細胞シグナルを精密に制御する、スマートな人工細胞増殖因子の開発に成功

目次

1. 幹細胞の分化、増殖に必要な細胞増殖因子についての発見

細胞増殖因子は、特定細胞の増殖を促したり、分化、機能の維持などをコントロールするタンパク質です。

幹細胞の増殖・分化にも深く関与することから、再生医療の発展においては、この細胞増殖因子の知見は必須であり、すでに培養に応用されている細胞増殖因子もあります。

しかし、細胞増殖因子はコントロールが難しく、多方面に作用するために、思いもかけない作用を細胞に起こさせることが多く、細胞増殖因子による機能制御は難しい部分がありました。

この細胞増殖因子の機能をコントロールすることを目的として、人工細胞増殖因子の開発はいくつかの研究グループによって行われてきました。

今回、東京大学大学院工学系研究科博士課程に在籍している大学院生、秋山桃子氏と、工学研究科化学生命工学専攻の植木亮介博士を中心とした、東京大学、理化学研究所のグループが人工細胞増殖因子の開発に成功しました。

2. 細胞増殖因子とは?

細胞増殖因子は、増殖因子、成長因子とも呼ばれ、動物体内のテク堤細胞増殖、細胞分化を促進する内因性のタンパク質です。

標的となる細胞の細胞膜表面に存在する、受容体タンパク質に特異的に結合し、細胞内にシグナルを伝えます。

細胞増殖因子のグループには様々な種類の分子が存在しています。

上皮成長因子(EGF: Epidermal growth factor)、インスリン様成長因子(IGF: Insulin-like growth factor)、トランスフォーミング成長因子(TGF: Transforming growth factor)などが代表的な分子です。

さらに、構造的、進化的に関係のあるファミリーで区分することもあり、この場合は、TGF、骨形成タンパク質、神経栄養因子、繊維芽細胞増殖因子で分類されます。

ES細胞iPS細胞と細胞増殖因子の関わりは、これらの細胞を培養する際に、培地に添加する、また分子によっては増殖、分化を誘導するために使われる事もあります。

しかし、時に細胞増殖因子によって細胞が異常に活性化することによる細胞のがん化に代表される副作用も見られます。

そのため、再生医療の製品としてはリスクが大きく、生体から単離された細胞増殖因子をそのまま医療製品として使うケースはごくわずかです。

この細胞増殖因子の細胞に対する強度、つまり現象を引き起こす能力の強度の制御、発現機能に選択の余地を与えたものを、「スマートな細胞増殖因子」と呼ぶことがあります。

今回の研究成果は、このスマートな人工細胞増殖因子の開発に成功したことが重要なポイントです。

3. 研究成果の内容

この研究で使われた細胞増殖因子は、細胞膜上の受容体に結合しますが、細胞増殖因子が結合する前の受容体は2つに分かれています。

細胞増殖因子が結合すると、2つに分かれていた受容体が合体し、二量体になります。

つまり、2つの受容体の間に細胞増殖因子がはまり込み、橋渡しがされることによって受容体が活性化するわけです。

そして、二量体になった受容体は活性化し、細胞内のシグナル伝達が動き始めます。

こうした、2つの受容体の間に細胞増殖因子が橋渡しをすることによって受容体からのシグナルが活性化するメカニズムは、多くの細胞増殖因子と受容体の組み合わせに見られます。

シグナルの強さは、2つの受容体が二量体化する効率にコントロールされていることは昔からわかっていましたが、ここに着目した開発はなかなか成功例が出てきませんでした。

研究グループは、改めてこの二量体になる効率が変化することによってシグナルの伝達効果が変化することに着目し、橋渡しをする人工細胞増殖因子の開発に着手しました。

アイデアとしては、人工的な細胞増殖因子の構造によって、受容体の二量体化効率を制御すれば、細胞内シグナルの強度をコントロールすることができると考えたのです。

しかし、従来のタンパク質を使った構造物を作って、人工細胞増殖因子としても、受容体の活性はいきなり最大となってしまうために制御できるレベルではなくなります。

そこで研究グループは、DNAアプタマーを使いました。

DNAアプタマーとは、主な構成分子はDNAであり、核内のDNAのように長くなく、断片化されたDNAとしては短めの構造をしています。

DNAアプタマーは、その配列などによって標的のタンパク質に特異的に結合させることが可能です。
つまり、タンパク質である細胞増殖因子の代わりをDNA断片にやってもらおうというアイデアです。

DNAアプタマーは、SELEX法(Systematic Evolution of Ligands by Exponential enrichment)によって人工合成が可能であり、しかも大量生産することも可能です。

研究グループは、DNAアプタマー2分子を結合させ、人工的な細胞増殖因子を作製し、この2つのDNAアプタマーの親和性によって、受容体を介した細胞内シグナルの伝達効率を制御しようとしました。

モデルとしたシステムは、細胞増殖因子の1つである血管内皮細胞増殖因子(VEGF: Vascular Endothelial Growth Factor)です。血管内皮細胞増殖因子は、血管網形成の時に重要な働きをする分子で、生体の構築には不可欠な分子です。

一方で、がん細胞は血管内皮細胞増殖因子を分泌してがんの細胞塊の中に血管網を構築し、がん細胞への酸素、栄養の供給、そしてがんが転移する時の細胞の通り道として利用しています。

生体の発生、疾患両方で非常に重要な分子ですが、研究グループはこのメカニズムを評価システムとして使うために、ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC: Human Umbilical Vein Endothelial Cells)を使いました。

研究グループがDNAアプタマーを使って作製した人工細胞増殖因子が、シグナル強度を制御できない場合は、人工細胞増殖因子の濃度を変えて細胞に添加しても、データとして出てくるものは常に最大の状態で出てきます。

もし、シグナルの強度をコントロールできるのであれば、細胞に添加する人工細胞増殖因子の濃度によって、細胞が示すデータは濃度が濃い時には強く、濃度が薄い時には弱くなるはずです。

研究に使った人工細胞増殖因子は、3種類のものを設計して使いました。その結果、これらの人工細胞増殖因子は、ヒト臍帯内皮細胞のシグナルを制御し、細胞の反応をコントロールできることが明らかとなりました。

このDNAアプタマーを使うことによって細胞シグナルの制御が可能である事が証明されたわけですが、さらにこの人工分子には利点があります。

例えば、疾患に用いる薬には程度の差はありますが、ほとんどの場合副作用が存在します。

しかし、今回の人工細胞増殖因子は、DNAというもともと我々の身体の中に存在する物質を使っているため、副作用のリスクがそれほど大きくないのです。

このような場合、「生体適合性が高い」という言葉で表現されますが、まさに適合性が高い物質で開発することに成功したわけです。

さらに、人工的なDNA断片は、化学的に合成が容易であり、低いコストで生産が可能です。

類似の核酸断片(DNA、RNAなどの断片)にはPCRに用いるプライマーがありますが、このプライマーは20個の核酸塩基を連ねても、1000円程度で購入が可能です。

非常に低いコストで作製できるこの人工細胞増殖因子は、一般的な化合物の薬のように、大きな副作用リスクを考える必要はなく、受容体ごとに塩基配列パターンを変えるなどの操作で、何種類もの受容体を制御する分子が簡単に作製できる可能性があります。

4. 幹細胞を使った医療、研究に拡がる応用の道

細胞増殖因子は、直接的に医療に使う場合もありますが、他にも細胞の培養には必須の分子であり、世界中の研究室がこの細胞増殖因子を細胞に添加するために、培養液に添加する血清を購入しています。

細胞増殖因子は、疾患治療だけでなく、その治療方法を研究する基礎的な分野でも必須の物質です。

これが人工的に合成が可能で、細胞への影響の度合いも制御できるということになれば、まずは培養研究に使っている細胞増殖因子のコストが大きく減ります。

さらに幹細胞培養に最適化された人工細胞増殖因子が開発されれば、ランニングコストが高い幹細胞研究のコストも低くなり、多くの研究者が幹細胞の研究に着手できるようになるでしょう。

そして人工細胞増殖因子自体が有用な医療薬品として使うことができる可能性があります。

この場合、有用な人工細胞増殖因子が開発された後にコストダウンの手順を省いて、すぐにでも臨床試験を行い、承認され次第、市場に指すことができます。

つまり、今までの医薬品に見られた「コストダウンによって患者の経済的な負担を減らす」というステップが必要なくなるかもしれません。

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