1. 造血幹細胞を使った治療に有用なシステムを開発
京都大学大学院医学研究科、医学部附属病院は、ネクスジェン株式会社、神戸市立医療船体中央市民病院と共に、医療研究開発革新基盤創成事業の課題「造血幹細胞の体外増幅技術の開発と移植医療への応用」において、「ヒト造血幹細胞増幅技術」と「ヒト造血幹細胞移植予後予測コンパニオン診断システム」の2つの技術開発に成功したと発表しました。
ヒト造血幹細胞移植は、白血病などの血液がんの完治を目指す主な治療方法ですが、現在使われている技術ですと、ヒト造血幹細胞以外の細胞も含まれてしまうため、移植片対宿主病(GVHD: Graft Versus Host Disease)などの大きな副作用が問題となっています。
これを解決する方法として、長期持続的な造血に関与するヒト造血幹細胞を採取した細胞群から単離し、体外で細胞増殖させる技術が求められていました。
また、臨床現場においては、ヒト造血幹細胞のドナーを選別するために用いる既存の指標では、レシピエントにおけるヒト造血幹細胞の予後予測は困難でした。
そのため、予後をかなりの精度で予測できるシステムは、現場からの要求が大きい技術です。
日本はiPS細胞の開発に成功して以来、幹細胞を使った再生医療法の開発においては世界の先頭を走っています。
そんな中で、再生医療の基礎研究、臨床研究を支援している機関が、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED:Japan Agency for Medical Research and Development)です。
AMEDが行う事業の中に、医療研究開発革新基盤創生事業(CiCLE:Cyclic Innovation for Clinical Empowerment)があります。
今回の研究は、この事業の枠組みの中で行われ、再生医療に重要なシステムが開発されました。
このシステム開発を理解する上で、いくつかの言葉を理解する必要があります。
まず、造血幹細胞移植では、正常な造血機能を持った健康な人から造血幹細胞の提供を受ける必要があります。
この造血幹細胞の提供者をドナーと呼びます。
これに対し、移植される側、つまり患者側はレシピエントと呼ばれます。
この呼び方は、造血幹細胞の移植だけに限らず、他の臓器移植でも同様の呼び方で呼ばれます。
ドナーとレシピエントは別の個体のため、体内では他者由来の細胞への攻撃が起こることがあります。
これは移植片対宿主病と呼ばれる疾患です。
ドナーから細胞をレシピエントに移植すると、ドナーの細胞の中にはレシピエントの身体に生着するものが出てきます。
生着は治療に必要なのですが、生着し多細胞の中には患者の身体を攻撃する細胞も出てきてしまいます。
これを解決するための技術が今回の研究の内容です。
2. ネクスジェンという会社は?
ネクスジェンは、2016年に設立されたバイオベンチャー企業です。
事業内容は、幹細胞を用いた次世代再生医療イノベーションの開発、そしてAI-バイオインフォマティックスを用いた次世代バイオ・医療関連技術の開発です。
会社の経営陣は、京都大学工学部出身の中島正和氏、大阪大学大学院出身の竹谷誠博士(博士号は名古屋市立大学大学院で取得)、東京大学大学院出身の平松隆司博士など、理工系、医学系出身者で固められています。
研究拠点を神戸、東京に持ち、細菌感染症関連の子会社を持つなど、近年成長著しいバイオ企業です。
ネクスジェンは、今回の研究だけでなく、多くの研究テーマで国内の研究機関と共同で研究・開発を行っています。
その中でも特に造血幹細胞関連には力を入れており、今回の研究開発にフィットした企業であると言えます。
3. 今回の研究成果
今回の研究成果は4つあります。
まず1つ目は、ヒト造血幹細胞(Hematopoieic stem cell、HSC)の中でも特に有用な、Long-Term ヒト造血幹細胞(ヒトLT-HSC)を判別するためのバイオマーカーを同定することに成功したことです。
このバイオマーカーを目印に細胞を選別すれば、移植する細胞の純度を高めることができるので、副作用などのリスクを軽減することができます。
2つ目は、バイオマーカーを目印に単離したヒトLT-HSCを体外で人工的に増幅する技術の開発です。
ヒトLT-HSCは造血幹細胞ですので、それらが持つ未分化性を維持したまま培養して増殖させる必要があります。
この研究は条件検討が主となりますが、研究グループは細胞分画を1週間培養しても細胞純度が50 %以上を維持することに成功しました。
これの技術によって、他の細胞が増殖して大きな割合を占めるようになり、移植に不適、または移植しても肝心のヒトLT-HSCが少ないという状況を避けることができます。
3番目は、ヒトHSC(ヒト造血幹細胞)の移植後の予後を診断するシステムの開発です。
移植片対宿主病(GVDH: Graft versus host disease)に対するために、過去の移植治療結果をベースとして、幹細胞移植治療における患者ごとの生存(GRFS: GVDH-free, relapse-free survival、relapseは“再発”という意味)を予測するシステムです。
つまり、これら移植後のトラブルから3ヶ月後、及び1年後の予後を機械学習モデルを構築して予測可能なシステムとしたものです。
この3番目の成果は今回の4つの成果に含まれますが、3番目の成果単体で論文が発表されています。
これは、機械学習モデルによる予測のインパクトの大きさによるもので、このシステム開発によってリスクの計算、治療計画立案などに大きな貢献をするものと考えられています。
そして最後、4番目の成果は、予測能力を向上させる新規因子の探索です。
早期にレシピエントの身体に生着するために必要な因子の特定を行い、移植した細胞の生着確率を上げるための研究です。
今回の研究で新規に同定したマーカー群を使ったLT-HSCの推測値と、これまで臨床、基礎研究で使われてきた推測値を比較したものです。
これらをまとめると、この研究は移植時の副細胞の問題を解決し、ヒトHSC移植後の生着可能性を上昇させるために、独自に発見したバイオマーカーによってヒトLT-HSCを単離しました。
単離後は、高純度に増幅できる培養方法の条件を最適化した培養方法でこの細胞を増殖させます。
そしてヒトHSC移植の予後を予測する、また患者ごとに最適なドナーの選択をAIなどを使って可能としました。
さらに細かい点では、ヒト幹細胞の特性、細胞表面マーカーが新規に同定され、特徴が明確になりました。
HSCを増幅させるためのアミノ酸組成もこの研究で明らかになっており、細胞増殖に必要な分子を人工的に作成するという可能性もこの研究で生まれました。
また、これらの成果で長年課題であった移植後の副作用の問題の改善に大きく善することができました。
これらの技術によってHSCの免疫寛容効果から応用し、将来は副作用が少ない他家移植が実現する可能性があります。
そして、増幅技術の開発およびヒトHSC移植予後予測コンパニオン診断システム開発の目標を達成したことにより、本研究で開発された培養技術や診断技術は、HSC移植のみならず、種々の細胞治療、再生医療等への応用が期待されます。
実際に、2022年度中にはこの研究から得られた知見を使った細胞培養液(ただし、RUO: Research Use Only、つまり研究用途にのみ使用が可能)の販売が行われる見通しです。
細胞培養液に続いて、LT-HSCを判別するためのマーカーを使った製品が出ると考えられます。
ただし、これについてもまずは研究用途にのみ使いことができるものだと考えられます。
治療に使うとなると、厚労省の承認を得る必要がありますので、臨床試験などを行って安全性の確認が必要です。
そのため、臨床的に使える製品の販売は、数年後という見通しです。
機械学習システムを使った医療も徐々に実用化されている昨今ですので、製品開発はそれほど遠い未来ではないと予想されます。