体の形は、細胞が「どちらを向くか」から始まる
私たちの体は、無数の細胞がただ集まってできているわけではありません。細胞が正しい場所に並び、正しい向きを持ち、互いに連携することで、組織や臓器の形が作られます。再生医療やオルガノイド研究でも、細胞を増やすだけではなく、どのように立体的な構造へ組み上げるかが大きな課題です。
初期胚の研究は、この問いに対する重要な手がかりを与えます。胚の中では、まだ体の臓器ができていない段階から、細胞の向きや位置が少しずつ整えられます。その中でもエピブラストは、将来の体を作るもとになる細胞群です。エピブラストがどのように並び、どこに空洞を作るのかは、発生の初期における重要な出来事です。
2026年6月30日、京都大学ASHBiとEMBLの研究チームは、胚の細胞が組織の境界を手がかりにして向きをそろえ、内腔と呼ばれる液体で満たされた空間を作る仕組みを発表しました。発表では、Nature PhysicsとNature Materialsに掲載された2本の関連研究が紹介されています。
この研究は治療法を示したものではありません。しかし、幹細胞から組織を作る再生医療において、「細胞に正しい向きと形を与えるには何が必要か」を考えるうえで重要です。細胞の種類だけでなく、周囲の境界や立体形状が組織形成を左右することを示した点に、今回の意義があります。
エピブラストは、周囲の境界を読みながら向きをそろえる
研究チームが注目したのは、マウス胚のエピブラストです。エピブラストは、将来の体の多くの組織を作る細胞群で、発生の早い段階ではまだ整理されていない状態から、やがて明確な上下の向きを持つ組織へ変化します。この上下の向きは、細胞極性と呼ばれます。
細胞極性とは、細胞の中に「こちらが上」「こちらが下」といった方向性が生まれることです。たとえば腸や腎臓の上皮細胞では、体の内側へ向く面と外側へ接する面が異なります。この方向性があるからこそ、細胞は並び、空洞を作り、組織として働くことができます。
ASHBiの発表によると、エピブラストは2つの異なる組織に挟まれています。一方は内臓内胚葉で、そこにはラミニンを含む細胞外基質があります。細胞外基質とは、細胞の外側にあるタンパク質の網目状の構造で、細胞を支えたり、向きを決めたりする足場のような役割を持ちます。
研究では、ラミニンを含む境界に近い細胞は、その境界に対して垂直方向に向きをそろえました。一方、細胞外基質を欠く隣接組織との境界では、細胞は境界に沿うように平行に並びました。つまり、胚の細胞は単に近くの細胞とそろうだけでなく、接している境界の性質を読み取って向きを変えていたのです。
物理学の視点が、発生の秩序を説明した
今回の研究の特徴は、発生生物学と物理学を組み合わせている点です。細胞の並び方を、液晶物理学の考え方を用いて解析しました。液晶とは、液体のように流動性を持ちながら、分子の向きがそろう性質を持つ物質です。細胞集団にも、向きがそろった集団として見ると、液晶に似た考え方を応用できます。
Nature Physicsの研究では、3次元胚培養システムと機械学習を使った画像解析により、エピブラスト細胞がばらばらの状態から、組織全体としてそろったパターンへ変わる様子が追跡されました。その結果、最初は細胞同士の相互作用が重要でも、時間が進むにつれて、組織境界への固定が細胞の向きを決める主要な要因になることが示されました。
続くNature Materialsの研究では、この理論的な枠組みを使って、胚の中で内腔がどこにできるかを予測しました。内腔とは、液体で満たされた空間です。発生中の胚では、この空間が将来の羊膜腔に関わる構造へつながります。
研究チームは、境界の形によってトポロジカル欠陥が生じる位置が決まり、その場所が内腔形成の位置と対応することを示しました。トポロジカル欠陥とは、周囲の向きはそろっているのに、中心では方向を一つに定められない点のことです。身近な例では、頭のつむじのように、毛の向きが集まり方向が定まりにくい場所に近い考え方です。
再生医療にとって重要なのは、細胞の「環境」を設計すること
再生医療やオルガノイド研究では、幹細胞を目的の細胞へ分化させる技術が進んできました。iPS細胞(人工多能性幹細胞)から神経細胞、心筋細胞、腸管上皮細胞、腎臓細胞などを作る研究は、多くの分野で進展しています。しかし、細胞の種類を作れることと、臓器らしい構造を作れることは同じではありません。
今回の研究は、その違いを考えるうえで重要です。細胞は、遺伝子のプログラムだけで組織になるわけではありません。周囲の境界、足場となる細胞外基質、隣接する組織との接触、組織全体の形状が、細胞の向きや配置を決めます。つまり、臓器を作るには細胞そのものだけでなく、細胞が読む環境を設計する必要があります。
オルガノイドは、幹細胞から作る小さな臓器様組織です。研究モデルとして有用ですが、実際の臓器に比べると、構造の向きや成熟度にばらつきが出ることがあります。今回示されたように、境界や形状が細胞配列を導くなら、オルガノイド作製でも足場や境界条件を精密に設計することが重要になる可能性があります。
ただし、今回の研究はマウス胚を対象にした基礎研究です。ヒト胚で同じ現象を直接確認したものではなく、患者に対する治療効果を示した研究でもありません。再生医療への応用を考える場合も、まずは発生の原理を理解する段階にあります。
ヒト発生研究の制約を越えるための理論的な地図になる
ヒトの初期胚発生を直接調べることには、倫理的・技術的な制約があります。生命の始まりに関わる研究であるため、どの段階まで、どのような目的で研究できるのかは慎重に扱う必要があります。そのため、マウス胚や幹細胞由来の胚モデルから得られる知見は、ヒト発生を理解するための重要な参考情報になります。
ASHBiの発表では、今回の仕組みはマウス胚で得られたものですが、着床期発生や組織パターン形成の根本的な原理は、ヒトを含む哺乳類にも保存されている可能性があると説明されています。ただし、これはあくまで可能性であり、ヒト胚で同じことが実証されたという意味ではありません。
この研究の価値は、発生を単なる観察から、予測できる現象へ近づけた点にあります。境界の形が変われば、細胞の向きが変わり、内腔ができる場所も変わる。こうした関係を数理モデルで説明できれば、複雑に見える発生現象を、より再現性のある形で理解できます。
再生医療でも、予測可能性は重要です。細胞を培養してみなければ形が分からない、という状態では、臨床応用に必要な品質管理は難しくなります。将来的に、組織の形や境界条件から細胞配列を予測できるようになれば、オルガノイドや移植用組織の設計にも役立つ可能性があります。
細胞を育てる時代から、組織の形を導く時代へ
今回の研究は、再生医療の未来に静かな示唆を与えています。これまで幹細胞研究では、どの因子を加えれば目的の細胞に分化するかが大きなテーマでした。しかし、臓器や組織を作るには、細胞を目的の種類にするだけでは足りません。細胞がどちらを向き、どこに空洞を作り、どのように並ぶかまで考える必要があります。
境界を読む細胞、形に導かれる組織、物理法則と生命現象の接点。今回の成果は、生命の形が遺伝子だけで決まるのではなく、細胞を取り囲む環境との相互作用によって作られることを示しています。これは、再生医療にとっても重要な考え方です。
将来的には、細胞外基質、ゲル、人工足場、マイクロ流体デバイス、バイオプリンティングなどを使い、細胞にとっての境界条件を設計する研究がさらに進む可能性があります。細胞に「何になるか」だけでなく、「どこを向くか」「どこに空間を作るか」を伝える技術です。
今回の研究は、臨床応用を直接示すものではありません。それでも、幹細胞から本物に近い組織を作るためには、発生の原理を深く理解する必要があります。胚の細胞が境界を読み、秩序ある構造を作る。その仕組みを解き明かすことは、未来のオルガノイド研究や再生医療の設計図につながっていくでしょう。
[出典]
- ASHBi / Kyoto University:How embryonic cells “read” their boundaries to organize themselves
https://ashbi.kyoto-u.ac.jp/news_research/22783/ - EMBL:Cells, boundaries, and the emergence of biological order
https://www.embl.org/news/science-technology/cells-boundaries-and-the-emergence-of-biological-order/ - Phys.org:How boundary geometry helps embryonic cells organize themselves
https://phys.org/news/2026-06-embryonic-cells-boundaries.html - Nature Physics:Boundary-guided cell alignment drives mouse epiblast maturation
https://doi.org/10.1038/s41567-026-03176-9 - Nature Materials:Boundary geometry controls a topological defect transition that determines lumen nucleation in embryonic development
https://doi.org/10.1038/s41563-026-02594-7


