東京医科歯科大・堀助教、胎盤を模倣したMPSを作製し薬効評価に応用へ
第23回日本再生医療学会総会(会期:2024年3月21日〜23日)で開催されたシンポジウム「生体模倣システム(MPS)アップデート 〜深化と多様化〜」(座長:筑波大学生命環境系の伊藤弓弦教授、崇城大学大学院工学研究科の石田誠一教授)で、東京医科歯科大学生体材料工学研究所の堀武志助教が、胎盤を模倣したMPSについて発表しました。
この研究内容は2024年2月、Nature Communications誌に「Trophoblast stem cell-based organoid models of the human placental barrier.」というタイトルで発表された論文がもとになっています。
研究の中心となったのは、東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 診断治療システム医工学分野の堀 武志助教、東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 診断治療システム医工学分野の梶 弘和教授、熊本大学発生医学研究所 胎盤発生分野の岡江寛明教授、そして東北大学大学院医学系研究科情報遺伝学分野、有馬 隆博名誉教授です。
研究のポイントは、
・ヒトの胎盤幹細胞を用いて、ヒトの絨毛構造を模倣した胎盤オルガノイドモデルを世界で初めて作製。
・胎盤オルガノイドモデルの作製条件をもとに、妊婦から胎児への物質移行を定量的に評価可能な 胎盤バリアモデルを開発。
の2点で、この研究はウイルスや細菌の胎盤を介した胎児への影響、胎盤で起きる物質輸送、胎盤の形成・成熟過程などを解明する上で、有用な細胞培養モデルとなるものと期待されています。
さらに、創薬、動物実験に頼ら ない医薬品安全性評価(動物実験代替法)の開発への貢献も期待されています。
研究の背景は?
ヒトの胎盤は、妊娠の維持に必要なホルモンの産生を行うだけでなく、医薬品やウイルス等の異物から胎児 を守る関門(バリア)としての役割も担っており、この機能によって胎児を守っています。
しかし、医薬品やウイルスの中には、胎盤を透過し、胎児に影響を及ぼすものが存在します。
医薬品の胎盤通過については、医薬品開発で細心の注意が払われるポイントです。
創薬においては、胎児へのリスクを最小限に抑えた医薬品を開発するために、物質の胎盤透過性や胎児への移行量を正確に推定しなければなりません。
マウス、ラットは実験動物としてヒトに有用なデータを提供しますが、胎盤の構造や胎盤を構成する細胞については、大きな種差が存在します。
そのため、動物実験から得られた物質胎盤透過性情報をヒトに応用することが難しいこと が知られています。
また、これまでに開発されてきたほとんどの胎盤細胞培養モデルは、生体内の胎盤細胞と
は異なる機能を持った絨毛癌由来の細胞が使用されてきたため、ヒトの胎盤についての正確な情報が十分に得られていませんでした。
これまでの研究では、がん細胞を使って研究し、その結果から健常な胎盤を構成する細胞での結果を予想するという手段で研究が主に行われてきました。
一方で、東北大学医学系研究科では、2018年にヒト胎盤幹(TS)細胞を樹立することに成功しました(発表論文:Okae et al, Cell Stem Cell. 2018)。
ヒトの健常培養細胞の欠点として、分裂回数が限られていることが挙げられます。
がん細胞は無限増殖が特徴なので、培養細胞化しても延々と細胞分裂して研究に用いることができますが、健常細胞は分裂回数が限られているために細胞を植え継ぐ「継代」という作業が限られた回数シカできません。
しかし東北大学が樹立したこの細胞は、安定に長期間未分化を維持でき(80継代以上)、また、ホルモン分泌に働く合胞体性栄養膜(ST)細胞や浸潤能を有する絨毛外性栄養膜(EVT)細胞へと分化する多能性を有します。
そこで研究グループは、ヒトTS 細胞を活用し、東京医科歯科大学の当該研究グループと共同で細胞組織工学技術を駆使した、ヒトの胎盤を模倣した新規のヒト胎盤バリアモデルの開発に取り組みました。
ヒトの胎盤の概略
ヒトの胎盤は、妊娠中に子宮内で形成される重要な器官です。
胎盤は、胎児と母体の間で栄養、酸素、および代謝産物の交換を担う役割を果たします。
胎盤は通常、子宮の内壁と胎児の外膜の間に形成され、妊娠の初期段階から成長し続けます。
胎盤は、母体から栄養素や酸素を取り込み、胎児の成長と発達をサポートすると同時に、胎盤は胎児が生成する二酸化炭素や代謝産物を母体に排泄します。
この交換は、胎盤内の血管網を介して行われます。
また、胎盤はホルモンの産生や免疫機能の提供など、妊娠全体の調節にも重要です。出産後、胎盤は通常、母体から排出されます。
このようにヒトの胎盤は非常に複雑で特殊化された器官であり、胎児と母体の間の重要なコミュニケーションの中心的な役割を果たしています。
さらに細かく見ると、ヒトの胎盤の中には絨毛があり、妊娠初期の絨毛の表面は合胞体性栄養膜細胞(以下、バリア細胞)と細胞性栄養膜細胞から成る2層構造をしています。
合胞体性栄養膜細胞(blastocyst trophectoderm cells)は、胚盤胞(blastocyst)と呼ばれる初期の胚の一部を形成する細胞の一種です。
これらの細胞は、受精卵が分裂していく過程で形成され、胚盤胞の外部を覆う一層の細胞層を構成します。
この細胞は、胚盤胞の外側に位置し、胚の発展と着床に重要な役割を果たします。
これらの細胞は通常、胎盤を形成する細胞群の前駆細胞として機能し、着床後に母体の子宮内膜に接着し、胎盤の形成に貢献します。
胚盤胞の内部の細胞(胚球内細胞)は、胚自体の形成に向けて発展し、胚の各器官や組織の前駆細胞となりますが、合胞体性栄養膜細胞は主に胎盤の形成に関与し、胚盤胞の着床と発展を支えます。
細胞性栄養膜細胞(cytotrophoblast cells)は、胚盤胞の形成時に胚の一部を構成する細胞です。
胚盤胞は、受精後の初期段階で形成され、内部に胚球内細胞(inner cell mass)と外部に合胞体性栄養膜(trophectoderm)と呼ばれる2つの細胞層を持ちます。
この細胞群は合胞体性栄養膜の一部であり、胚盤胞の外側に位置し、着床後の受精卵が子宮内膜に接着し、胎盤の形成に重要な役割を果たします。
細胞性栄養膜細胞は、胚盤胞から分化して発生し、合胞体性栄養膜細胞と共に胚盤胞の外部を覆います。
そして胚盤胞の形成後、細胞性栄養膜細胞は多様な機能を果たします。
これらの機能には、胚盤胞の着床、胚盤胞の発展、そして後に胎盤の形成と機能の調節が含まれます。
細胞性栄養膜細胞は、胚盤胞が子宮内に着床し、妊娠が進行する過程で胎盤の形成と機能をサポートするため、非常に重要な役割を果たします。
研究の詳細
この研究では、ヒトの胎盤から樹立された胎盤幹細胞を3次元的(立体的)に培養します。
この3次元培養で、絨毛表面の構造を人工的な細胞培養により作り出すことを研究グループは試みました。
胎盤形成に関わる成長因子などを培養液に添加した後、8日間ほど培養すると、球状の胎盤オルガノイドの形成に成功し、この胎盤オルガノイドを詳細に解析した結果、実際の絨毛と同様に表面の細胞は融合しており、また、多くの微絨毛が観察されました。
さらに、この胎盤オルガノイドの培養条件をもとに、母体-胎児間で起きる物質移行を評価することを可能とする胎盤バリアモデル(厚みを持った胎盤細胞シート) の開発に着手し、作製に成功しました。
これらの胎盤オルガノイドと胎盤バリアモデルは、ウイルスなどが胎盤に感染するメカニズムや妊娠高血圧症候群に関わる胎盤形成不全のメカニズムを解明する上で、研究材料として有用であると期待されています。
また、胎児への副作用を抑えた新しい医薬品の開発や、実験動物を使用しない医薬品安全性評価 (動物実験代替法)の開発などにも利用可能であり、産業的にも大きな影響のある研究知見であると考えられています。
この研究で、ヒト胎盤オルガノイドと胎盤バリアモデルを作製する方法が確立されました。
これまでがん細胞を使ったり、種の違いを承知で実験動物のマウス、ラットを使っていた胎盤研究が、「ヒトの胎盤を再現した人工的な細胞群」を使って行えるようになりました。
これは、医薬品候補化合物の胎盤透過性を評価することにより、胎児への副作用の小さい新薬の開発に繋げられるものと考えられます。
また、ヒト胎盤モデルの作製は、ヒト胎盤の形成メカニズムや胎盤に関連した疾患(妊娠高血圧症候群等)の解明にも貢献するものと考えられます。