新型コロナ感染を抑える生体内分子としてHAI-2を発見 京大ほか

コロナウイルス
目次

1. 新型コロナウイルスの感染抑制分子を発見

京都大学は、新型コロナウイルスの感染抑制作用を持つ分子を発見したことを発表しました。

この研究は、京都大学ウイルス・再生医科学研究所、国立感染症研究所、三田崎大学、北海道大学で構成する研究グループの共同研究によるものです。

現時点で新型コロナウイルス感染症(SARS-CoV-2感染症、COVID-19)には有効な治療薬が存在しません。

ワクチン接種は「予防」のための手段であり、新型コロナウイルスに感染してしまった場合の「治療」の方法は現在世界で模索している段階です。

治療薬の開発のためには、創薬のターゲットとなる分子、経路を決める必要がありますが、今回の京都大学を中心とする研究グル−プの発見は、その創薬ターゲットに有望な分子の発見です。

2. 新型コロナウイルス感染メカニズム

新型コロナウイルスなどのウイルスは、表面に多くの糖スパイクタンパク質を持っています。

新型コロナウイルスは、この糖スパイクタンパク質を、人間などの感染相手の細胞表面にあるアンジオテンシン転換酵素2(ACE2)に結合させることで感染します。

アンジオテンシン転換酵素2に結合した糖スパイクタンパク質は、生体内タンパク質分解酵素のTransmembrane protease, serine 2(TMPRSS2)の作用を受けて、感染相手の細胞膜と融合して感染が成立します。

このメカニズムは、新型コロナウイルスだけでなく、2003年のSARSコロナウイルス、2013年のMERSコロナウイルスも感染に使っています。

タンパク質分解酵素である、TMPRSS2の作用が感染成立には非常に重要なのですが、このTMPRSS2がどのようにして調節されているのかはよくわかっていませんでした。

もし、新型コロナウイルスが体内に侵入して、アンジオテンシン転換酵素2に自分の糖スパイクタンパク質を結合させても、TMPRSS2の働きがなければ、新型コロナウイルスは感染を成立させることができません。

そのため、TMPRSS2の働きを阻害、または抑制する分子は、新型コロナウイルスの感染を防御するカギとなる分子ということができます。

おそらく、抑制、阻害する分子は複数あると考えられますが、今回そのうちの1つが明らかになりました。

3. TMPRSS2とは?

TMPRSS2は正式名称は「Transmembrane protease, serine 2」と呼ばれ、II型膜貫通型セリンプロテアーゼに分類される酵素です。

TMPRSS2の遺伝子は、E26 transformation specific(ETS)family遺伝子と、融合遺伝子を形成します。

この融合遺伝子は、前立腺がんのマーカー遺伝子として知られています。

さらに、前立腺がんは、男性ホルモンであるアンドロゲンを利用してがん細胞を増殖させます。

そのため、前立腺がんの手術後は、再発を防ぐためにホルモン療法が行われます。

TMPRSS2はこのアンドロゲンに応答する遺伝子であり、前立腺がんの発生、進行、悪性化の中では重要な役割を担っている分子ということができます。

4. HAI-2がTMPRSS2の機能を制御している

HAI-2(Hepatocyte growth factor activator inhibitor 2)は、「肝細胞増殖因子活性化因子阻害分子」と呼ばれています。

ちょっとややこしい名前ですが、肝細胞の増殖に関わる因子をAとし、そのAを活性化する分子をBとすると、HAI-2はBを阻害することによってAの機能を抑制し、結果として肝細胞の増殖を阻害する機能を持っています。

HAI-2は、他にマトリプターゼという酵素の機能も阻害します。

マトリプターゼは、生体内タンパク質分解酵素の1つであり、TMPRSS2と類似とされています。

HAI-2の機能としてよく知られているのは、がん細胞の造腫瘍性、またがんの悪性化に重要なプロテアーゼ、Hepatocyte Growth Factor Activator(HGFA)の機能を制御する機能です。

これらの知見から、おそらくHAI-2はTMPRSS2の機能制御に関与していると予想されていましたが、今回の報告で初めて証拠となるデータを得ることができ、関与が証明されました。

研究グループは、まずHAI-2タンパク質を細胞に大量に発現させました。

我々の細胞では普通にHAI-2タンパク質は発現していますが、人工的にその量をはるかに超える量を作らせ、実験に必要な量を回収しました。

次に、このHAI-2を培養液に加えた状態で、新型コロナウイルスをヒトの細胞に感染させようとしました。

しかし、この状態では新型コロナウイルスは十分感染することができず、HAI-2を増やせば増やすほど、感染の効率が悪くなることが証明されました。

さらに研究グループは、ヒトの気管支上皮由来の細胞を使い、HAI-2を一時的に発現が低下する細胞を作成し、新型コロナウイルスの感染実験を行いました。

この実験では、細胞中から培養液に放出される新型コロナウイルスのRNAを指標として感染レベルを判断しました。

その結果、HAI-2タンパク質の発現を低下させた細胞からは、通常の細胞の数十倍の新型コロナウイルスRNAが放出されていました。

これらの結果から、TMPRSS2が関与する新型コロナウイルス感染の制御には、HAI-2タンパク質が有効である事が証明されました。

5. TMPRSS2は悪役なのか?

HAI-2が新型コロナウイルスの感染制御に重要な分子である事は明らかになりましたが、TMPRSS2もここでは主役の一人です。

前立腺がんに関与したり、新型コロナウイルスの感染に協力するなど、どうも人間に不利な事ばかりをする分子という印象があるので、TMPRSS2は悪役の分子と見られてしまうかもしれません。

しかし、新型コロナウイルスをはじめとするSARSコロナウイルス、インフルエンザウイルスによる増殖戦略に利用されているだけであり、分子そのものが悪役ということはありません。

コロナウイルスは、遺伝情報を我々のようなDNAという形で保持していません。

人間が、DNAの情報をもとにしてタンパク質を作るために利用しているRNAの形で遺伝情報を保持しています。

そのため、原始的であるという印象がありますが、実は現在に至るまでにいろいろと戦略を変えることによって、自分たちが最も効率よく増殖できるような仕組みを手に入れています。

TMPRSS2はその戦略にまんまと上手く利用された分子ということができます。コロナウイルスは、人間と比べてそれほど複雑な機能、構造を持っていません。

そのため、ホストに感染して増殖する際に、感染相手であるホストの持っている機能を巧みに利用しています。

6. HAI-2を標的として創薬

TMPRSS2の機能を抑制すれば、新型コロナウイルスの感染を抑制することができます。

では、単純にTMPRSS2の機能を抑制すればよい、と思いがちですが、TMPRSS2はII型膜貫通型セリンプロテアーゼに分類される酵素なので、下手をすると他のセリンプロテアーゼの機能も抑制してしまいます。

セリンプロテアーゼは、我々の生命の維持に重要な酵素であり、体内のセリンプロテアーゼの機能が抑制されてしまうと人間によって大きな問題が起こりかねません。

そのため、セリンプロテアーゼの阻害分子ではなく、セリンプロテアーゼの中でもTMPRSS2のみを阻害する分子の発見が新型コロナウイルス感染制御には非常に重要になります。

今回のHAI-2の発見は、この点で非常に大きな知見であると言えます。

それは、HAI-2周辺を標的として、新型コロナウイルス感染抑制剤の開発すれば、かなりCOVID-19を防ぐことができる、という点。

2つ目は、新型コロナウイルスの感染メカニズムの解析が一歩進む事によって、さらに細かい創薬ターゲットが見つかりやすくなった、ということです。

新型コロナウイルスは、アンジオテンシン転換酵素2に自分の糖スパイクタンパク質を結合させ、TMPRSS2の介入によって感染を完了します。

この感染メカニズムを使っているうちは、新型コロナウイルスがどのような変異をしたとしても、HAI-2は感染防御に有効ということになります。

ワクチンと共に、HAI-2、またはTMPRSS2をターゲットとした感染抑制剤が開発されれば、COVID-19に対して適した対策が取れるようになり、社会的な活動を今回のように制限しなくとも対応することができるようになります。

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