1. 幹細胞からマウス精子を作製することに成功
京都大学高等研究院、ヒト生物学高等研究拠点の斎藤通紀教授、医学研究科石藏友紀子特定研究員と、横浜市立大学大学院医学研究科臓器再生医学、小川毅彦教授、佐藤卓也助教の研究グループは、マウス多能性幹細胞(ES細胞)から精子を作製することに成功しました。
この作成過程は、雄の生殖細胞の全分化過程を再現して行われ、生体内での精子作成過程をほぼ完璧に再現したことになります。
この研究成果は、ヒトの不妊症治療にとって大きな進歩で、一刻も早い臨床への応用が待ち望まれます。
一昔前、夫婦、カップルに子供ができない理由は女性に何らかの原因があるとされる傾向がありました。
しかし医学の進歩によって、不妊の原因は男性、女性どちらにも同様の頻度で存在することがわかってから、科学的な知見に基づいた不妊治療が行われるようになりました。
まず、現時点で明らかになっている不妊症について解説します。
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2. 不妊症とは
不妊症の定義は、「生殖年齢の男女が妊娠を希望し、1年以上避妊せずに性交を行っているにもかかわらず、妊娠の成立がない」場合を指します。
男女双方に、不妊症の原因となる可能性があり、女性の場合は卵管閉塞、無排卵症など、そして男性の場合は、精子の数が少ない、または精子が存在しないなどの原因が考えられます。
また、男女ともに、加齢は妊娠する能力(妊孕性)を低下させます。女性の場合は30歳周辺で妊娠確率は低下、35歳あたりをすぎると顕著な低下を示します。
男性の場合は、女性に比べると徐々に低下します。
一般的に精子の質の低下、と言われていますが、これは精子の運動能力の低下、精子数の低下を示します。
今回の研究成果は、男性が原因の不妊症の解消に役立つ研究であるので、もう少し男性が原因の不妊症について見てみましょう。
まず、性機能障害という不妊症の原因があります。
これは一般的にはEDとして知られている勃起障害、そしてセックスで射精できない、膣内射精ができないものが含まれます。
妊娠しないことに対してのプレッシャー、または他の要因によるストレスが原因として多いのですが、糖尿病などの疾患が原因で性機能障害になることもあります。
精子が正常に作られるにもかかわらず、ペニスの先端までの通路のどこかが詰まっているために精子が放出されないケースもあります。
これは、精路通過障害と呼ばれる症状で、精巣上体炎などが原因であることがおおいのですが、精巣上体炎が完治しても、後遺症によって詰まっているケースも見られます。
精子の数が少ない、または精子が存在しないという数的な問題、そして精子は作られているが、作られた精子の運動性が低い症状は、造精機能障害に分類されます。
精子は熱に弱いため、何らかの疾患で精巣が熱をもっていたりすると、精子の運動性が低くなり、妊娠能力が低下します。
不妊症の原因については、検査によって特定されます。
男性の場合は、まず感染症に罹患しているかどうかの血液検査を行い、その後に精液の検査をするのが一般的です。
精液の検査は、顕微鏡による観察で精子の存在が確認できるかどうか、また目視などでの精子の運動能力を検査します。
WHOの基準では、
- 射精時の精液量が2.0ml以上
- 精子の濃度が1mlあたりに2000万個以上
- 精子の全身運動が、全体の50%以上の精子に見られること
- 目視による形態観察で、正常な形態の精子が全体の30%以上である事
これらの条件をクリアすれば、正常と判断されます。
検査で、精子が異常と診断された場合、生活習慣の見直しで改善されるケースがあります。
運動不足、睡眠不足、喫煙習慣、精神的ストレスなどが見直しすべき生活習慣とされていますが、この見直しだけでは改善できない場合もあります。
今回の研究成果は、その場合に精子を作成して人工授精する、また将来的には体内での精子形成能力を取り戻すための治療に有用であると期待されています。
3. 精子作成の研究内容
使った幹細胞は、マウスの胚性幹細胞、つまりES細胞です。
この研究グループは、ES細胞から精子の大元となる精子幹細胞を作製することにはすでに成功していました。
しかし、この精子幹細胞は成熟した精子に分化することはできず、何らかの機能が欠失していると考えられていました。
精子は、始原生殖細胞という最も初期の段階から、精子幹細胞を経て精子へ成熟します。
このステップはけして早いわけではありません。
身体の成長、分化という観点で見ると、ゆっくりと精子になります。
研究グループは、マウスのES細胞を始原生殖細胞に分化させ、マウスの体内から採取した精巣の細胞と一緒に培養しました。
つまり、ES細胞プラス精巣の細胞を同じ培養シャーレで「共培養」し、精子幹細胞に分化させました。
この精子幹細胞を最終的に精子にまで分化させることが目的ですが、ここで研究グループは独自のアイデアで分化誘導を行います。
まず、別のマウスから精巣を取り出し、これを薄く切って組織片を作製します。
作製した組織片の中に、ES細胞から作製した精子幹細胞を入れて培養すると、この精子幹細胞は成熟し、精子に分化しました。
形態などは精子ですが、この場合の精子は受精能力がなければ研究の目的を果たしたことにはなりません。
雌のマウスから卵子を採取し、この精子を加えたところ、受精が可能である事が確認されました。
つまり、作製した精子は卵子の中に入る能力があることが証明され、受精卵が形成できることが証明されました。
次に、この受精卵が正常発生できるかどうかを調べるために、作製した精子を使って人工的に受精させた受精卵を、別のマウスの雌の子宮に移植しました。
43個の受精卵を使ってこの実験を行ったところ、雄と雌のマウスがそれぞれ1匹ずつ生まれました。
現時点では、43個の受精卵のうち、2個が正常発生をしたということになりますので、確率は多少低いという印象があるかもしれませんが、ヒトの人工授精で妊娠する確率は5~10 %と言われていますので、今回の実験での確率は低いとは言えません。
むしろ、この段階で43個のうち2個が正常個体の誕生まで進むことができたという事は、実用化に向けて、期待が持てる結果でしょう。
4. 解決しなければならない問題と今後の展望
大きな期待が寄せられるこの研究成果ですが、実用化に向けて解決しなければならない問題がいくつかあります。
まず、今回はES細胞で成功したが、同じ事をiPS細胞でできるかどうか、という問題です。
ES細胞は、どうしても他人の細胞を使わなければならないことと、供給経路が問題になります。
もしiPS細胞で精子の作成が可能になれば、対象者の細胞からiPS細胞を作製し、その細胞から始原生殖細胞、精子幹細胞を分化させて最終的に成熟した精子に分化誘導することができ、自分の細胞を使って造精能力を得ることができます。
iPS細胞が使えれば、細胞の供給が容易になるだけでなく、免疫による拒絶反応も防ぐことができます。
そして次の問題として、今回の研究で準備した精子幹細胞と共に培養する精巣の組織切片をどうするのかということがあります。
ヒトで行う場合は、ヒトの精巣切片を準備なければなりませんが、その準備はかなり入手困難であることが予想されます。
そのため、代替方法の開発が必要になります。
研究としては、マウス精巣切片を構成する細胞から何らかの物質が分泌されて、その物質によって精子が成熟するという仮説をもとに、物質の特定を、代替する方法の技術開発が必要になると考えられます。
研究としては非常に画期的ではありますが、解決しなければならない問題も多く、今後の研究の進展が注目されます。
京都大学の研究グループは、このES細胞の研究と並行して、iPS細胞でも同様の研究につなげるための研究を実施しています。
進展が見られることが期待されますが、生殖細胞が関与することですので、倫理面の議論も必要な研究であり、今後はそういった議論も行う必要性が出てくると考えられます。