iPS細胞研究の拠点化が進む関西
iPS細胞の樹立が学術誌「Cell」に掲載されたのが2006年、それ以来日本だけでなく世界でiPS細胞を使った研究が盛んに行われています。
iPS細胞樹立は山中伸弥博士によってなされ、日本発の細胞リソースということもあって、日本国内では多方面からの研究が進んでいます。
東京大学、京都大学、大阪大学などの日本のトップ大学、そして各国立研究所だけでなく、中堅大学などでも研究が行われていますが、その研究の中心になろうとしているのが関西です。
山中伸弥博士は現在京都大学教授ですが、博士は神戸大学医学部を卒業、国立大阪病院に勤務後大阪市立医科大学大学院を修了、University of Californiaの研究院を経て大阪市立大学医学部助手、奈良先端科学技術大学院大学助教授(現在の准教授に相当)、教授を経て京都大学教授に就任しています。
日本国内の経歴は全て関西地方であり、山中博士が関係した大阪市立大学(大阪府立大学と統合し大阪公立大学に)、奈良先端科学技術大学院大学、神戸大学、京都大学ではiPS細胞の研究が盛んに行われています。
関西には「関西文化学術研究都市」と呼ばれる広域都市が存在します。
この都市は大阪府、京都府、奈良県にまたがる京阪奈丘陵に作られており、現在は「けいはんな学研都市」とも呼ばれ、現在の中心は京都府木津川市と相楽群精華町にまたがる地区にあります。
日本の研究都市はどう作られてきたか
アメリカなどでは、大学などの高等教育機関と研究機関、そこに企業を加えた「研究都市」というものが存在します。
College Town USAと呼ばれているミズーリ州のコロンビア、ノースカロライナ州のチャペルヒル、ペンシルベニア州のフィラデルフィア、ニュージャージー州のプリンストン、そしてマサチューセッツ州のボストン、これらはいずれも優秀な人材を輩出し、高いレベルの研究成果を発信する機関を抱えた学術都市です。
日本におけるこのような研究学術都市は、自然発生的なものはいくつかありましたが共通した政策によって作られたものは戦後までほぼない状態でした。
例えば、京都は京都大学の学風から「学問の街」というイメージがありますが、それは京都大学が輩出する人材によるものであり、研究施設などの充実などからくる呼称ではありませんでした。
大学を中心として「学問の街」という雰囲気を醸し出している都市は、古くは仙台、熊本、金沢、弘前、松本などがありますが、いずれも研究機関を集中させるという政策は行われていませんでした。
戦後、1950年代には東京は過密状態となり、首都機能の一部を郊外に移転する計画が立ち上がりました。
1963年に筑波山麓が移転先として決定され、1967年に6省庁43機関を移転させることが決定し、1970年に筑波学園研究都市建設法が施行され、文京区にあった東京教育大学を移転し筑波大学として開校、現在は300以上の研究機関と企業、そして1万3000人の研究者が住む都市になっています。
つまり日本最初の研究都市は、東京の過密状態を解消するための政策から生まれたものです。
関西の研究都市はどう作られてきたか?
関西における研究都市建設は、京都大学総長であり農学者でもあった奥田東博士の提言によって1978年に始まります。
この時、奥田博士は懇談会を立ち上げますが、ここに参加した梅棹忠夫博士(当時は国立民族学博物館館長)は、この関西学術研究都市構想が理工学系の研究のみを重視する方向に偏ることを危惧し、文系を含めた文化開発の重要性を「新京都国民文化都市構想」として発表します。
この提案をきっかけとして、学術研究都市の名前に「文化」という言葉が加わり、「文化学術研究都市」という名前で発展させることが決まりました。
この提案によって、歴史を大きなバックボーンとして持っている京都、奈良の特性が強調され、1994年に「都市開き」が行われました。
それから約30年が経過していますが、周辺の開発も含めて筑波学園研究都市とは異なった特徴を持つ文化学術研究都市に発展しています。
iPS細胞によって研究拠点化が加速
iPS細胞が発表されたのは2006年、関西文化学術研究都市が正式に開かれてから約10年後です。
これをきっかけとして、医学、生命科学の研究、開発が関西文化学術研究都市で一気に加速しました。
現在この研究都市に含まれる自治体は、大阪府枚方市、四條畷市、交野市、京都府の京田辺市、精華町、木津川市、奈良県奈良市、生駒市です。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、京都市、大阪市、神戸市など、それぞれ京都大学、大阪大学、神戸大学という大規模な総合大学を持つ自治体は含まれていません。
現在、世界のiPS研究の中心となっているのは京都大学iPS細胞研究所(CiRA:Center for iPS Cell Research and Application, Kyoto University)ですが、実はiPS細胞研究所はこの関西文化学術研究都市にありません。
関西文化学術研究都市の特徴の一つに、研究都市内だけで完結せずに、京都市内、神戸市、大阪などに点在する研究機関と密接な関係を構築しているという点があります。
これらの都市には、京都大学医学部附属病院、大阪大学医学部附属病院、神戸大学医学部附属病院など、研究と医療が直結した大学附属病院、さらに公立、私立を含めて大規模な病院がいくつもあるため、医療・生命科学系の研究、産業が発展しやすい環境にあります。
このことも相まって、iPS細胞を使った再生医療の基礎研究、臨床研究、そして臨床試験が関西で数多く行われています。
関東でも筑波学園研究都市、そして都内にある東京大学、東京医科歯科大学でiPS細胞の研究、臨床試験は行われています。
こういったケースでは、どちらが拠点となるのかという競争ではなく、日本国内にiPS細胞の研究開発拠点が複数作られていく、ということになります。
分散してしまっては逆効果ですが、国内に数カ所の拠点を持つということは、それぞれに独自に開発が進められることによって研究に多様性が生まれ、それが日本におけるiPS細胞を使った再生医療のバリエーションを増やすことになります。
そのため、iPS細胞の拠点が関東と関西、2カ所にあるということは、今後のiPS細胞を使った再生医療発展のために重要な事なのです。
関西の拠点化を進めるための課題
こういった研究拠点は、国が政策として推し進めることが効率化につながるのですが、ある程度国庫からの支出で軌道に乗せた後は、民間の資金を調達することが重要になります。
現在は、国だけでなく都道府県レベルでも研究開発に競争的資金を出し、公的研究機関、大学、高等専門学校などで新しい技術を開発して企業を地域に呼び込もうとする動きが盛んです。
関西文化学術研究都市は、国庫からの資金を中心に動かす時期を過ぎ、多くの企業が研究開発拠点をこの都市におくことによって民間資金が入りつつあります。
iPS細胞だけでなく、工業技術、電気通信技術に関しても関西文化学術研究都市は研究開発が盛んに行われており、これからさらに研究開発資金が入ってくると予想されています。
しかし、長引く不況によって企業の設備投資、開発投資が好転しないためにやや頭打ちの感が出ていることも事実です。
こうした動きに対応するために、京都大学では2016年に附置研究所である京都大学ウイルス研究所と再生医科学研究所を統合して京都大学医生物学研究所とし、他分野連携によって効率よく研究開発を進める体制を整えています。
ここではウイルス感染症研究と再生医療の技術確立を柱として研究を行い、同じ大学の附置研究所であるiPS細胞研究所と連携しています。
また、大阪大学は元々が医学部と理学部で設置されたという大学の伝統を活かし、タンパク質研究所を保有しています。
この研究所は、4研究部門12研究室、そして1つのセンターと8つの研究室で研究を行っており、分子生物学の方面から再生医療の研究を行っています。
将来の日本産業を代表する分野として、自動産業と並ぶのではないかと予想されている再生医療は、今後関東と関西の研究開発拠点が充実することが世界に先駆けた研究開発を行うために必須であり、現在重要な事は、民間資金をどれだけ集めることかというフェーズに入りつつあります。