高い変異の一つです。

この研究のために、まずは健常な人由来のiPS細胞(WT)に対してCRISPR/Cas9を用いたゲノム編集を行い、MYBPC3切断変異を持つiPS細胞株(MYBPC3 G115*)を作製しました。

 

・ 心筋関連疾病の研究に役立つツール  

今回の研究成果では、ERRγ作動薬であるT112と伸長刺激を組み合わせた方法により、人工心筋組織を成熟させることができることが示されています。

また、この成熟した人工心筋組織を使うことで、より症状の重い肥大型心筋症、軽度な肥大型心筋症の症状の差をそれぞれ再現することができたという結果はこれまでにない大きな進歩です。

 

指定難病とされている肥大型心筋症ですが、今回の研究成果をきっかけに、治療方法の開発、創薬のスピードが格段に上がることが予想され、研究成果を応用した基礎研究から臨床試験に移れるものが近いうちに出てくるだろうと期待されています。

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