より本物の脳に近く
ヒトiPS細胞から作製した大脳オルガノイドはこれまでに構築方法が確立されていました。
しかしそのオルガノイドだけでは実際の脳で行われている複雑な神経活動は左舷で来ていませんでした。
今回発表された研究結果は、ヒトiPS細胞から作成されたオルガノイド同士を神経軸索で結合させ、複雑な神経活動を示す脳組織モデルの開発に成功したものです。
この研究は、脳の領野間を結ぶ神経回路網の発達メカニズムや機能の解明に新たなアプローチを提供するものとして注目されています。
本研究では、2つの大脳オルガノイド(注2)の間に神経の束を形成させて相互に結合した脳組織モデルを作製し、その神経活動を解析しました。この組織(コネクトイド)は、従来の単独の大脳オルガノイドや、直接融合させた大脳オルガノイドと比べて、より複雑で強い、同期した神経活動を示しました。また、光遺伝学的手法(注3)により神経束を刺激すると、神経活動が引き込まれ、短期的な可塑性も観察されました。
この研究は大規模な共同研究チームによって行われました。
中心となったのは、東京大学生産技術研究所の池内与志穂准教授(兼任:東京大学Beyond AI研究推進機構、東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻、東京大学生研技術研究所附属LIMMS/CNRS-IIS )です。
そして研究所に所属していた大崎達哉特任助教(研究当時) 、周小余特任助教、池上康寛特任研究員(研究当時)、そしてボルドー大学IMSラボラトリーのティモテ・レヴィ教授(兼任:東京大学生研技術研究所附属LIMMS/CNRS-IIS、東京大学生産技術研究所)、鹿児島大学大学院医歯学総合研究科神経病学講座神経筋生理学分野玉川(中川)直助教(兼任:東京大学生産技術研究所協力研究員)、さらに、宮崎大学医学部 臨床神経科学講座精神医学分野、平野羊嗣准教授(兼任:東京大学生産技術研究所リサーチフェロー)がこの研究に参加しています。
研究成果は、国際科学ジャーナルである、「Nature Communications」に「Complex Activity and Short-Term Plasticity of Human Cerebral Organoids Reciprocally Connected with Axons」というタイトルで発表されました。
大脳オルガノイドとは
大脳オルガノイドとは、幹細胞から作られた三次元の細胞構造で、大脳の一部の機能や構造を模倣するものです。
これらのオルガノイドは、人間の大脳皮質の発達や機能を研究するためのモデルとして利用されています。
大脳オルガノイドの作製には、iPS細胞やES細胞を用いることが一般的です。
大脳オルガノイドは、平面の培養皿で育てられる従来の二次元細胞培養とは異なり、三次元的な組織構造を持ちます。
これにより、細胞同士の相互作用や組織の立体的な構築をよりリアルに再現できます。
さらに大脳オルガノイドは、ニューロン(神経細胞)、グリア細胞(支持細胞)、さらには脳血管のような多様な細胞タイプを含みます。
iPS細胞によって作成された大脳オルガノイドは、発生学的な観点から、初期の脳発達過程を模倣することがわかっています。
例えば、ニューロンの分化や移動、シナプス形成などのプロセスを観察することができます。
この大脳オルガノイドは自閉症、統合失調症、アルツハイマー病などの神経疾患のメカニズムを研究するためのモデルとして有用です。
現在、新しい薬剤の効果や毒性を試験するためのプラットフォームとして利用されており、さらに患者のiPS細胞からオルガノイドを作製し、その患者特有の反応を調べることで、個別化医療の可能性が広がります。
しかし、現在の技術では、完全な大脳の機能や構造を再現することはまだ困難です。
iPS細胞から作成された大脳オルガノイドは、実際の脳の成熟度には達しておらず、特に長期間の培養が難しいとされています。
軸索の重要性
大脳における軸索は、神経細胞の一部であり、情報伝達において非常に重要な役割を果たしています。
軸索はニューロンの電気信号を他のニューロンや筋肉、腺などの標的細胞に伝えるための「電線」として機能します。
軸索を通じて送られる電気信号(アクションポテンシャル)は、化学信号(神経伝達物質)に変換され、シナプスを介して次の細胞に伝えられます。
大脳は非常に複雑な構造を持っているため、部分ごとの情報伝達が重要です。
そのため多くのニューロンが異なる領域にわたって広がっています。
軸索は長距離にわたって伸びることができるため、遠く離れたニューロン同士が情報を交換することが可能です。
これにより、異なる脳領域間の通信と協調が実現し、複雑な情報伝達が可能になります。
複雑な神経ネットワークを形成する軸索は、ただ部分を結合するのではなく、特定の機能を持つ回路を作り出すことができます。
例えば、感覚情報の処理、運動の制御、認知機能などがこれらのネットワークによって構築されています。
構造に着目すると、正常な脳機能のためには、軸索が適切に成長し、正しいターゲットに接続する必要があります。
軸索誘導やシナプス形成は、神経回路の発達において非常に重要であり、誤った接続や不完全な接続は、神経機能の障害を引き起こす可能性があります。
精密に張り巡らされた軸索は可塑性を持っており、経験や学習に応じて構造や機能を変化させる能力があります。
シナプスの強化や新たな軸索の形成は、学習や記憶の基盤となります。
我々の脳によって非常に重要な軸索は、医療において大きな問題を持っています。
損傷を受けた軸索が再生する能力がその問題であり、現代の神経再生研究において重要な課題とされています。
中枢神経系では軸索の再生が限られているため、損傷後の機能回復が難しいという問題があり、軸索の再生を促進する研究が進められています。
多くの神経疾患は軸索の異常に関連しており、大脳の研究と密接に関わっています。
例えば、多発性硬化症は軸索を覆うミエリン鞘の破壊によって引き起こされ、神経信号の伝達が阻害されます。
また、アルツハイマー病などの神経変性疾患では、軸索の損傷や変性が観察されます。
軸索は大脳において情報伝達、神経回路の構築、学習と記憶、神経再生など、さまざまな重要な役割を担っています。軸索の正常な機能は、健全な脳の働きにとって不可欠であり、軸索に関連する異常は多くの神経疾患の原因となり得ます。したがって、軸索の研究は神経科学において極めて重要です。
軸索で結合させた大脳オルガノイドは複雑な神経活動を示す
この研究のポイントは、
- 1. ヒトiPS細胞由来の大脳オルガノイド同士を軸索で結合させた組織(コネクトイド)は、複雑かつ強い、同期した神経活動を示した。
- 光遺伝学的にオルガノイド間の神経束を刺激すると、神経活動の引き込みと短期的な可塑性が観察された。
- 3. ヒトの脳の複雑な神経回路網を再現するための新しいモデルを開発した。脳の領野間結合の発達メカニズムや機能の解明、および疾患治療法開発に新たなアプローチを提供する。
この3点になります。
これまでに、ヒトiPS細胞から作製した大脳オルガノイドを用いて、脳の発達や機能を再現する試みがなされてきましたが、神経オルガノイドは脳の一部を模倣するものの、自発的に脳の領野間結合を再現することは困難でした。
さらに、複数のオルガノイドを直接融合させる方法では、生体内の神経回路とは異なる結合様式になってしまうという問題がありました。
この研究では、これらの問題を解決するために、2つの大脳オルガノイドを軸索で結合させる新たな方法を開発しました。
具体的には、微細加工技術を用いて作製した特殊な培養チップ内で、2つの大脳オルガノイドを離れた位置に配置し、それらの間に軸索の束を形成させる方法です。
この方法で作製された神経組織モデルを「コネクトイド」と研究グループは名付けました。
従来の単独の大脳オルガノイドや、直接融合させた大脳オルガノイドと比べて、研究グループがコネクトイドはより複雑で強い、同期した神経活動を示しています。
また、光遺伝学的手法により神経束を刺激すると、コネクトイドの神経活動が引き込まれ、短期的な可塑性も観察され、かなり生体の脳に近いことが示唆されました。
さらに、本研究では、神経束を介して結合している神経細胞は、そうでない神経細胞と比べて活性化や成熟に関連する遺伝子発現が高いことも明らかにしています。
つまり単体で培養した場合は、生体内の遺伝子発現までは再現できず、遺伝子発現が低いために必要とされるタンパク質の合成量が不十分でした。
しかしこの研究では、低かった遺伝子発現を生体レベルまで近づけることに成功しました。
そのポイントとなるのが軸索による結合であり、軸索による結合がコネクトイドの機能的な発達に重要な役割を果たしていることを示唆しています。
本研究で開発されたコネクトイドは、ヒトの脳の複雑な神経回路網を再現する画期的なモデルです。
このコネクトイドを使った研究によって、脳の発達や機能、さらには脳の障害の仕組みの解明などに向けた研究が行われると期待されています。
また、将来的には、創薬スクリーニングへの応用を通じて、脳に関連する疾患の薬剤開発も期待されます。
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