1. 幹細胞の研究チームががん研究に挑戦
今回紹介する研究は、直接幹細胞を解析する研究ではありませんが、幹細胞を研究する研究チームが、他の分野との共同研究で、幹細胞研究で培ったノウハウを使って新たな知見を得た1つの例です。
熊本大学大学院先導機構の学振特別研究員である岡香織博士、河村佳見助教、三浦恭子准教授のグループを中心として、熊本大学大学院生命科学研究部、東京大学医科学研究所先進病態モデル研究分野、京都大学iPS研究所、広島大学大学院、岩手医科大学医歯薬総合研究所による大規模な研究です。
研究テーマは、ハダカデバネズミという「がん耐性を持つ」と言われている動物を研究し、発現のメカニズムに迫ろうというものです。
この研究は、日本医療研究開発機構の「老化メカニズムの解明・制御プロジェクト」の支援を受けると共に、再生医療関連の「再生医療実現拠点ネットワークプログラム(幹細胞・再生医学イノベーション創出プログラム)」の支援を受けています。
再生医療のノウハウが、他の疾患研究分野にも波及しつつあるため、一見、直接幹細胞に関連のない研究でも、再生医療のノウハウを活かして発展させる動きが最近見られます。
2. ハダカデバネズミとは?
ハダカデバネズミはあまり耳にすることのない動物です。ネズミという名前がついているとおり、齧歯目に属する動物です。
エチオピア、ケニア、ソマリアなどに分布しており、その他の地域では見られません。
体調が10センチから15センチほど、尻尾もあわせても20センチに足りないくらい、体重は大きなもので70グラム程度という小さな動物です。
他のネズミとは異なり、体表には細かい体毛しか生えていません。
そのため、裸に見えることから「ハダカ」という名前が入っています。
比較的環境の変動が少ない地域に生息するため、体温を調節する機能がなく、体温も低めの設定です。
これは哺乳動物としては極めて特異なタイプです。
地中に生息し、平均して80頭くらいの群れを作って生活しています。
群れの中で、1組のペアのみが繁殖を行い、他の多くの個体は、穴掘り、食糧の調達、巣の防衛を行います。
この辺は、ミツバチなどに似ています。
巣内で近親交配が繰り返されることとなるために個体間の血縁度が高くなります。
この血縁度が高いことと、ハダカデバネズミの特徴である真社会性との関係が研究対象とされることが多い動物です。
そして最近では別の特性にも注目が集まっています。
3. ストレスに対して耐性を持つハゲタデバネズミ
ハゲタデバネズミは、わかっているだけでも、老化への耐性、がんに対する耐性、低酸素・無酸素に対する耐性がある事がわかっています。
老化への耐性は、健康な血管機能の維持が主な理由とされています。
ハゲタデバネズミの生息環境は、変動が少ないとはいえ厳しくなるときもあります。
その場合、代謝を低下させて余計なエネルギー消費を避けますが、この能力が酸化による血管機能の低下が抑制されているのではないかといわれています。
エネルギー代謝の経路では、酸化を誘導する物質が産生されてしまうため、この酸化物が細胞に対して悪影響を与えますが、ハゲタデバネズミではこの影響が最小限にされている、その結果血管機能が比較的長く維持できると考えられています。
低酸素の耐性については、無酸素状態におかれたハゲタデバネズミは、18分間耐えることができるという研究報告があります。
この実験では、18分間耐えたハゲタデバネズミは、大きなダメージが残っていなかったそうです。
おそらく、無酸素状態になった際に、通常の酸素呼吸とは別の仕組みでエネルギーを産生したと考えられていますが、この研究を行ったチームは、「もしかすると心臓疾患などで無酸素状態になった際に起こる損傷を防ぐ治療につながるかも知れない」として研究を続行しています。
4. がんに対する耐性
ハダカデバネズミは、最大寿命が37年で、齧歯類の中では長寿です。
この間、老化関連疾患が起こりにくいことが知られていました。
がんは老化関連疾患に分類されていますが、ハゲタデバネズミのがんはほとんど見られません。
がんというとヒトの疾患と思われがちですが、意外と多種多様の動物に見られる疾患ですが、ハゲタデバネズミにはほとんど見られないのです。
このことから、ハゲタデバネズミにはがん耐性機構が存在すると予想されて、研究の対象となってきましたが、なかなか見つけることができませんでした。
今回、研究グループは、そのがん耐性機構を明らかにするために重要な研究成果を挙げ、論文で発表しました。
研究の骨子は、発がんを誘導する化合物をハダカデバネズミに投与し、発がんを誘導します。
その際に、ハダカデバネズミは発がん誘導に対して抵抗性を示すと予想され、そのメカニズムがハダカデバネズミのがん耐性の中心となっているだろうという考えによる実験デザインです。
研究グループは、3-メチルコラントレン、DMBA/TPA(7,12-Dimethylbenz[a]anthracene/ Phorbol ester. 12-0-tetradecanoylphorbol-13-acetate)という2種類の発がん性化合物を使って複数個体のハゲタデバネズミにがんを誘導しようとしましたが、2年以上の長期にわたって1度もがんの発生が確認できませんでした。
しかし、これらの化合物の投与によって、他の動物と同様にがんの原因となるDNA障害、そして細胞死が生じていました。
ところが、発がんの原因の1つである「炎症応答」が他の動物と比べてかなり低く抑えられていることがわかりました。
この反応は化合物による発がん誘導だけでなく、紫外線照射による皮膚がんの誘導実験においても見られ、紫外線による発がんも観察ができませんでした。
つまり、発がんに重要な炎症応答が見られないことによって、がん耐性を獲得しているのではないかと考えられるわけです。
マウスの場合は発がん誘導の際に、ネクロプトーシスという細胞壊死経路が活性化します。
ネクロプトーシスは細胞に予めプログラムされている細胞壊死で、細胞膜が破裂し、細胞内容物が外に放出されます。
その結果、細胞内容物によって炎症応答が誘導されますが、発がんにはこの炎症応答が関与しているのです。
一方で、ハゲタデバネズミではこのネクロプトーシスが見られず、その結果、細胞内容物放出による炎症反応も起きませんでした。
原因は、RIPK3(receptor interacting protein kinase 3)、MLKL(Mixed lineage kinase domain-like)という遺伝子が変異を起こしており、通常の動物ならばこの遺伝子によってネクロプトーシスが起きますが、ハゲタデバネズミでは変異しているために遺伝子が機能できずにネクロプトーシスが誘導されないのです。
通常、RIPK3、MLKLが機能しているマウスの遺伝子を改変し、これらの遺伝子機能を失わせると、確かに発がんに影響が出て、炎症応答も弱くなりました。
この結果から、ハゲタデバネズミのがん耐性はRIPK3、MLKL遺伝子の変異によって得た能力と結論づけることができます。
一般的に、遺伝子変異があると、生存に不利になると考えがちですが、自然界には遺伝子変異によって他の生物よりも生存に有利な形質を手に入れるという例が多数あります。
さらに注目されているのは、RIPK3、MLKL遺伝子は、動物の老化に関連する遺伝子でもある事です。
ハゲタデバネズミの寿命が齧歯類の中では非常に長いことは先に述べましたが、その理由がこのRIPK3、MLKL遺伝子の変異に集約される可能性があるわけです。
ただし、このRIPK3とMKLK遺伝子の機能を我々が今失ったとしたら、がん耐性機能は獲得できるかも知れませんが、その他の恒常性、つまり、生体内の環境を一定に保ち続けようとする能力に異常が出てしまうかも知れません。
ハゲタデバネズミはRIPK3とMLKL遺伝子変異に対応するための状況を進化の過程で手に入れたので、現在こうしてストレス耐性を持ちながら生息できているわけです。
生息域が限られているために、なかなか実験動物とし使うことが難しいハゲタデバネズミですが、将来我々ヒトの疾患に重要な知見をさらに与えてくれるかも知れません。