ヒト脳オルガノイドがマウス脳に広範囲に統合 神経疾患研究を変える新モデル

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培養皿の「ミニ脳」では見えなかった発達を追う

ヒトの脳がどのように発達し、神経回路を作るのかを詳しく調べることは簡単ではありません。生きている人の脳から発達途中の組織を取り出し、長期間観察することはできないためです。

そこで使われているのが、脳オルガノイドです。オルガノイドとは、幹細胞から作る小さな立体組織で、臓器の一部の構造や働きを再現します。脳オルガノイドでは、iPS細胞(人工多能性幹細胞)などから神経細胞を育て、人の脳が作られていく過程を調べます。

しかし、培養皿の中だけでは限界があります。実際の脳には血管から栄養が届き、ほかの神経とつながり、体からさまざまな刺激を受けています。培養した組織だけでは、こうした環境を完全には再現できません。

これまでにもヒト脳オルガノイドをラットやマウスへ移植する研究は行われてきました。ただし、もともと存在する動物の脳組織が場所を占めているため、ヒト由来組織が大きく成長し、広範囲の神経回路を作ることには制約がありました。

スタンフォード大学のSergiu P. Pașca氏らの研究グループは、この問題を逆転の発想で解決しようとしました。あらかじめ大脳皮質の大部分が作られないマウスを用意し、そこへヒトiPS細胞由来の大脳皮質オルガノイドを移植したのです。

2026年9月16日に『Nature』で発表された今回の研究は、ヒト由来の神経組織を生きた脳の中で広く成長させ、神経回路や行動との関係まで調べる新しい研究モデルを示しました。

マウスの大脳皮質にヒト由来組織が広がった

研究グループは、遺伝子を操作し、大脳皮質と海馬の大部分が形成されない免疫不全マウスを作製しました。解析すると、このマウスでは通常のマウスに比べ、脳組織全体の量が約50%少なくなっていました。

研究者たちは、この空いた領域へヒトiPS細胞から作った大脳皮質オルガノイドを移植しました。この方法を「xenocortication」と名付けています。日本語に直訳すれば、異なる動物種の細胞を使って大脳皮質を構成するような考え方です。

29匹のマウスを調べたところ、MRIでヒト由来組織の生存が確認された割合は86.2%でした。さらに移植組織の体積は、移植後2カ月から3カ月にかけて約4.7倍に増えています。

移植3カ月後のMRI解析では、ヒト由来のオルガノイドが、移植されたマウスの皮質組織の91.9%を占めていました。この数字だけを見ると「マウスの脳が人間の脳に置き換わった」ように感じるかもしれませんが、その理解は正確ではありません。

残っているマウスの脳幹や視床、大脳基底核などの神経組織はマウス由来です。研究者が作ったのは、人の脳そのものではなく、ヒト由来の大脳皮質組織をマウスの神経系の中で大規模に育てられる実験モデルです。

重要なのは組織の大きさだけではありません。移植された細胞は複数の種類の神経細胞へ成熟し、マウスの脳や脊髄へ神経線維を伸ばしていました。

ヒトの神経細胞が生きた神経回路へ組み込まれる

移植した組織が大きくなっても、単に細胞が存在しているだけなら、脳機能を調べるモデルとしては十分ではありません。そこで研究グループは、ヒト由来の神経細胞がマウスの神経系と実際につながっているかを詳しく解析しました。

神経のつながりを追跡すると、ヒト由来細胞から伸びた神経線維は脳の深い部分を通り、脊髄にまで達していました。反対に、マウス側の神経細胞からヒト由来組織へ入る神経入力も確認されています。

さらに、カルシウムイメージングや電気生理学的な解析によって、移植組織の中で神経細胞が自発的に活動していることも示されました。その活動には、発達途中の神経回路でみられるような組織化されたパターンがありました。

細胞を一つずつ解析する手法では、深い層から表面近くまで、大脳皮質を構成するさまざまな種類のヒト神経細胞が確認されています。移植24週後の神経細胞は、遺伝子の働き方からみて、ヒト胎児の妊娠中期に近い発達状態を示していました。

つまり今回の技術では、人の神経細胞を単独で育てるのではなく、生きた動物の神経系につながった状態で、発達していく過程を観察できます。

脳の病気の多くは、特定の細胞一つだけではなく、複数の神経細胞が作る回路の異常として現れます。そのため、神経回路全体を調べられることは、従来の培養皿だけの研究にはない大きな特徴です。

細胞の変化を「行動」と結びつけて調べる

今回のモデルが注目されるもう一つの理由は、ヒト由来神経組織の状態と動物の行動を同時に調べられる点です。

研究チームは、通常のマウス、大脳皮質の大部分を欠くマウス、そこへヒト脳オルガノイドを移植したマウスを比較しました。基本的な移動能力は大きく保たれていましたが、細かな手足の協調運動や作業記憶を調べる課題では違いがみられました。

ただし、この結果を「ヒト細胞によってマウスの能力が回復した」と単純に解釈することはできません。研究者自身も、特定の行動にヒト由来神経細胞が必要なのか、どの神経回路が関係するのかは、今後さらに確認する必要があるとしています。

研究では、病気を再現するモデルとしての利用も試されました。ヒト由来組織を持つマウスを低酸素状態にすると、移植されたヒト組織で低酸素への細胞反応が確認され、その後には歩行パターンにも変化がみられました。

低酸素による脳障害は、出生前後の脳障害や脳性まひなどにも関係します。今回のモデルを利用すれば、ヒトの神経細胞が傷つく過程を生きた神経回路の中で調べ、治療候補を評価できる可能性があります。

ただし現段階では、人への治療法ではありません。あくまで、ヒトの脳発達や神経疾患を調べるための基礎研究モデルです。

「人の脳を持つマウス」ではないからこそ倫理も重要になる

ヒト脳オルガノイドを動物へ移植する研究では、科学的な成果だけでなく、倫理的な議論も欠かせません。

今回のマウスには、人間の脳が丸ごと移植されたわけではありません。ヒト由来なのは主に移植された大脳皮質領域であり、そのほかの神経系や身体はマウスのものです。また、人間の意識や人格が生じたことを示す結果も報告されていません。

一方で、研究が進めば、ヒト由来神経組織はより大きく、より複雑になる可能性があります。どこまで神経系へ統合できるのか、動物の感覚や認知、行動へどのような影響を与えるのかという問題は、技術の発展と同時に検討する必要があります。

研究チームは、この点を論文の中でも重視しています。ヒト細胞を使った実験は国際幹細胞学会(ISSCR)などの指針に従って行われ、細胞提供者からは動物への移植を含む研究利用について同意を得ています。

さらにスタンフォード大学の生命倫理専門家、神経科学研究所の委員会、外部の独立した倫理委員会が研究計画を検討しました。研究者らは、実験動物の能力が変化する可能性についても事前に議論したと報告しています。

再生医療や幹細胞研究が高度になるほど、「できるか」だけでなく「どこまで行うべきか」を同時に考える必要があります。今回の研究は、その議論も含めて今後の脳研究の基盤となる成果です。

神経疾患の研究を「ヒトの神経回路」で進めるために

神経疾患の研究では、マウスなどの動物モデルが長く使われてきました。しかし、人とマウスでは脳の発達速度や神経細胞の性質に違いがあります。そのため、動物で得られた結果が、そのまま人にも当てはまるとは限りません。

一方、培養皿の脳オルガノイドはヒト細胞から作れますが、身体の神経系とのつながりや行動まで調べることができませんでした。今回のxenocorticationは、この二つの研究方法の間を埋める仕組みと考えられます。

研究者らは、このモデルを神経発達の研究、疾患モデル、薬や治療法の開発などに利用できる可能性を示しています。特に、ヒト由来神経細胞の異常が神経回路全体や行動にどうつながるのかを調べられる点は大きな特徴です。

将来的には、患者由来のiPS細胞から脳オルガノイドを作り、病気に特有の変化を生きた神経回路の中で調べる研究にもつながる可能性があります。また、細胞治療を開発する際に、移植したヒト細胞がどのように神経回路へ組み込まれるかを評価する前臨床モデルとしての活用も想定されています。

ただし、今回の成果から人の神経疾患に対する治療効果が確認されたわけではありません。行動変化と移植細胞との因果関係など、研究モデルそのものにも解明すべき点が残っています。

幹細胞研究は、細胞を「作る」段階から、その細胞が生きた組織の中でどう働くのかを調べる段階へ進みつつあります。今回の研究は、ヒトの神経回路をより現実に近い環境で研究するための、新たな一歩といえるでしょう。


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