ヒトiPS細胞から前精原細胞及び卵原細胞の大量誘導に成功

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ヒトiPS細胞から前精原細胞及び卵原細胞の大量誘導に成功=京大

京都大学の研究チームは、ヒトiPS細胞から、始原生殖細胞(Primordial Germ Cells:PGCs、ヒト胚では受精後2週目に形成される最も未分化な生殖細胞)を経て、精子及び卵子のもととなる前精原細胞及び卵原細胞を大量に分化誘導する方法の開発に成功しました。

 

研究チームは、京都大学大等研究院ヒト大物学大等研究拠点 (WPI-ASHBi) 斎藤通紀主任研究者(兼:同大学院医学研究科教授)を中心として、同大学大等研究院 村瀬佑介ASHBi特定研究員、同大学大学院医学研究科横川隆太博大課程大学院生らによって構成されています。

 

この研究のポイントとなる細胞は、iPS細胞、そのiPS細胞から分化する始原生殖細胞、前精原細胞、卵原細胞です。

 

この研究成果は、2024年5月に国際学術誌「Nature」にAccelerated Article Preview版として掲載されました。

 

始原生殖細胞、前精原細胞、卵原細胞とは?

始原生殖細胞は、動物の生殖細胞系統のもととなる細胞で、ヒトだけでなく多数の動物種に共通に存在する種類の細胞です。

これらの細胞は、受精卵から発生初期に分化し、将来の精子や卵子を形成するための基盤を作ります。

 

動物が子孫を残すためには必要不可欠な細胞であり、生殖によって子孫を増やす動物種では、昆虫から哺乳類まで、広く研究が行われている細胞です。

 

始原生殖細胞は、胚発生の初期段階で特定の部位に出現します。

これらの細胞は、胚の後半部分(尾側)から発生し、特定の経路に沿って移動し、最終的に性腺(精巣や卵巣)に到達します。

 

この細胞は、将来の精子や卵子に分化する能力を持っており、これらの細胞は、体の他の細胞と区別される独自の遺伝的・分子的特性を持っています。

胚の発生過程で始原生殖細胞は性腺へと移動します。この移動は、特定の化学シグナルに誘導されることが知られています。

始原生殖細胞の正常な発生と移動は、生殖能力の維持に不可欠です。これらの細胞の異常は、不妊症や生殖関連の疾患につながる可能性があります。

 

始原生殖細胞の研究は、生殖医療や生物学の分野で重要であり、これらの細胞の特性や挙動を理解することで、生殖関連の病気の治療法や新しい生殖技術の開発が進められています。

 

前精原細胞(Spermatogonia)は、男性の生殖細胞系統における初期段階の細胞で、将来の精子に分化する元となる細胞です。

前精原細胞は精巣内の精細管に存在し、精子の形成(精子形成)過程の一部として重要な役割を果たします。

 

前精原細胞は精巣内の精細管の基底膜付近に位置しており、精巣の中で、これらの細胞は特定のニッチ環境に囲まれており、精子形成を開始するための信号を受け取ります。

 

その後、前精原細胞は有糸分裂を行い、自己複製して同じ細胞を作る一方、一部は精子細胞(精母細胞)へと分化します。

分化した精母細胞は、さらに減数分裂を経て精子へと成熟していきます。

 

前精原細胞には、タイプA(暗)とタイプA(明)およびタイプBの細胞があります。タイプA(暗)は、主に自己複製を行う細胞で、タイプA(明)は精母細胞に分化する準備をする細胞です。

タイプBの細胞は、精母細胞に分化する段階の細胞です。

 

これらの細胞から精子が形成されますが、精子形成の過程は、ホルモン(特にテストステロンやゴナドトロピン)の影響を受けます。

これらのホルモンは、精巣内での前精原細胞の分裂と分化を調整します。

 

前精原細胞の分裂と分化の周期は、精子形成の周期に密接に関連しており、成人男性では生涯にわたって継続します。

このプロセスは精巣の機能維持と正常な生殖能力にとって重要です。

 

卵原細胞(Oogonia)は、女性の生殖細胞系統における初期段階の細胞で、将来の卵子(卵細胞)に分化する元となる細胞です。

これらの細胞は卵巣内で発生し、卵子形成(卵細胞の発生)過程の一部として重要な役割を果たします。

 

卵原細胞は、胎児期の卵巣内で発生します。

胎児の卵巣には、胚発生の初期段階で始原生殖細胞が移動し、これらの細胞が卵原細胞に分化します。

 

この細胞は、有糸分裂を行って数を増やします。

しかし、出生までにこの有糸分裂は停止し、卵原細胞の一部は卵母細胞へと分化し始めます。

 

卵原細胞は、胎児期に減数分裂を開始しますが、この過程は第一減数分裂の前期で停止します。

この状態で卵母細胞は休眠状態となり、思春期に再び減数分裂を再開するまでこの状態が続きます。

出生時には、女性の卵巣には多数の一次卵母細胞(減数分裂の第一前期で停止している卵原細胞)が存在します。

これらの細胞は思春期以降、毎月の排卵サイクルで成熟し、減数分裂を完了して成熟卵子となります。

 

卵原細胞から卵母細胞への分化、およびその後の成熟卵子への変化は、複雑なホルモン調節と相互作用によって制御されています。

卵母細胞が減数分裂を再開し、最終的に成熟卵子として排卵されるのは、思春期以降の生殖可能な期間中です。

卵原細胞は、女性の生殖能力にとって重要な細胞であり、正常な卵子形成と生殖機能の維持に不可欠な役割を果たしています。

 

研究の詳細

本研究では、同グループが開発したヒトPGC様細胞 (PGC-like cells, PGCLCs) の維持培養法をもとに、特定のシグナルを使うことで、ヒトPGC様細胞を前精原細胞及び卵原細胞に分化させることに成功しました。

 

ヒトPGC様細胞は2ヶ月程度で前精原細胞及び卵原細胞に分化し、また、染色体数を安定

に維持したまま細胞数を増幅できます。

 

培養過程の遺伝子発現パターン、メチル化レベルは生体内の過程を再現しており、同グループが以前に開発した卵原細胞誘導法である異種間再構成卵巣培養の難点であった、分化過程の不明瞭さや細胞収量の著しい低さが克服されました。

 

また、同グループは、本培養法を使って、前精原細胞及び卵原細胞の分化に関与するエピジェネティックな制御メカニズムを解明しています。

 

エピジェネティックな制御は、DNA メチル化、つまりDNA の化学修飾です。

遺伝子近傍の遺伝子発現調節領域におけるDNAメチル化は遺伝大発現を負に制御する、つまり遺伝子発現の抑制に作用すると考えられています。

 

この関連でエピゲノムという言葉も使われます。

エピゲノムとは、ゲノムの塩基配列に含まれない、遺伝子の制御に関する化学修飾の総体のことです。

この代表的なものとして先述したDNA メチル化やヒストンの翻訳語修飾が挙げられます。

 

始原生殖細胞の発生過程では、エピゲノムリプログラミングと呼ばれる、ゲノム全域の

DNA脱メチル化やヒストン修飾の大規模な再編成が起こり、その結果、前精原細胞もしくは卵原細胞へと分化することがわかっています。

エピゲノムリプログラミングは、親世代のエピゲノム情報を消去し、その後、精子や卵子の分化過程で次の世代のエピゲノム情報が付与される基盤を形成します。

 

今後の展望

今回開発された培養方法を用いることで、膨大な量のヒト前精原細胞、卵原細胞を作成することが可能となりました。

研究における最新の実験方法であるメタボローム解析、プロテオーム解析、エピゲノムリプログラミングのメカニズム解析などは、多量の細胞を必要とします。

大量にこれらの細胞を作製できるということは、ヒト生殖細胞ではこれまで不可能とされていた解析を行うことが可能となりました。

 

また、本培養方法の確立によって、ヒト前精原細胞と卵原細胞をさらに効率化された培養方法の開発研究に着手できるようになりました。

現時点ではこういった基礎研究に貢献することが予想されますが、今後の生殖医学の進歩によってはこれらの培養方法によって作られたヒト生殖細胞を使って生殖関連の治療が可能になるかもしれません。

 

この展望は新しい不妊治療の可能性を含むものであり、今回の方法を使った生殖細胞の大量生産方法はこの生殖医療の進歩に大きな貢献をすると期待されています。

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