金沢工大、脳の損傷後に機能を代償する新規神経回路を作り出す分子機構を解明金沢工大

目次

1. 脳損傷は何を引き起こすのか?

中枢神経系が何らかの理由で損傷すると、我々の体は損傷前と比べ、大きく動きが制限されてしまいます。

例えば、中枢神経系に含まれている脳は、頭に強い衝撃が加わるなどが原因で損傷を受けることがあります。

損傷を受けた脳は、傷がついたり出血することがありますが、これは外傷性脳損傷、または脳外傷、頭部外傷と呼びます。

脳が障害を受けると、脳の働きが傷害されてしまい、半身麻痺、感覚障害などの身体的な障害が出ます。

さらに、記憶障害、半側空間無視、失語症などの障害も起き、これらは高次脳機能障害としてよく知られています。

これらの傷害は、脳卒中などでもよく見られる症状なのですが、外傷性脳損傷では脳卒中の場合と異なる点がいくつかあります。

まず、傷害による後遺症に対して改善傾向が比較的長く続くこと、運動などの身体的な障害よりも、高次脳機能障害の方が残りやすいこと、そして脳卒中と比べて年齢的に若いケースが多いため、社会復帰のためのリハビリテーションに代表される、社会復帰へのアプローチが必要な点です。

この早期の修復には、手っ取り早い方法として脳内に新規の神経回路を作らせる方法があります。

しかしこれは理論的に「早期回復が見込める」とされているだけで、実際にそのような治療方法は確立されていません。

この新規神経回路を作り出すメカニズムを解明するきっかけとなる分子機構を、金沢工業大学の研究チームが解明しました。

2. 工業大学で神経の研究

この研究は、金沢工業大学、バイオ・化学部 応用バイオ学科の小島正己教授と、大阪大学大学院生命機能研究科の張理正博士、山本亘彦教授の研究チームで行われました。

金沢工業大学は石川県金沢市の隣、野々市市にある私立大学です。

全国的な知名度が高い、という大学ではありませんが、「教育付加価値日本一の大学」を目指し、「入学時の学力よりも卒業時の学力」を重視した教育を行っており、地方の私立大学にも関わらず、首都圏私立大学を凌ぐ就職率を誇る大学です。

工業大学ですが、20世紀末より生命科学にも力を入れ、多くの優秀な卒業生を送り出しています。

大学附属のゲノム生物工学研究所をもち、生命科学系の研究レベルも高く、同じ石川県内にある、金沢大学、金沢医科大学との共同研究、連携研究が盛んに行われています。

3. 研究成果の内容

先にも述べましたが、中枢神経系は損傷後の再生がなかなか難しいことが知られています。

この解決策として、我々の身体は、損傷したニューロンの再生ではなく、代替となる神経回路を形成することがあり、これによって機能が回復方向に向かいます。

神経系は、情報の流れが決まっている部分があります。

この流れに沿って情報が受け渡しされることによって、我々の中枢神経系は身体をコントロールしたり、外からの情報を処理しています。

しかし、脳の損傷後に、本来はほとんど存在しない情報の流れが出現することがあります。

この時、脳内では、損傷していない側のニューロンの軸索から側枝が出現し、新しい神経回路が形成されることがわかっています。

これは神経発芽と呼ばれる現象で、1970年代に発見されました。

その後の研究で、この神経発芽を介した機能回復は、若ければ若いほど盛んに行われる、つまり、若い人ほど回復する可能性が高いことがわかっています。

しかしこの細胞、分子レベルでのメカニズムは、発見から50年以上、半世紀も経っていますが明らかになっていません。

そこで研究チームは、この問題を解明するために仮説を立てました。

おそらく、損傷した側から神経を引っ張り出すための誘因性因子が分泌され、損傷していない側から神経索が損傷した側に引っ張り込まれるのではないか、という仮説をもとに研究を行い、今回の研究成果が生まれました。

「誘因性の因子」という考え方は、全くの想像というわけではなく、身体の中にはこのメカニズムを使っている現象が存在します。

最も我々に関係のあるものは、がんです。

細胞ががん化し、がん細胞となると急激に増殖します。

この増殖して成長したがん細胞の塊には血管がないため、塊の中心部の細胞は栄養不足、酸素不足になります。

この解決のために、がん細胞は血管を引き込むための誘因性因子を分泌し、がん細胞の塊内に血管を引き込みます。

そして引き込んだ血管から栄養、酸素を取り、さらに成長、そして他臓器への転移の時にはこの血管を通り道として使います。

研究チームはこれとよく似たメカニズムを予想し、損傷後の脳内で遺伝子発現がどうなっているのかをRNAシークエンスという方法で調べました。

この実験方法は、ある遺伝子に注目するのではなく、その細胞がもっているRNA全てを網羅的に解析する方法です。

この網羅的な解析の結果、損傷している側では、グリア細胞由来の分子の発現が上昇していることがわかりました。

グリア細胞は、情報を伝達する神経の細胞を補佐する細胞です。

神経細胞ではないのですが、ヒトの脳では、神経細胞の50倍の数が存在しているといわれています。

グリア細胞は、役割でいくつかの種類に分けることができます。

ミクログリア、アストロサイト、オリゴデンドロサイト、上衣細胞、シュワン細胞、衛星細胞がグリア細胞という括りに入る細胞群ですが、損傷した脳の周辺では、このうちアストロサイト、ミクログリアが広範囲に分布していることが研究チームによって確認されています。

このグリア細胞由来の分子の中で、神経回路形成に重要な遺伝子を絞り込もうと、研究チームは遺伝子編集技術を使ってRNAシークエンスでピックアップした候補遺伝子の解析を行いました。

その結果、神経回路は、オステオポンチンという分子とインテグリンベータ3という分子が遺伝子編集によって欠損すると、形成が減弱することがわかりました。

欠損したときに神経回路の形成が減弱するということは、この2つの遺伝子が神経回路形成に重要な役割を持っているという証拠です。

オステオポンチンは、細胞外マトリックス分子の1つです。

細胞外マトリックスとは、細胞の外にあって、組織、器官の構造を保持したり、細胞同士の仲介を行うタンパク質で、繊維タンパク質、構造タンパク質などが含まれます。

そしてインテグリンベータ3は、フィブロネクチンという物質の受容体です。

インテグリンは細胞表面にある接着分子です。

フィブロネクチンは、このインテグリンベータ3に結合し、細胞接着、細胞間の情報伝達に機能しているとされています。

つまり、脳が損傷すると、オステオポンチンとインテグリンベータ3の作用によって、新しい神経回路の形成が誘導され、失われた脳の機能を回復させようとするのではないか、ということがこの研究によって示唆されたわけです。

4. 脳機能回復に大きな一歩

2つの分子が特定され、2つともが細胞外で機能するタンパク質をコードする遺伝子というのは非常に興味深い結果です。

当然、この2つの分子だけで神経回路の形成が完了するわけではなく、他にも関与する物質が存在する可能性が高く、さらなる解析が必要です。

こう書くと、脳損傷の回復を成功させる治療方法の確立は遠い未来の話に思われるかもしれませんが、実際はたった2つの分子でも、関与することが明らかになれば、これを足がかりにしてさらに深いところまで解析することができます。

つまり、今回の発見によって、脳機能回復の治療方法確立は、大きく加速したと言えます。

今後は、臨床的な知見を集めるための研究も行うと思われます。

金沢工業大学がある野々市市の隣、金沢市には金沢大学医学部、そして金沢市を挟んで日本海側にある内灘町には金沢医科大学があり、将来的にはこれらの大学と共同で脳機能回復の治療方法確立のための研究が展開されるのではないでしょうか。

その過程で、神経幹細胞の移植がさらに治癒へ加速させる可能性も考えられますし、今後の研究展開に大きな期待がかかります。

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