1. 発毛に重要な幹細胞

哺乳類の発毛は、毛包(もうほう)と呼ばれる皮膚に付属している器官が行います。

一般的に、毛穴と呼ばれるものは毛包の一部で、ヒトの場合は1 cm四方に少なくとも20個あるとされています。

毛包は、発毛以外にも皮膚呼吸、皮脂成分の分泌などの役割を持ち、哺乳類の様な恒温動物の体温調節に関与しています。

発毛に深く関与しているのは、毛包内に存在する幹細胞で、毛包幹細胞と呼ばれています。

この毛包幹細胞が何らかの影響を受けると、発毛に影響します。

毛包幹細胞の研究は、発毛に関する医療との関係で盛んに行われている分野です。

2021年、Ya-Chieh Hsu博士らはこの毛包幹細胞についての研究成果を発表しました。

この研究はマウスを使った研究で、ストレスが毛包幹細胞に影響を与え、結果的に発毛にも影響することを分子生物学的に証明したものです。

この研究成果を説明するためには、日本の理化学研究所で行われた研究がベースになっています。

ここでは、理研の研究成果と、Ya-Chieh Hsu博士らの研究成果を関連付け、毛包幹細胞にストレスが与える影響を解説します。

生まれたばかりのマウスは、毛がほとんどありません。

マウスなどの齧歯類の毛包は、胎仔時期の表皮からプラコード期、毛芽期を経由して、出生してから2週間程度で完成します。

発毛に重要な毛包幹細胞は、毛包のバルジと呼ばれる領域に存在しており、毛包はマウスの全身に分布しています。

マウスの毛包は、出生後も生涯にわたって周期的に作りかえられます。

そのため、組織の幹細胞の特定がかなり早い時期に行われ、幹細胞の研究に大きな貢献をしました。

その中で、マウスの発生過程で毛包幹細胞が正しい時期に正しい位置に誘導されることについてははっきりしていませんでした。

この段階は、ヒトの毛髪再生の研究に大きなヒントを与える部分として、多くの研究者が明らかにしようとしてきましたが、2016年にようやくまとまった研究成果がアメリカの研究グループから発表されました。

マウス生体の毛包幹細胞に発現しているマーカー遺伝子の発現追跡による解析によって、「毛包幹細胞の起源は、プラコード基底細胞の非対称分裂から生まれる基底上層細胞であり、その細胞は転写因子SOX9の発現が高い。」という研究成果が発表され、定説とされてきました。

この定説には矛盾点がいくつかあり、今回理研が発表した毛包幹細胞についての研究成果は、その矛盾点を説明したものとして注目されています。

2. 新しい手法による毛包幹細胞の解析

研究成果を発表したグループは、理化学研究所(理研)生命機能科学研究センター細胞外環境研究チームの森田梨津子研究員、藤原裕展チームリーダーを中心とする研究グループです。

この研究グループは、アメリカの研究グループが行った、幹細胞マーカー遺伝子に依存しない新しい手法で研究を行いました。

研究に着手した時期には、未成熟な胎仔性上皮細胞に含まれる毛包幹細胞になる細胞を認識するためのマーカー遺伝子は同定されていませんでした。

研究チームは、これが毛包幹細胞の誘導メカニズム、由来を理解するための解析を困難にしている原因と考えました。

研究グループは1つの細胞を追跡できる実験系を立ち上げ、その実験系で毛包幹細胞の由来を解析したところ、毛包幹細胞の由来が従来の定説とは異なることを発見しました。

理研のグループは、2016年に発表された研究成果とは異なる別のメカニズムで誘導されることが明らかとなり、毛包全体を構成する細胞が区画されるステップと、毛包幹細胞の誘導が同時に行われるという形態形成モデルを提唱しました。

このモデルは、「テレスコープモデル」と呼ばれ、マウス以外の動物種でも共通の幹細胞誘導システム、特に体表器官の誘導システムとなる可能性があり、現在注目されています。

3. 毛包幹細胞とストレス

この毛包幹細胞がストレスによって分泌されるホルモンによって調節され、発毛を抑制する結果となることを見出したのがYa-Chieh Hsu博士らのグループです。

このグループの研究成果の最後には、ストレスが毛包幹細胞に与える影響と、その影響を逆転させる方法が示唆されており、ストレスによる脱毛に対する治療の開発に大きな貢献をすると予想されています。

マウスなどの齧歯類と、ヒトの研究によって、ストレスが発毛に影響することはほぼ証明されていましたが、その分子メカニズムまでは解明されていませんでした。

Ya-Chieh Hsu博士らは、その研究のためにコルチステロンというホルモンに着目しました。

コルチステロンは慢性ストレスを受けている時に分泌されるホルモンです。

慢性ストレスは、長期的、持続的に個体に与えられるストレスであり、長期にわたって受け続けると、様々な影響が出ます。

そのうちの1つが発毛の抑制、脱毛ですが、ヒトの場合も一般的に長期にわたるストレスは発毛、脱毛に影響すると言われています。

コルチステロンはマウスのホルモンで、ヒトの場合はコルチゾールというホルモンに該当します。

毛包全体は、成長期と休止期を周期的に繰り返して、脱毛から発毛のサイクルを動かし続けます。

このサイクルが停止すると、寿命がきた毛が抜けた後に発毛行動が起こらないため、体表の体毛が減少することになります。

Ya-Chieh Hsu博士の研究グループは、マウスを使って慢性ストレスホルモンのコルチステロン濃度が上昇した場合、毛包がどうなるのかを解析しました。

その結果、毛包は高濃度のコルチステロンによって長期間にわたり休止期のままになり、発毛への動きが停止することが明らかになりました。

つまり、寿命がきた毛の脱毛後、その箇所に毛を供給する発毛ステップに入ることができないことが明らかになったのです。

逆に、コルチステロン濃度が低下、またはコルチステロンが枯渇すると、毛包内の毛包幹細胞が活性化され、新たな発毛が起こってリカバリーされるという結果も得られています。

このメカニズムは、コルチステロンが、毛包幹細胞内のGAS6というタンパク質を作るシステムを阻害しているためであることがこの研究でわかっています。

一方で、コルチステロン濃度が低下すると、GAS6タンパク質の産生が復活し、毛包幹細胞の増殖が促進されました。

つまり、GAS6タンパク質の産生を復活させることによって、ストレスによって不活性化した毛包幹細胞を再度活性化させることができ、発毛を促すことができるということになります。

ここで紹介した、理研の研究グループによる毛包幹細胞の由来と誘導メカニズム、そしてYa-Chieh Hsu博士らによるストレスから発毛メカニズムを復活させるモデルは、毛髪再生に向けた治療方法の開発に大きな貢献をすると予想されています。

Ya-Chieh Hsu博士らの研究成果は、科学雑誌Natureに掲載され、同じ号ではこの毛髪再生メカニズムの解析についての特集的な記事が組まれています。

その中で、ここ数年の発毛メカニズム、特に遺伝子、タンパク質のメカニズムについて明らかにした論文が多く発表されており、毛髪の分子メカニズムの研究は加速段階に入ったと考えられるとしています。

しかし一方で、同じ哺乳類とはいえ、マウスとヒトでは発毛メカニズムに異なる点があるため、今後はこの異なる部分がどのように発毛に影響しているのかについて解析する必要があるとしています。

さらに、マウスもヒトも慢性的なストレスが発毛に影響することは明らかになっているが、今回使われたマウスのコルチステロンと同じホルモンである、ヒトのコルチゾールが慢性ストレスにおいてどのように分泌され、量的にどれほど増加しているかの解析も現在不十分なので、この研究成果がそのままヒトに応用できるとは考えにくい、ヒトにおける慢性ストレスと内分泌学的な研究結果が必要であるとしています。

とはいえ、毛包幹細胞のメカニズムがマウスで明らかになっていけば、ヒトと異なる点を集中的に研究すれば、ヒトにおける発毛メカニズムを明らかにする研究の効率化につながるため、これらの研究は発毛研究に大きな貢献をすることは間違いないとNatureの特集では述べられています。