血液をつくる力は、骨髄の「環境」に支えられている
血液は、赤血球、白血球、血小板などの細胞によって成り立っています。これらの血液細胞は、骨の内部にある骨髄でつくられています。その中心にあるのが、さまざまな血液細胞へ分化できる造血幹細胞です。
一方で、造血幹細胞は単独で働いているわけではありません。骨髄の中には、造血幹細胞を支える血管内皮細胞や間葉系ストローマ細胞が存在します。こうした周囲の細胞や構造は「骨髄ニッチ」と呼ばれ、造血幹細胞が保たれ、必要に応じて血液細胞を生み出すための土台になります。
がん治療で用いられる化学療法や放射線治療は、腫瘍細胞を攻撃する一方で、骨髄にも強い影響を与えることがあります。造血幹細胞だけでなく、それを支える骨髄ニッチも傷つくと、白血球や赤血球、血小板の回復が遅れる可能性があります。
今回、東京大学医科学研究所を中心とする研究グループは、この骨髄ニッチの回復に関わる重要な仕組みを報告しました。研究成果は、2026年6月22日に血液学分野の学術誌Bloodで発表され、7月にMedical Xpressなどでも紹介されています。
注目されたのは、YAPとTAZという分子です。これらは、細胞が周囲の環境や力学的な変化に応答し、遺伝子の働きを調整する転写共役因子です。研究では、YAP/TAZが骨髄ニッチの回復に深く関わり、造血再生を支える可能性が示されました。
研究が示したのは「造血幹細胞だけを見る医療」からの転換
これまで骨髄の回復というと、造血幹細胞そのものに注目が集まりやすい傾向がありました。造血幹細胞が十分に残っているか、移植した造血幹細胞が生着するか、白血球や血小板がいつ回復するかが、治療現場では重要な指標になります。
しかし今回の研究は、造血幹細胞だけでなく、それを支える微小環境そのものを治療標的として考える点に特徴があります。骨髄ニッチが傷ついたままでは、造血幹細胞が本来の力を発揮しにくくなる可能性があります。つまり、血液をつくる力を取り戻すには、細胞の「主役」だけでなく「舞台」を整える必要があるという考え方です。
研究グループは、血管内皮細胞、間葉系ストローマ細胞、造血細胞におけるYAP/TAZの働きを調べるため、複数のマウスモデルを用いました。その結果、安定した状態では、間葉系ストローマ細胞のYAP/TAZが造血幹細胞を骨髄内に保持するために重要であることが示されました。
また、放射線によって骨髄が傷害された条件では、間葉系ストローマ細胞でYAP/TAZを失うと造血回復が大きく損なわれました。血管内皮細胞でYAP/TAZを失った場合にも、骨髄内の血管構造に大きな変化が生じることが報告されています。
この結果は、骨髄ニッチが単なる背景ではなく、造血再生を左右する能動的な治療対象になり得ることを示しています。再生医療においても、細胞そのものを補うだけでなく、細胞が働く環境をどう回復させるかが重要なテーマになりつつあります。
YAP/TAZは、骨髄ニッチの回復を指揮する分子として働く
YAP/TAZは、Hippo経路と呼ばれる細胞内シグナルに関わる分子です。細胞の増殖、分化、組織修復、臓器サイズの調整などに関わることが知られています。今回の研究では、このYAP/TAZが骨髄傷害後の回復過程で、間葉系ストローマ細胞と血管内皮細胞においてすばやく活性化することが示されました。
間葉系ストローマ細胞は、骨髄内で造血幹細胞を支える重要な細胞です。今回の研究では、YAP/TAZがEbf1やEbf3といった転写因子を調整し、間葉系ストローマ細胞としての性質を保つことに関わるとされています。これにより、細胞が骨形成や線維化の方向へ偏りすぎることを防ぎ、造血を支える機能を維持する可能性があります。
また、YAP/TAZはCxcl12などの造血因子や、血管新生に関わる因子の発現にも影響するとされています。Cxcl12は、造血幹細胞が骨髄内にとどまり、適切に働くために重要な分子です。骨髄ニッチが傷ついた後に、これらの因子が適切に回復することは、血液細胞の再生にとって大きな意味を持ちます。
血管内皮細胞においても、YAP/TAZは骨髄内の血管構造の修復に関わると考えられています。骨髄は血液をつくる場所であると同時に、血管網と密接につながった臓器です。血管の回復は、酸素や栄養、細胞の移動、造血幹細胞の維持に関わります。
このように、YAP/TAZは一つの細胞だけに作用するのではなく、骨髄ニッチ全体の再構築を助ける分子として位置づけられます。研究が示したのは、造血再生を考えるうえで、間葉系ストローマ細胞と血管内皮細胞を同時に見る必要があるという視点です。
GA-003は、骨髄ニッチを薬で支える可能性を示した
今回の研究でさらに注目されるのは、GA-003という小分子化合物です。GA-003はLATS1/2キナーゼを阻害し、YAP/TAZの活性を高める化合物として報告されています。研究では、放射線を受けたマウスにGA-003を投与することで、骨髄ニッチの回復が高まり、造血再生が促進されたとされています。
これは、造血幹細胞そのものを直接増やすというより、造血幹細胞が働くための環境を薬で整えるという発想です。これまでの支持療法では、白血球の回復を助けるG-CSFなどの薬が使われてきました。G-CSFは、好中球という白血球の一種を増やす目的で使われる薬です。
今回の報告では、GA-003が造血幹細胞移植後の生着を促し、G-CSFと相乗的に白血球回復を高める可能性も示されています。これは、将来的に化学療法、放射線治療、造血幹細胞移植後の骨髄回復を支える新しい方向性につながる可能性があります。
ただし、ここで注意すべきなのは、GA-003がすでに患者さんに使える薬ではないという点です。今回の研究はマウスモデルなどを用いた基礎研究・前臨床研究であり、ヒトを対象とした臨床試験で有効性や安全性が確認されたものではありません。
再生医療や細胞治療では、細胞そのものに注目が集まりがちです。しかし、今回の研究は、体内にある組織環境を薬で回復させるという別の道を示しています。細胞移植、幹細胞培養上清液、エクソソーム、そして微小環境を標的とする薬剤は、それぞれ異なる角度から再生を支える可能性があります。
間葉系ストローマ細胞への理解は、MSC研究にもつながる
今回の研究で中心的な役割を持つ細胞の一つが、間葉系ストローマ細胞です。これは骨髄内で造血幹細胞を支える細胞群であり、間葉系幹細胞と近い文脈で語られることもあります。英語ではMSCsと表記され、研究領域によってmesenchymal stromal cellsまたはmesenchymal stem cellsを指す場合があります。
国際幹細胞普及機構の読者にとって重要なのは、この研究が「MSCをそのまま投与する治療」の報告ではないという点です。今回の研究は、骨髄内にもともと存在する間葉系ストローマ細胞が、YAP/TAZを通じて造血環境を回復させる仕組みを調べたものです。
一方で、MSCが組織修復や免疫調整に関わるという大きな流れとは深くつながっています。骨髄由来MSCは、再生医療の中でも特に重要な細胞として研究されており、炎症、線維化、血管、組織修復などに関わる分泌因子を出すことが知られています。
また、MSCが分泌する細胞外小胞やエクソソームにも注目が集まっています。エクソソームは、細胞から放出される小さな袋状の構造で、タンパク質やRNAなどの情報を別の細胞へ届けると考えられています。幹細胞培養上清液の研究でも、こうした分泌成分が組織環境の調整に関わる可能性が検討されています。
今回のYAP/TAZ研究は、MSCや骨髄ニッチをより深く理解するための基盤にもなります。体外から細胞を補うだけでなく、体内の支持細胞がどのように傷害を感知し、どのように再生を支えるのか。その仕組みを知ることは、再生医療をより安全で精密なものにするために欠かせません。
再生医療の未来は、細胞と環境を同時に整える方向へ進む
今回の報告は、造血再生において骨髄ニッチを標的にするという新しい治療概念を示しました。血液をつくる力は、造血幹細胞だけでなく、それを支える間葉系ストローマ細胞や血管内皮細胞によって保たれています。そのため、再生医療の未来は、細胞そのものと細胞が働く環境を同時に整える方向へ進む可能性があります。
がん治療後の骨髄抑制や造血幹細胞移植後の回復は、患者さんの治療継続や感染症リスクに関わる重要な問題です。骨髄ニッチを支える治療が実用化されれば、将来的には治療後の血球回復をより安定させる方法につながるかもしれません。
しかし、現時点では前臨床段階の研究です。GA-003のようなYAP/TAZ活性化薬がヒトで安全に使えるか、どの患者さんに適するか、がん細胞や異常な細胞増殖に影響しないかは、今後の慎重な検証が必要です。YAP/TAZは細胞増殖にも関わる分子であるため、治療応用には安全性評価が欠かせません。
一方で、この研究が示した意義は大きいといえます。再生医療は、失われた細胞を補うだけの医療ではありません。傷ついた組織の環境を整え、体が本来持つ回復力を引き出す医療へと広がっています。
骨髄ニッチ、MSC、血管内皮細胞、エクソソーム、成長因子、RNA。これらは別々の研究テーマに見えて、実際には「細胞がどのように助け合い、組織を再生するのか」という一つの大きな問いにつながっています。今回のYAP/TAZ研究は、その問いに対して、骨髄という生命維持に欠かせない場から新しい手がかりを示したニュースです。
[出典]
- https://ashpublications.org/blood/article-abstract/doi/10.1182/blood.2025030831/569276/Niche-targeted-therapy-via-YAP-TAZ-activation
- https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0006497126014771
- https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/42329810/
- https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/press/page_00399.html
- https://medicalxpress.com/news/2026-07-microenvironment-therapy-bone-marrow-recovery.html
- https://www.eurekalert.org/news-releases/1135320
- https://www.brightsurf.com/news/8OMPXW31/novel-microenvironment-targeted-therapy-for-bone-marrow-recovery-after-injury.html


