iPS細胞から免疫細胞に分化させる方法
公益財団法人 東京都医学総合研究所の幹細胞プロジェクトに所属する、北島健二首席研究員、原孝彦参事研究員、真貝美奈子研修生(現タカラバイオ所属)、安藤輝研修生らは、ヒトiPS細胞から免疫細胞であるマクロファージへの分化を効率良く誘導できる培養方法を開発し、論文として日本免疫学会発行の国際学術雑誌「International Immunology」に「FLT3 signaling augments macrophage production from human pluripotent stem cells.」というタイトルで発表しました。
iPS細胞は、体のさまざまな種類の細胞に分化する能力を持つ細胞です。
以下は、iPS細胞から免疫細胞を生成する一般的な手順の概要です:
まずiPS細胞を作成するステップです。
iPS細胞は通常、体の異なる部分から採取した細胞(例えば皮膚細胞などの採取しやすい細胞)を用いて生成されます。
これらの細胞は特定の転写因子を導入することで、多能性を有するiPS細胞に変換されます。
iPS細胞を人工的に培養すると、培養条件下で3次元組織である胚性胚を形成します。
この段階は、異なる細胞型への分化を促進するための準備段階です。
このステップが完了すると、特定の細胞への分化の準備が完了します。
次のステップで免疫細胞の方向性づけを行います。
免疫細胞への特定の分化を促進するために、特定の成長因子やサイトカインを添加します。例えば、リンパ球や顆粒球に分化するように指示するサイトカインが使用されます。
サイトカインは複数種類存在し、様々な機能を持つサイトカインがヒトの細胞から分泌されています。
分化誘導を目的とした培養を行い、免疫細胞が十分に分化したら、これらの細胞を収穫します。
これには、特定の表面マーカーや細胞特性を利用して、目的の免疫細胞を選別する手法が使用されることがあります。
収穫された免疫細胞の機能を確認するために、in vitro(実験室内)およびin vivo(生体内)での実験が行われることがあります。
これは人工的に分化させた細胞の機能評価のためです。
これにより、生成された免疫細胞が適切に機能しているかどうかが確認されます。
このプロセスは一般的なiPS細胞の研究で行われているステップです。
多種類の細胞がこのステップと同様の方法でiPS細胞から分化誘導されていますが、主に研究目的が中心です。
この方法で分化した細胞を臨床応用するためにはさまざまな課題が存在します。
そのため、iPS細胞からの免疫細胞の生成には倫理的および安全性の検討が重要です。
研究の背景
ヒトiPS細胞から作られた赤血球・白血球・血小板などの血液に含まれる細胞は、がん免疫療法や再生医療、医薬品開発などの研究材料として有用です。
さらに研究の進展によっては臨床応用も視野に入れた研究開発が世界中で進んでいます。
研究グループは、この臨床応用を視野に入れ、iPS細胞から効率よく血液に含まれている細胞の分化方法の開発に着手しました。
臨床応用を実現させるためには効率のよい分化誘導方法を使わなければ治療コストがかさみ、臨床に実際に応用するためにはハードルが高くなります。
研究グループはWNTシグナルの制御に関与しているGSK3βの阻害剤CHIR99021がヒトiPS細胞から血液内の細胞への分化を顕著に促進することを2016年に発見しました。
さらに2022年には、この知見を活用し、CHIR99021処理したヒトiPS細胞を3次元培養(オルガノイド培養)することにより、血液内細胞のもととなる造血幹前駆細胞の特徴を示す細胞を作成することに成功しました。
造血幹前駆細胞の特徴は、CD45陽性・CD34陽性・LIN陰性・CD38陰性・CD90陽性という条件が必要ですが、研究グループが構築した細胞は、この条件を全てクリアしました。
しかし、このヒトiPS由来造血幹前駆細胞は、本来の造血幹前駆細胞の特徴である「長期骨髄再建能」をほとんど示しませんでした。
「長期骨髄再建能」は、一般的には骨髄が長期間にわたって正常な機能を維持し、必要な血液細胞を生成し続ける能力を指します。
骨髄は体内で造血が行われる主要な場所であり、赤血球、白血球、血小板などの血液細胞の生成が行われます。
長期骨髄再建能が健康である場合、骨髄は適切な量と種類の血液細胞を生成し、これによって身体の免疫機能や酸素運搬、凝固機能などが維持されます。
この機能は健康な生命維持に不可欠なものであり、これをクリアしないと作製した細胞を治療に用いることはできません。
骨髄に異常が生じると、血液細胞の生成が減少したり、異常な形状や機能の細胞が生成されることがあり、これが骨髄異常症候群や骨髄疾患の原因となります。
問題の解決方法
長期骨髄再建能を持たない原因として、研究グループはヒトiPS細胞由来造血幹前駆細胞は、何らかの因子が欠損している可能性が考えました。
そこで、ヒトiPS由来造血幹前駆細胞とヒト臍帯血から採取した造血幹前駆細胞の遺伝子発現を比較したところ、ヒト臍帯血の造血幹前駆細胞では高い発現を示すFLT3という受容体型チロシンキナーゼがヒトiPS由来造血幹前駆細胞では発現していないことを発見しました。
FLT3は細胞膜表面に発現し、サイトカインの1つであるFLT3Lにより活性化されます。そこで、研究グループはFLT3遺伝子を安定発現するヒトiPS細胞株作成しました(ヒトFLT3-iPS細胞)。
このヒトFLT3-iPS細胞を培養する際に、FLT3Lを培養液中に添加することで長期骨髄再建能を獲得させようと考えました。
しかしこのオルガノイド培養で長期骨髄再建能の獲得を誘導する事はで来ませんでした。しかしマクロファージや好中球などの免疫細胞の直接の前駆細胞である骨髄系造血前駆細胞が大量に、つまり効率的に得られることが明らかになりました。
マクロファージとは?
この研究で効率のよい分化誘導方法が発見された細胞の1つにマクロファージがあります。マクロファージは体内に侵入した病原性微生物の貪食による殺菌や死細胞の排除による組織の恒常性維持を司っている自然免疫の細胞です。
さらにマクロファージはTリンパ球などの獲得免疫を活性化する役割も担っています。
マクロファージの研究は、主にマウス由来のものが用いられていますが、マウスで得られた知見がヒトにおいても同様であるかどうかはわかりません。
薬物の代謝などの研究で、ヒトとマウスは同じ哺乳類に属していても異なる部分が無視できないレベルで存在することがわかっています。
この状況で、もしヒトiPS細胞から得られたマクロファージが研究に利用できるのであれば、ヒトのマクロファージ研究に大きな貢献をもたらします。
サイトカインであるFLT3の添加によって、ヒトiPS細胞から骨髄系造血前駆細胞の誘導が大幅に促進されます。
つまり、FLT3を使うことで、ヒトiPS細胞からマクロファージを大量に得るための新培養システムが構築できる可能性があります。
この結果は、長期骨髄再建能の獲得を目的とした研究で偶然得られたものですが、念のために研究グループはヒトiPS細胞からマクロファージへの分化誘導を行いました。
その結果、FLT3の活性化により大量にマクロファージが得られることが明らかになりました。
マクロファージの特徴を持っている細胞の獲得には成功しましたが、このマクロファージが本来のマクロファージの機能を持っているかどうかを確認しなくてはなりません。
マクロファージの機能試験を行った実験で、分化誘導されて作製されたマクロファージ様の細胞は、マクロファージと同じ機能を持つことが確認されました。
この結果は、マクロファージを人工的に作製して医療に用いることができるという可能性を大きく拡げる結果です。
特に、がん治療に有効な治療方法として大きな期待が寄せられています。
マクロファージに、がん細胞に特異的に結合する人工的な受容体を発現させると、がん細胞を認識して接着し、貪食により退治します。
つまり、マクロファージが、がん細胞に対抗するという抗がん剤に似た機能を持たせることが可能ということです。
マクロファージに発現させる受容体は、キメラ抗原受容体(Chimeric Antigen Receptor;CAR)と呼ばれており、すでにTリンパ球では白血病などの治療にCAR-T療法として用いられています。
将来、CAR-T療法では効果の低いがん治療へのマクロファージの利用が考えられており、ヒトiPS細胞由来のマクロファージは、この新しいガン治療法の開発のための研究材料として期待されています。