ゲノム編集iPS細胞の移植による治療分子の生体内供給

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ゲノム編集したiPS細胞の新しい利用方法

公益財団法人である東京都医学総合研究所には、iPS細胞技術とゲノム編集技術の融合による遺伝性疾患の治療方法を開発するためのチーム、「再生医療プロジェクト」があります。

このプロジェクトの目的は、ゲノム編集技術によってiPS細胞の遺伝情報を改変し、疾病の治療効果を高めた細胞を使った移植治療、そして遺伝的背景が同一な疾患モデルなど、幅広いiPS細胞の医療応用につなげることです。

また、ヒトのゲノムDNAを有志、あらゆる細胞種に分化できるiPS細胞を評価系として、医療に応用することができる、正確で高効率なゲノム編集技術の開発も行います。

これら、iPS細胞とゲノム編集技術という最先端技術を融合して、遺伝性疾患の革新的な治療方法の開発が目指すものです。

 

本プロジェクト所属の中島一徹研修生、小野輝美研修生(当時)、そして宮岡佑一郎プロジェクトリーダーは、遺伝子改変動物室の設楽浩志室長と明治薬科大学の櫻庭均教授、兎川忠靖教授の協力のもと、有効な物質を発現、分泌するiPS細胞をゲノム編集によって作成しました。

この研究成果は、In Vivo Delivery of Therapeutic Molecules by Transplantation of Genome-Edited Induced Pluripotent Stem Cells”というタイトルで、Cell Transplantationという国際ジャーナルに掲載されています。

 

ゲノム編集とは?

ゲノム編集とは、生物が持っているゲノムDNA上の特定塩基配列を狙って変化させる技術です。

ゲノムとは細胞内にあるDNA、そして底に書き込まれた遺伝情報全体を意味します。

 

ゲノム編集に使われる特徴的なツールに、ゲノムDNAの特定の場所を狙って切断するハサミのようなツールがあります。

ゲノムはいったん切断されますが、生物が持っているゲノム修復機構によって修復されます。

しかし、まれに修復ミスによる突然変異が起こります。

この突然変異を利用して生物の性質を変化させることがゲノム編集技術の目的ですが、これまでの変異誘導技術とは異なり、狙った配列にこの突然変異を起こせることから多くの分野で使われています。

医療分野においては新たな治療技術の創出、創薬の加速、そして農業においては農作物の品種改良などによる食糧問題の解決、植物の光合成効率化・長寿命化などによる環境問題の解決など、さまざまな分野での応用が期待されています。

しかしその一方で、狙った場所以外の塩基配列が変異することなどの危険性を指摘する声もあります。

iPS細胞にゲノム編集技術を用いる研究は、すでに多くの研究チームが着手しており、iPS細胞に最適化された編集技術が次々と開発されつつあります。

 

ゲノム編集技術と遺伝子組み換えの違い

ゲノム編集技術が使われるようになる前には、「遺伝子組み換え」という手法が使われていました。

遺伝子組み換えとは、別の生物から取り出した遺伝子を導入することによって、細胞に新しい性質を与える技術です。

導入する遺伝子は、交配不可能な生物同士でも可能です。

ゲノム編集との大きな違いの一つとして、遺伝子組み換えでは細胞の外部から遺伝子が導入されますが、ゲノム編集技術では変化は細胞内部でのみ起こります。

 

ただし、植物のゲノム編集においては、ハサミの役割を持つツールを発現するための遺伝子を、遺伝子組み換え技術によって導入するケースもあります。

しかし、このハサミの役割を持つ遺伝子は、ゲノム編集終了後に交配によって取り除くことが可能です。

 

用いるツールは、人工ヌクレアーゼですが最初に開発されたヌクレアーゼは、ZFNです。

しかしZFNは作成が難しいため、一部の企業でのみ生産されており、独占状態ということで価格も高くなってしまい、研究コストが非常に高くなることが欠点でした。

 

つづいてTALENという人工ヌクレアーゼが開発されますが、2012年にそれまでのものよりもさらに簡便に作成できるCRIPR-Cas9という人工ヌクレアーゼが開発されました。

CRIPR-Cas9は1996年に石野良純博士(現在九州大学農学研究院教授)によって発見されたもので、2012年にアメリカ・カリフォルニア大学バークレー校のジャニファー・ダナウド博士と、ドイツ・マックスプランク研究所のエマニュエル・シャルパンティ博士のグループが、標的DNAの切断が行える実験系をCRIPR-Cas9で作成し、2020年にノーベル化学賞を受賞しました。

 

iPS細胞で何をしようとしたのか?

iPS細胞、ゲノム編集技術に使うCRIPR-Cas9は共に日本人が開発したものです(方法論はアメリカ、ドイツの研究者ですが)。

これらを使って、プロジェクトチームはなにをしようとしたのでしょうか?

 

iPS細胞を臨床に用いる時、そこには多くの場合「移植」が存在します。

iPS細胞の移植治療には大きな期待が寄せられ、iPS細胞由来の網膜細胞移植や神経細胞

移植など、いくつかの細胞種で治験が進められており、大きな成果を挙げています。

 

これまでの移植は、全て健常者由来のiPS細胞を用いていますが、将来的にはゲノム編集による遺伝情報改変を介して、治療効果を高めたiPS細胞の移植治療も期待されます。

東京都医学総合研究所のグループはその先がけとして、リソソーム酵素であるα-ガラクトシダーゼ(GLA)が遺伝的に欠損、または活性が低下することで発症するファブリー病のモデルマウスに、ゲノム編集したiPS細胞を移植し、治療分子を生体内で供給できるかを検討しました。

具体的には、ファブリー病治療のために、免疫反応を起こさずに失われたGLA活性を補うことができる、改変型α-N-アセチルグルコサミニターゼ(mNAGA)を分泌するiPS細胞をモデルマウスに移植し、その治療効果を検証するという研究を行いました。

 

最初に、作成したα-N-アセチルグルコサミニターゼ発現iPS細胞とファブリー病モデルiPS細胞を共培養しました。

この時、α-N-アセチルグルコサミニターゼ発現iPS細胞はファブリー病モデルiPS細胞にGLA活性を供給していることが確認されています。

続いて、α-N-アセチルグルコサミニターゼを分泌するiPS細胞をファブリー病モデルマウスに移植したところ、モデルマウスの肝臓でGLA活性の回復が確認されました。

 

ヒトのファブリー病とはどんな疾患?

ファブリー病は、細胞内での糖脂質の分解に必要な酵素が生まれつき足りないために、全身の細胞に糖脂質が蓄積する先天代謝異常症です。

この病気は、幼児期や学童期に鋭い手足の痛み、汗をかかない、おしりや陰部の赤紫色の発疹、頻回の腹痛や下痢といった症状があります。

 

特に手足の痛みは、ストレス、高温や疲労で引き起こされ、痛みにより運動ができなかったり、登校ができなくなることもあります。

この状態を放置しておくと、タンパク尿、腎不全を伴う腎臓症状、心臓の肥大、不整脈を伴う心症状が起きてしまいます。

また、脳梗塞、脳出血などの脳の症状も出現することがあり、これらの症状は年齢を重ねると共に重症化していきます。

 

ファブリー病の徴候や症状には個人差があり、病気の進行も人によって違います。

小児期に診断によって発見することは困難で、ほとんどの患者さんは成人期に心臓や腎臓の異常をきっかけに診断されています。

特徴的な症状が確認された場合、診断のための酵素活性検査や遺伝子検査が必要となります。

 

ファブリー病と診断された後は、治療法として酵素補充療法と薬理学的シャペロン療法が行われます。

これらの治療により腎機能や心機能の改善などが認められますが、ファブリー病は、発病後の完全な治癒は困難な疾患です。

 

心機能低下、腎不全、腎臓機能障害が重くなると、心臓ペースメーカーやバイパス手術、血液透析や腎移植などが必要になります。

先に挙げた酵素補充療法や薬理学的シャペロン療法は病状が進行している場合は、十分な治療効果が期待できません。

そのため、現時点では早期発見、早期治療が必要とされる疾患に分類されています。

 

患者のほとんどは男性で、まれに女性でも発症することがあります。

ファブリー病は遺伝病で、X連鎖劣性遺伝という形式を持ちます。

小児がファブリー病と診断された場合、両親のいずれか、または双方がファブリー病の補因子あの可能性があり、遺伝カウンセリング、遺伝学的検査を受けることができます。

 

この疾病の完全治癒を目指す新しい治療方法が、今回の研究成果から生み出される可能性は高く、今後の研究の進展が期待されます。

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