光の力で神経細胞の活動を簡単に評価する新技術を開発

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神経細胞の活動を評価する簡便な新技術を開発

国立研究開発法人 産業技術総合研究所細胞分子工学研究部門 ステムセルバイオテクノロジー研究グループ 赤木祐香 研究員、木田泰之 研究グループ付、則元彩 テクニカルスタッフは、神経細胞の活動を評価できる新しい手法を開発しました。

 

従来、神経細胞の活動を評価する技術は指標となる蛍光プローブが必要でした。

蛍光プローブを用いた場合、サンプルに対して侵襲的となることが問題で、低侵襲性、非侵襲性の評価方法が求められていました。

 

そこで研究グループは、はラマン分光法という物質の中の分子を調べる光技術と機械学習を応用し、神経細胞の活動を迅速かつ正確に評価するシステムを開発しました。

このシステムは単一の神経細胞だけでなく、神経細胞が集団で活動する神経核も計測できます。

プローブ不要の非侵襲的な神経細胞評価システムは、再生医療や創薬における移植用細胞の品質管理や新薬の効果と毒性評価に貢献します。

 

さらに、この技術は神経疾患の治療法の開発や神経科学の発展に役立つと考えられています。

 

神経細胞の活動とは?

神経細胞(ニューロンとも呼ばれる)の活動とは、主に電気信号と化学信号を使って情報を伝達するプロセスのことです。

神経細胞は、脳や脊髄、末梢神経系に存在し、感覚情報の処理、運動の制御、思考や記憶などに関わっています。

この活動は、特定の生理的メカニズムによって支えられています。

 

神経細胞は、以下の主要な構造を持っています:

・細胞体(ソーマ):細胞の中心部分で、細胞核を含み、神経細胞の維持や代謝を行います。

・樹状突起:他の神経細胞からの信号を受け取る部分で、複数の分枝状の構造を持っています。

・軸索:電気信号を他の神経細胞や筋肉などに伝える長い繊維であり、軸索は末端で他の細胞と接続します。

・シナプス:神経細胞同士が信号をやり取りする接合部分で、シナプスで化学的に情報が伝達されます。

 

神経細胞が活動していないとき、細胞膜内外のイオン濃度差によって細胞膜に静止電位が生じており、およそ-70mVの強さです。

細胞内はカリウムイオン(K⁺)が多く、細胞外にはナトリウムイオン(Na⁺)が多く存在し、このイオンの不均衡が電位差を生みます。

 

そして 神経細胞が刺激を受けると、電位依存性ナトリウムチャネルが開き、ナトリウムイオン(Na⁺)が急速に細胞内に流入します。

この結果、細胞内外の電位差が急激に正の方向に変化し(脱分極)、活動電位が発生します。

 

活動電位が発生した後、ナトリウムチャネルが閉じ、今度はカリウムチャネルが開いて、カリウムイオン(K⁺)が細胞外に流れ出し、再び負の電位に戻る(再分極)ことで静止状態に戻ります。

 

活動電位は軸索を伝わり、遠くの神経細胞や効果器(筋肉や他の細胞)へ情報を運びます。

活動電位は、軸索上を「跳躍伝導」と呼ばれる方法で高速に移動します。

この跳躍は、軸索を覆う絶縁物質である髄鞘(ずいしょう)によってサポートされています。

 

活動電位が軸索末端(シナプス前膜)に到達すると、神経伝達物質がシナプス小胞からシナプス間隙に放出されます。

神経伝達物質は次の神経細胞のシナプス後膜にある受容体に結合し、次の神経細胞に電気的変化を引き起こします。

この過程によって、情報が一連の神経細胞を通じて伝わっていきます。

 

感覚、運動を司る神経運動

まず、感覚ですが、目、耳、皮膚などからの感覚情報(光、音、温度など)は、神経細胞を通じて脳に伝わり、認識されます。

身体の動きをコントロールする運動という面では、脳や脊髄で処理された情報が、運動ニューロンを通じて筋肉に伝達され、運動を制御します。

 

さらに神経活動は思考、記憶などに重要な役割を果たします。

神経細胞のネットワークは、複雑な思考や記憶の形成に関わっており、神経細胞同士の結合(シナプス)は、学習や経験によって強化されることがあります。

 

神経細胞の活動は様々なことに応用されており、身体の健康を数値化、データ化される際に測定されます。

まず脳波(EEG)の測定は、脳内の神経細胞の集団活動を電気的に記録する手法です。

脳の健康状態や睡眠のモニタリングに使用されます。

機能的MRI(fMRI)は脳の特定の領域が活動している際の酸素消費量を測定し、どの部分が活発に働いているかを画像化する手法です。

 

神経細胞の活動は、生体の情報処理と応答の基礎であり、この活動のメカニズムが正しく機能することで、私たちの感覚や運動、思考が成り立っています。

この活動を測定、評価する技術はヒトの身体の状態を知る上で重要であり、測定・評価技術の開発が進んでいます。

 

侵襲性と非侵襲性

このような測定・評価技術、特にヒトの身体の測定を行う場合、「侵襲性(しんしゅうせい)」であるか「非侵襲性(ひしんしゅうせい)」であるかが重要視されます。

この2つは主に医療や生物学の分野で使われる概念で、治療や検査がどれだけ体に負担を与えるかを表す言葉です。

 

侵襲性とは、体に物理的な負担やダメージを与える、つまり体の内部に侵入したり、組織を傷つけたりする行為や技術を指します。

侵襲性のある手法は、通常、治療や検査のために体に何らかの物理的な介入が必要です。

 

例をいくつか挙げます。

・外科手術:皮膚や筋肉を切開して行うため、体に対して大きな物理的な侵入が発生します。

・採血:針を刺して血液を採取するため、軽度の侵襲性があります。

・生検:体内の組織を取り出して調べるため、侵襲的です。

 

一方で非侵襲性とは、体に物理的な損傷や侵入を与えない、または非常に少ない負担で行う技術や手法を指します。

これらの方法は、体外からの操作や観察を通じて診断や治療を行うもので、体への負担が軽いのが特徴です。

 

これも例をいくつか見てみましょう。

・超音波検査(エコー):体外から超音波を当てて内部の構造を画像化する検査で、体を傷つけません。

・MRI(磁気共鳴画像):磁場と電波を用いて体内の詳細な画像を撮影する非侵襲的な検査です。

・ラマン分光法:今回の研究成果は、これを応用した方法です。

体にレーザーを当てることで分子の振動を調べる技術で、非侵襲的な分析法です。

 

近年では、非侵襲性の技術は、患者の負担を減らすため、診断や治療において特に重視される傾向があります。

 

ラマン分光法とは?

ラマン分光法(ラマンぶんこうほう、Raman spectroscopy)は、分子の振動や回転などのエネルギー準位の変化を検出する分光法の一種です。

この技術は、物質にレーザー光を照射し、その散乱光(ラマン散乱)を測定することで、物質の分子構造や化学結合、組成に関する情報を得るものです。

 

ラマン散乱は、物質にレーザー光を照射した際に、光子が分子内の振動エネルギーや回転エネルギーと相互作用し、散乱される現象です。

ほとんどの光子はエネルギーを失うことなく同じ波長で散乱されますが、一部の光子は物質内の分子とエネルギーをやり取りし、異なる波長の光として散乱されます。

このエネルギーの違いにより、物質の分子の特徴的な振動モードに関する情報が得られます。

 

ラマン散乱は、主に以下の2種類に分けられます。

・ストークス散乱:光子が分子にエネルギーを与え、散乱光のエネルギーが入射光よりも低くなる(波長が長くなる)現象です。

・アンチストークス散乱:分子がエネルギーを光子に与え、散乱光のエネルギーが入射光よりも高くなる(波長が短くなる)現象です。

 

そしてラマン分光法の特徴を見てみましょう。

・非破壊性:試料を破壊することなく測定できるため、様々な分野で利用されています。

・試料の前処理が不要:直接測定できる場合が多く、簡便です。

・高い化学選択性:異なる化学結合に基づく分光情報を得ることができるため、分子構造の解析に有効です。

 

ラマン分光法は様々な分野に応用されています。

物質の化学構造や分子の同定に利用される化学分析、材料内部の応力や欠陥の調査に用いられる材料科学、そして細胞や組織の構造解析、疾患診断などに応用する、生物・医学の分野です。

 

iPS細胞との関係は?

神経細胞活動の評価とiPS細胞の関係は、主に再生医療や神経科学研究の分野で重要な役割を果たしています。

iPS細胞技術を用いることで、個別の患者や特定の病態に基づいた神経細胞を作製し、その神経細胞の活動を詳細に評価できるようになります。

 

iPS細胞を用いることで、例えばパーキンソン病やアルツハイマー病などの神経変性疾患を持つ患者の細胞を採取し、それを神経細胞に分化させることができます。

このような患者特異的な神経細胞を使うことで、神経活動やシナプス機能、電気的な活動を測定し、疾患の進行メカニズムを明らかにするためのモデルが構築されます。

 

iPS細胞由来の神経細胞は、電気的活動を持っており、その活動はパッチクランプやカルシウムイメージング、マルチ電極アレイ(MEA)などの技術を使って評価できます。

これにより、細胞の発火パターン、シナプス伝達の効率、神経回路の形成などを調べることが可能です。

 

また、iPS細胞から作製された神経細胞を用いて、神経細胞の活動に影響を与える薬剤のスクリーニングが行われます。

神経疾患の治療薬や新たな候補薬の発見に役立つだけでなく、副作用を抑えながら神経機能を調整する薬剤の探索にも貢献します。

 

さらにiPS細胞技術を使うことで、個々の患者に最も効果的な治療法を見つけるために、患者の細胞を使って神経細胞活動を評価することが可能です。

これは、患者の遺伝的背景や疾患特性に基づいたオーダーメイド医療(個別化医療)の発展に寄与します。

 

iPS細胞由来の神経細胞を使って、生体内で神経回路がどのように形成され、機能するかを調べることができます。

これにより、発達過程やシナプス可塑性、神経回路の再編成などの研究が進展しています。

 

このように、iPS細胞を用いて作製された神経細胞は、神経活動の評価を通じて神経疾患の理解や治療法開発、さらには基礎的な神経科学の発展に大きな貢献をしており、今回の研究成果はおおきな進歩と理解されています。

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