1. がんの幹細胞とは?
がん細胞は、健常な体細胞といくつかの点で性質が異なっています。
健常な細胞は細胞分裂の回数がある程度決まっており、分化誘導が完了した後には分裂しない、またはシグナルが届くまで分裂しない細胞が多いのですが、がん細胞は細胞分裂を理論上は無限に繰り返します。
さらに細胞分裂能力が高いために、細胞増殖能力が高く、がん細胞の細胞塊はかなりの速度で成長します。
さらに、周辺組織に浸潤、また体内の離れた部位へ転移する能力も持っています。
こうした性質によって、がん細胞の細胞塊は急速に成長し、体に悪影響を及ぼします。
これが「がん」と呼ばれる疾患ですが、以前はこのがんは「1つの細胞ががん化して増殖するため、がん細胞の塊は最初のがん化した細胞のクローンである」と考えられていました。
しかし、1つのがん細胞から構築されたがん細胞塊内の細胞は、必ずしも最初のがん細胞のクローンではなく、様々な異なる性質を持つがん細胞の集団である事がわかっています。
その中で、特にがんの悪化に関与する細胞と考えられる細胞が存在します。
健常細胞の幹細胞、胚性幹細胞、体性幹細胞は、自分と同じ細胞を作り出す自己複製能と、多種類の細胞に分化することができる多分化能を持っていますが、がん細胞の中にもこういった性質を持つものが、がんの悪化のカギを握る細胞です。
がん細胞塊の中で自分と同じ細胞を細胞分裂によって増やしながら、分化によって性質の異なるがん細胞を生み出し、がんの悪化を進めているという考え方の根本は、「がん細胞の幹細胞、つまりがん幹細胞の存在」です。
現時点ではがん幹細胞の存在は仮設であり、がん幹細胞らしき細胞が発見されている段階であり、がん幹細胞の正確な定義はまだはっきりしていません。
このような状況下で、様々ながんから幹細胞の様な細胞が発見されています。
便宜上、この幹細胞様の細胞を「がん幹細胞」として研究が進められていますが、胃がんではがん幹細胞が見つかっておらず、胃がん幹細胞の性質がわかっていませんでした。
2. 胃がんモデルマウスで胃がん幹細胞の発見に成功
金沢大学がん進展制御研究所のニック・パーカー博士、寺門侑美博士、井上和弘博士らが中心になって構成される国際共同研究グループは、進行したヒト胃がんによく似た胃がんを発症するモデルマウスの樹立に成功しました。そしてこのモデルを使用して、新たな胃がん幹細胞を世界で初めて発見しました。
胃がんは日本における死亡原因の第3位であり、高い罹患率を示しています。
胃がんは、早期での自覚症状がほとんどなく、一方で進行した胃がんは根治が困難で主に化学療法が用いられます。
しかし、有効な抗がん剤は多くなく、胃がんに効果がある新規抗がん剤の開発が望まれています。
しかし、悪性度の高いヒト胃がんの進行に関わる発生、浸潤、転移を再現できるモデルマウスが存在しなかったため、さらに抗がん剤耐性を示す原因と考えられている胃がん幹細胞の詳細解析がされていなかったことが大きな障害となり、開発は思うように進んでいませんでした。
抗がん剤の開発を進めるために、モデルハウスの樹立、胃がん幹細胞の存在を証明することと、その胃がん幹細胞を研究可能な状態で使うことができる状態を確立することが望まれています。
金沢大学がん進展制御研究所の研究では、マウスの胃上皮組織のみで遺伝子変異を誘発できるモデルマウスを開発することで、抗がん剤創薬で求められていた胃がんの発生・浸潤・転移を再現できる胃がんモデルマウスの樹立に成功しました。
さらに、この腫瘍組織から胃がんオルガノイドを樹立し、同所移植法を確立、胃がんの進展を大規模、かつ迅速に解析できる実験系・解析系の開発に成功しました。
研究グループはこれらの実験系・解析系を用い、胃がんの発生と維持に必須と考えられている胃がん幹細胞を世界で初めて発見しました。
この胃がん幹細胞を取り除くと、既存の抗がん剤の効き目が著しく改善し、効果を示すことが明らかとなりました。
この結果は、胃がん幹細胞が胃がんの抗がん剤耐性に大きく関与すること、その胃がん幹細胞を除去すれば、抗がん剤の効果は表れることが明らかになるという事が明らかになった、ということは大きな発見で、胃がん幹細胞の制圧は、胃がん制圧に重要であることが明らかになりました。
3. オルガノイドとは?
この研究の中で作成された「オルガノイド」は、幹細胞研究の進展に伴って発展してきた実験材料です。
試験管内、つまり生体の外で3次元的に作られた人工臓器で、生体内の臓器そっくりの解剖学的な構造を示しますが、現時点では数ミリメートルが最も大きなサイズで、実際の生体内臓器の大きさと比べると小さくなっています。
とはいえ、このオルガノイドの確立によって様々な研究が一気に進みました。
用途として、発生学、創薬研究、再生医療、オーダーメイド医療への応用が進行中で、今後も大きな発展が期待されています。
この試みは、海綿動物を細胞レベルにまでバラバラにすると、これらの細胞が再集合し、自己組織化して生物全体を再生することが、ヘンリー・ヴァン・ピーターズ・ウイルソンによって証明されたことから始まりました。
その後、数十年にわたって多くの研究室が、両生類、鳥類を使ってバラバラにした細胞を再構築して組織化する試みが行われました。
幹細胞の出現に伴い、幹細胞の「器官を形成する」という能力をオルガノイド研究に応用する研究がすぐに行われました。
幹細胞が分化誘導されるとき、立体的な培養を行うと、臓器の複雑な3次元構造の形成が可能になり、オルガノイドの研究が大きく進みました。
これに伴ってがんの研究も大きく進みました。
体内でがん細胞が構築するがん細胞塊は、同一の細胞から分裂し、増殖したものであっても、増殖に伴ってそれぞれの性質に差異が生まれ、異なる性質のがん細胞で形成されたがん細胞塊になります。
この性質の差異を生む原因の1つに、がん幹細胞が深く関与していることは古くから予想されており、がんの幹細胞の性質を知ることは、がん制圧に重要であることが認識されていました。
研究チームは、すでに胃がん細胞を使って胃がん細胞オルガノイドを作成することに成功しています。
しかし、ヒト胃がん細胞によく似たモデルマウスの胃がん細胞で作ったのが現段階、次のステップとしてはヒトの胃がん細胞を使って胃がん幹細胞を発見、または構築することが目標となるでしょう。
4. 胃がん幹細胞とオルガノイド
3次元がん細胞塊を使ってがん幹細胞を研究する試みは、すでに多くの研究機関で行われています。
肝臓がん、肺がん、大腸がんなどで行われていましたが、今回の研究結果によって、新しく胃がんが研究対象として加わりました。
がん幹細胞は、がん細胞塊の中に潜んでいますが、どこに潜んでいるのかについてはまだパターンがよくわかっていません。
がん細胞塊の中央部に存在するという報告、細胞塊の中にランダムに、モザイク状に存在するという報告、多くの研究報告がされています。
胃がんの場合、日本人にとって重要な疾患であるため、今後は胃がん幹細胞の研究は大きく進むと思われます。
この研究の進展によって、胃がんに効果のある抗がん剤の開発、また投与方法の研究が進められることが考えられますが、そのためにも生体外でオルガノイドを使った分子生物学的な研究を進める必要があります。
まずはこの研究グループが確立したモデルマウスを足がかりとして、いくつかの研究グループで胃がん幹細胞の解析が進むでしょう。
再生医療において、幹細胞は有用な材料でしたが、一方でがん幹細胞はがんの悪性化、再発に関わる、がん制圧に重要な研究材料です。
がん細胞の性質には同じがん細胞であってもそれぞれに差異があり、この差異が抗がん剤などの治療への対応の違いに表れ、そのことががんの制圧を難しくしているという考えもあります。
胃がんという多くのヒトが罹患する可能性のあるがんですので、今後の研究展開に注目が必要でしょう。
将来的に胃がんの死亡率、予後に大きな改善が見られることが期待され、その未来もそう遠くないと思われます。