若返る薬を実現か、ハーバード大学が細胞を若返らせる化学薬品を発見

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細胞のリプログラミングに新しい手法

ハーバード大学医学部のDavid A. Sinclair博士をリーダーとする研究チームは、化学的なアプローチによって細胞を若い状態にリプログラミングする方法を発表しました。

化学的アプローチとは、化学物質の細胞への添加によってリプログラミングするという方法です。

化学物質の添加によるリプログラミングに成功したのは世界初であり、山中博士が開発した4種類の遺伝子、「山中因子」を導入してiPS細胞を作製するという方法を発展させたものです。

 

多くは解決され、また解決されつつありますが、当初iPS細胞には細胞が若くなりすぎる、がん化しやすいという問題がありました。

それと共に、細胞の老化を逆転できるのかという問題が提起され、研究が進められてきました。

この研究は、その問題の答えにつながる知見を示しています。

 

研究の概略

我々人間を含めた真核生物の老化の特徴は、エピジェネティックな情報の喪失ですが、この過程は元に戻すことができます。

エピジェネティックとはDNAのメチル化、アセチル化によって遺伝子の転写を制御するというメカニズムです。

 

研究チームは哺乳類において山中因子OCT4SOX2KLF4OSK)を異所的に誘導することで、細胞の同一性を消すことなく、若々しいDNAメチル化パターン、転写プロファイル、組織機能を回復できることを示し、論文として発表しています。

 

ゲノム、つまりDNAを変化させることなく、細胞の老化を逆転させ、ヒト細胞を若返らせる分子の存在を予想した研究チームは、遺伝子のスクリーニングを行いました。

まずそのツールとして、転写ベースの老化時計やリアルタイム核細胞質コンパートメント化(NCC)アッセイなど、若い細胞と老化細胞とを区別するハイスループット細胞ベースアッセイを開発しました。

 

このツールを使って解析を行い、その結果、細胞のアイデンティティを損なうことなく、1週間以内にゲノム全体の転写プロファイルを若々しく回復させ、転写産物年齢を逆転させる6種類の化学物質を同定しました。

つまり、年齢逆転による若返りは、遺伝的手段だけでなく、化学的手段によっても可能であることが証明されました。

 

この研究は“老化”というキーワードとiPS細胞の概念をミックスして問題設定をすることで、これまでにない新しい視点で幹細胞の解析を行った研究です。

 

細胞リプログラミングのカギとなる6つの化合物

論文中では、valproic acid (V), CHIR-99021 (C), E-616452 (6), tranylcypromine (T) and forskolin (F)6つの化合物がカギとされ、この6つの化合物を混合したカクテルをVC6TFと呼んでいます。

 

Valproic acidはバルプロ酸という化合物で、ヒトの脳における神経伝達物質の1つです。

神経細胞の興奮を抑制する機能を持ち、体内に吸収されると血液脳関門を突破して脳に届きます。

精神神経疾患において重要な分子であることが明らかになりつつある物質ですが、血液脳関門だけでなく、血液胎盤関門も突破することが知られています。

発生中の胎児に対しては催奇形性(奇形を誘導する性質)を持つことが2017年にフランスの保険製品安全庁と国民健康保健当局が発表しています。

妊婦がバルプロ酸を使用すると、催奇形性のリスクに加えて自閉症、自閉症スペクトラムのリスクを増加させることも知られています。

 

CHIR99021は、酵素GSK-3の阻害剤として作用する化合物であり、ある細胞型から別の細胞型への転換を伴う分子生物学における応用に有用であることが証明されています。

CHIR99021とバルプロ酸の混合物は、内耳幹細胞の増殖を増加させ、聴覚に重要であり、大きな音への慢性的な曝露や老化プロセスの一部として失われる有毛細胞の再生を可能にする可能性があると報告されています。

 

E-616452は、TGF-βI型受容体の阻害剤として知られており、TGFが関与するiPS細胞の研究ではよく使われている化合物です。

リプログラミングに関与する化合物としては以前から知られているため、この化合物を使った新しいリプログラミングの報告はいくつかなされていましたが、現実としてこのリプログラミングは不完全なものであり、今回の報告で初めて完全なリプログラミングに関与することが証明されました。

 

Tranylcypromineは日本においてはトラニルシプロミンと呼ばれており、パルネートなどの商品名で販売されています。

モノアミン酸化酵素阻害薬(MAOI)、より具体的には、モノアミン酸化酵素(MAO)の非選択的かつ不可逆的な阻害剤として作用します。

非定型うつ病を含む大うつ病性障害、特に不安の要素がある場合の治療に使用され、通常、第2選択薬として使用されています。

また、SSRITCA、ブプロピオンなどの再取り込み阻害薬抗うつ薬に反応しないうつ病にも使用されて効果を挙げています。

有効性は三環系抗うつ薬などの他の抗うつ薬と同様であると報告されており、臨床においては使われる頻度の高い化合物です。

 

Forskolinはフォルスコリンと読みます。

分子生物学、細胞生理学の実験において、細胞内情報伝達物質であるサイクリックAMPcAMP)の細胞内濃度を上昇させるためによく使われます。

cAMPは様々な現象に関与する非常に重要な分子で、例えば脳の視床下部、下垂体における細胞の情報伝達、ホルモンのフィードバック制御に関与しています。

 

臨床では、フォルスコリンは大腸がん細胞の増殖を阻害し、細胞死を誘導する可能性が最近報告されています。

フォルスコリンは他にもロリプラムという薬剤と同時投与すると、神経組織の長期増強を誘導、またフォルスコリン単体で血管拡張作用を誘導する事が知られています。

 

他にも臨床で効果が期待されているフォルスコリンですが、男性の肥満、緑内障の制御などに効果があるなど、多くの領域で有効な薬剤となり得る可能性が示唆されています。

 

研究の詳細

この研究では、若い細胞と老化した細胞におけるタンパク質のコンパートメント化と遺伝子発現パターンに基づき、小分子が細胞の同一性を消したりiPS細胞のような状態を誘導したりすることなく、細胞のトランスクリプトーム年齢を逆転させることができるという証拠を得ることができました。

このアプローチを研究チームはEPOCH法と呼び、論文に詳しい方法を掲載しています。

 

さらに、定量的核細胞質分画化(quantitative nucleocytoplasmic compartmentalizationNCC )というシステムによって、若い細胞株、老齢細胞株、老化細胞株、HGPS細胞株、OSK細胞株を対照として、生物学的年齢逆転のバイオマーカーとすることを確立しています。

 

これらの手法を使い、6種類の化合物によるカクテルを使い、エピジェネティック再プログラミングのトランスクリプトーム解析から、炎症、ミトコンドリア代謝、リソソーム機能、アポトーシス、p53、成長シグナルに関わる老化関連遺伝子発現パターンの顕著な変化、そしてそれらが老化の特徴を幅広く改善することを示しました。

さらに、トランスクリプトームクロックから、6種類の化学物質カクテルは、いずれも生物学的年齢と年齢を、老化していない細胞集団の年齢よりも低下させるという観察結果が得られました。

 

この研究における、細胞の同一性を保ちながら、以前の遺伝子発現パターンを回復させるという、遺伝的・化学的な細胞の若返りが可能であるという観察は、老化の情報理論に合致するように、古い細胞が生物学的年齢をリセットするための情報を持っていることを示しています。

つまり、古い細胞がそれまで積み重ねてきた年齢をキャンセルできる可能性が示されています。

 

今回の研究では、若い細胞と老化細胞の区別にNCCシステムを使い、種々のスクリーニング方を組み合わせることによって6種類の化合物を特定することに成功しました。

この化合物カクテルは、1週間以内にNCCと全ゲノムの転写産物を若い状態に戻し、トランスクリプトーム年齢を逆転させることができます。

今後の課題は、マウスを使った実験を行った時に、老化を逆転させ寿命を延長させるのかどうかを明らかにすることです。

本研究で開発されたアッセイ法は、ロボット工学や人工知能の能力の向上と相まって、哺乳類の老化を安全に逆転させる遺伝子、生物製剤、低分子のますます大規模なスクリーニングを進める原動力になります。

 

遺伝子治療の代わりに化合物を用いて老化を逆転することができれば、加齢やケガ、加齢関連疾患の治療に革命をもたらす可能性があり、開発コストの削減と開発期間の短縮が期待できます。

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