X染色体上の遺伝子発現量が補正されるメカニズムを霊長類で解明

目次

1. 生殖医療の重要性

少子化が日本の各分野に影響を与え始めており、本格的に対策を採らなければならない、また少子化を受け入れる社会を再構築すべき、などと様々な意見が出ている昨今ですが、医療では少子化に関連する分野での研究が盛んになっています。

それは、生殖医療の分野であり、主に不妊治療など、「子供が欲しいのに授からない。」を解決するための研究に注目が集まっています。

不妊というセンシティブな内容のため、正確な数は予測の域を出ませんが、かなり多くのカップルが不妊に悩んでいます。

不妊治療は、その必要性から以前と比べてかなり進歩していますが、iPS細胞に代表される幹細胞の研究材料としての流通と共に、新しいステージに入りつつあります。

生殖細胞は、精子、卵子共に体内の生殖幹細胞から発生するため、生殖幹細胞、または生殖幹細胞から生殖細胞へのステップに問題があった場合、不妊となるケースが多く見られます。

さらに、生殖幹細胞とその発生にはいまだに不明な点が多く、これらを明らかにすることは、生殖医療に役立つ結果となります。

2. X染色体上の遺伝子発現補正を解明

京都大学高等学院ヒト生物学高等研究拠点(Kyoto University Institute for the Advanced Study Human Biology、WPI-ASHBi)拠点長の斎藤通紀教授と岡本郁広特定講師らのグループにより、生殖細胞の遺伝子についての研究報告が「Science」に掲載されました。

哺乳類の性染色体は、X染色体とY染色体の2種類あります。

雄(男性)はX染色体、Y染色体1本ずつでXY型、雌(女性)はX染色体が2本でXX型です。

つまり、雌は雄の2倍量のX染色体を持つため、X染色体由来の遺伝子量も2倍になります。

Y染色体の配列上にある遺伝子は約80個に対して、X染色体の配列上には800個ほどの遺伝子があります。

X染色体上の遺伝子は、X連鎖遺伝子と呼ばれ、言い換えると、雌は雄の2倍量のX連鎖遺伝子産物を持つことになる、となります。

この雄と雌とのX連鎖遺伝子産物量の差を補正するために、雌では2本のX染色体のうち、1本を不活性化します。

このメカニズムはX染色体不活性化、と呼ばれます。

一方で、2本ある常染色体との差を補正するために、X連鎖遺伝子の発現量を2倍にする、「X連鎖遺伝子のアップレギュレーション」というシステムも存在します。

マウスなどでは、受精して胚発生初期に着床しますが、この着床前後の胚(受精卵の発生が進行した胎児の原型)で、X染色体遺伝子量補正が行われます。

X染色体の不活性化のためには、XIST遺伝子の発現が必要ですが、この遺伝子は受精後の2細胞期に父親由来のX染色体からのみ発現します。

この発現によって、胚盤胞期には全ての構成細胞で父親由来のX染色体が不活性化し、遺伝子発現が抑制されます。

父親由来のX染色体不活性化は、胎盤などを形成する胚体の外側では維持され続けますが、エピブラスト(将来体の全てを構成する未分化状態の細胞集団)では、いったん再活性化され、その後父親由来、母親由来のX染色体はランダムに不活性化されます。

ヒトはマウスと同じ哺乳類ですがややことなる動きを示します。

着床前胚でXIST遺伝子は、父親由来と母親由来の両方のX染色体から発現しますが、X連鎖遺伝子の発現抑制は起きません。

そのため、いつ、どのようにしてX染色体遺伝子産物量補正が起きるのかが不明でした。

今回、成果が発表された研究では、カニクイザルをモデル動物として使い、ヒトが属する霊長類の初期発生過程におけるX染色体遺伝子量補正のメカニズム、プログラムを明らかにすることを目的として行われました。

3. カニクイザルでの研究成果

カニクイザルでは、ヒトと同様に父親由来、母親由来両方の染色体からXIST遺伝子が発現していました。しかし、X連鎖遺伝子の発現抑制は起きていませんでした。

この段階のメカニズムは、ヒトと同じメカニズムである事がわかりました。

そこで、早期着床胚でのXIST遺伝子とX連鎖遺伝子の発現を解析しました。

その結果、着床してから2日目にかけて胎盤などになる胚体外部で、そして4日目から6日目に書けてエピブラストで、最終的に8日目にかけて卵黄嚢でXIST遺伝子の発現が、父親由来、母親由来のどちらかのX染色体からのみとなり、X連鎖遺伝子発現は抑制されることが明らかになりました。

X連鎖遺伝子は、この間、着床前から胚齢20日かけて発現量が2倍まで上昇し、常染色体と同じレベルに到達していました。

さらに、受精前の生殖細胞でも研究グループは解析を行っています。

生殖細胞へと分化する始原生殖細胞を解析したところ、分化初期からXIST遺伝子の発現が低下し、X染色体から遺伝子発現が誘導されていると判明しました。

また、始原生殖細胞が生殖隆起に移動した後、低下していたXIST遺伝子の発現が再開していることが明らかとなりました。

4. この研究で解明されたこと

この研究では、哺乳類のマウスなどではわかっていたが霊長類では不明であった初期発生過程と始原生殖細胞の分化過程におけるX染色体遺伝子量補正プログラムを初めて明らかにしました。

こうしたメカニズムの解明では、マウス、ラットでの結果をヒトに当てはめて予想することが多く、今回のようにヒトと同じ霊長類で解明され、よりヒトに近いであろう結果が得られることはそれほど多くありません。

iPS細胞とその応用技術の発展によって、ヒトの細胞からiPS細胞を構築し、そのiPS細胞から目的細胞を分化誘導して研究に用いることが一般的な研究手法になってきています。

しかし、今回の生殖細胞、受精後の胚発生は、人工的な培養系で生体内を再現して研究する手法はいまだに開発されていません。

そのため、今回のように霊長類の中で実験モデル生物であるカニクイザルで解析するケースがあります。

しかし、霊長類を使った研究は、資金面でコスト高の問題、そして倫理的な問題などをクリアしなければならないため、多くの研究室でできるものではありません。

それゆえに、この研究には大きな価値があるのですが、今後、この研究チームは、さらに霊長類のX染色体遺伝子量補正プログラムの分子レベルでの制御機構の解明を目指すとしています。

マウスで見られるような、培養条件下でX染色体不活性化を再現できれば、将来的には大きな期待を我々に与えてくれるような研究が展開できます。

5. 今後の研究展開と技術発展

今回の研究成果から発展が期待される新しい研究と技術は、どれも不妊治療につながる可能性のあるものです。

まず、iPS細胞から生殖細胞を分化誘導する技術開発が挙げられます。

生殖細胞の発生が不十分のために、男性の場合は受精に必要な精子数を揃えることができない、女性の場合は卵子が不完全であるなどは不妊の大きな原因です。

これらの解決のためには、生殖細胞の発生過程の分子制御メカニズムの解析を行い、その過程で具体的に何が起こっているのかを明らかにする必要があります。

また、不妊症には直接関係はありませんが、着床前後胚培養法の技術開発促進によって、ヒトでは着床する前後の胚発生が以上となるために着床せずに妊娠が継続できないという問題の解決につながる研究が期待できます。

さらに、分子メカニズムが解明され、関与する遺伝子、タンパク質とその相互作用が明らかになれば、これまでわからなかった不妊症の原因を明らかにすることができます。

不妊症の診断で、関与する遺伝子、タンパク質の状態を解析することによって、不妊症の原因をより具体的にピンポイントで解明することが期待されます。

こういった将来性をもつこの研究成果は、今後iPS細胞を使った細胞工学的な解析を経由して、医療、産業に応用されていくと考えられます。

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